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ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

辻村寿三郎の人形

7月24日、危険な暑さのなか、愛知県の「安城市歴史博物館」へ行ってきた。
人形師、辻村寿三郎の特別展が開かれているからだ(7月21日~9月2日)。
寿三郎の人形の展示を見るのは、これで3回目だ。


会場はボクの家から一般道で1時間半~2時間ほど。
やはり危険な暑さだった。
炎天下の道路上では、45度を越えていただろう。

駐車場は炎天下にあり、クルマのドアをあけた刹那、「ドッ」という音が聞こえたような気がした。
木を植えて木陰をつくってほしい。


1970年代、NHKテレビ人形劇、「新八犬伝」「真田十勇士」で寿三郎の人形は一躍注目された。
ボクもそれ以来のファンだ。
「なんだこれは?ただならない気配」を感じた。頭抜けた才能を感じる。屈指の人形作家だと思う。

今回はこじんまりとした展示だが、「新八犬伝」「真田十勇士」「平家物語縁起」「王女メディア」などの人形や、
いくつかの頭(かしら)、小型の人形などが展示されていた。

fusehime22.jpg
<「新八犬伝」に出演した「伏姫」の人形を画いた。今回の特別展に展示されていた。
実物は数段良い(あたり前だ)。

縮緬の肌、面長の顔、アーモンド型のつり目、瞳は寄っている。受け口に紅。
「色っぽくてかわいい」

普通、「つり目」は好感を得たい役どころの場合は避けるだろう。
あえて「つり目」にしながら、違和感を抑え魅力に変える。
常識や正攻法では心をつかむことはムズカシイ。

瞳が寄っているのは、歌舞伎や役者絵の影響だろうか?
寿三郎は歌舞伎の小物制作の修行をした(たしか)。
歌舞伎の小物は縮緬で作ることが多いという。

おそらく、頭(かしら)の制作の最終段階で瞳を入れると思われる。
寄り目を入れるのは勇気がいるだろう。
それで妙な顔になれば、それまでの制作の苦労が無になってしまう可能性がある。

今回、画いていても、人形の顔のバランスがとても微妙で、何度も修正した。>



人形化される人物への解釈、艶っぽさとオドロの世界。
縮緬の顔や手、精巧な小物、創造と伝統が混じった衣装。魅了される。

これだけのものを作るには、イメージ固め、人形本体の制作もさることながら、
衣装に使用する布(絹織物だろう)を確保するだけでも一苦労だろう。
なるべく小さな柄が必要なはずだ。

寿三郎ほどにでもなれば、ファンからの寄付やプレゼントがあるのだろうか?


寿三郎人形は美術(芸術)だとボクは思うが、一流美術館での展示はすくない。
ぼくの記憶では一度もない。

人形という分野を一流美術館が認めていない、ということなのかもしれない。
浮世絵も一流美術館での展示はすくない。
「フランスでは認められても、日本では認めない」ということか?

一流美術館にはランク付けがあると想像している。
例えば、西洋画>日本画、油絵>水彩、美大出の作家>独学の作家、
アカデミックなもの>大衆的なもの・・・

「芸術とは、ひとことで言えば、なんだこれ!という衝撃でしょうか・・・」
という説をきいたことがある。
もし、それが本当ならランク付けは無意味だ。

美術(芸術)世界にも見えにくいシバリがあるように思う。

「印象派はもういいから、〇△×も見せてくれ」






  1. 2018/07/31(火) 07:09:43|
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井戸の茶碗

豪雨災害の被災者の大変さ、お見舞い申し上げます。

「桂歌丸」が亡くなった。ご冥福を祈る。

テレビでの 落語の放送が少なくなって随分となる。

『浅草お茶の間寄席』(ぼくの住んでいるところでは三重テレビ)で週に一回やる。
聞いているのが辛くなる演者もでてくるが、貴重だ。
『笑点』でもときどきやる。
以前はNHKでもたまに見ることができたが、最近は見ない。

ボクは落語に詳しくはないが、好きだ。


『井戸の茶碗』という話がある。そのあらすじ。

麻布茗荷谷に住む、くず屋の清兵衛。ある日、清正公脇の裏長屋で身なりは粗末だが、
品があって器量よしの、年のころ十七、八ほどの娘に呼び止められる。
その父、浪々の身の千代田卜斎から、仏像を二百文で買い受ける。

仏像を荷の上に乗せ、細川様(大名)の下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門がその仏像を見つけ三百文で買い取る。
右から左で差し引き百文の儲け、清兵衛はうれしくなる。

高木がぬるま湯でその仏像を洗っていると、
台座の紙が破れ、中から五十両(現在の価値なら1000万円)が出てきた。
高木は次回、清兵衛の来るのを待ち、事の次第を話し、
「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない。よって五十両を売主(卜斎)に返せ」という。

清兵衛は言われたとおり五十両を卜斎の家に届けに行く。
卜斎は「売ったからには仏像から何が出ようとも自分の物ではない。その金は受け取れぬ」と、

しかたがないから、清兵衛は再び高木の所へ行くが、高木も頑として受け取らない。

困った清兵衛は卜斎の長屋の大家に相談すると、
「それでは、卜斎様と高木様に二十両づつ、清兵衛さん、あなたに十両ということにしてはどうか」
と知恵をだしてくれた。

卜斎はその二十両のカタに、普段使っている汚い茶碗を高木に渡すことで渋々納得する。

このいきさつを訊いた細川の殿様が高木に「その茶碗を見たい」と仰せられた。
見ると、これが「井戸の茶碗」という名器だった。
「佐久左衛門、三百両(約6000万円)でこれを買いうけたいが、どうじゃ?」
ということで殿様のもとへ。

清兵衛は高木から依頼をうけ、半分の百五十両を卜斎に届けるが、
卜斎はむろん「二十両のカタに高木殿にお渡ししたもの。その金は受け取れぬ」だ。

清兵衛は、「それなら、また高木様に何か差し上げて、その代わりに百五十両をもらうことにすればよろしいのでは?」というが、卜斎にはもう高木に渡す物がない。
卜斎は考えたあげく、「百五十両を支度金として娘を高木殿へ嫁がせたい」という。
「浪々の身ではあるが、ひと通りのしつけはしてきたつもりだ」と、

喜んだ清兵衛、早速この話を高木に伝えに行く。
高木も「千代田殿の娘ご」なら間違いないと、話は早い。

清兵衛 「今は裏長屋に住んでいて、ちょいとくすんでいますが、こちらに連れてきて磨いてご覧なさい、いい女になりますよ」
高木 「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」


idojyawan31.jpg
<イラストは「井戸茶碗」とした。
こんなにひどくはないが、いびつなものもある。

イラストのように袴の脇から手を入れている武士の写真を見たことがある。
古武道研究家の甲野 善紀(こうの よしのり)も、テレビで同じ姿勢をとっていたのを記憶している。
ボクの知人に合気道三段がいる。
先日、このことを訊いてみた。

「あれはねぇ、手の指を取られないようにしているのだよ。
指を取られると相手に制禦されてしまうからね。」
なるほど。>



『井戸の茶碗』は故、古今亭志ん朝が得意にしたという。
「人の良い屑やの清兵衛」、「闊達な若侍、高木佐久左衛門」、「頑固だが律儀な浪人、千代田卜斎」、を
演じわけるのが噺家のうでの見せどころだ。

この話には端役の「細川の殿様」にいたるまで、欲のない正直者しか出てこない。
落ち(さげ)まで正直者達で押し通す。

映画などで、ハッピーエンドとアンハッピーエンドのどちらがシックリくるかといえば。
ボクはアンハッピーエンド派だ。プラス思考ではない。

ところが『井戸の茶碗』を初めてきいたとき、ちょっと感動した。

この世では、無欲の正直者は少ない。
『井戸の茶碗』は現実では成立しにくい。落語だから素直に聞けたのだろう。
もちろん、落語家の腕もある。
これを聞くと、いい気分になる。
「何事にもウラがある」と思っているボクが・・・


(注)「井戸茶碗」は李朝中期に朝鮮で焼かれたもの。高麗茶碗の一種。
本来、雑器であったものが,桃山期の武将,茶人の好みにかない,抹茶茶碗として珍重された。
以来,茶の湯の茶碗の中でももっとも重視されるものとなった。

形や作風から大井戸(名物手),青井戸,小井戸(古井戸)などに分けられている。
大井戸は大振りな井戸茶碗という意味。深い碗形をなし,高台はほとんど竹節状に削り出されている。







  1. 2018/07/10(火) 07:53:41|
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本を読む(平成30年6月)

ボクは本を読む。
数冊を平行して読む。
今、読んでいる本、


『Uボート・エース』 J・ヴァイス著、雨倉孝之訳
(株)朝日ソノラマ、¥648+税

第二次大戦で連合国の海上輸送を脅かしたUボートの艦長のひとり、
ヴォルフガング・リュートを書いたノンフィクション。

ボクはこういう方面には詳しいほうだが、新しい発見がいくつかあった。
潜水艦の戦いがどういうものか、臨場感がある。

翻訳本には読みにくいものもある。読む気がなくなる。
この本はスンナリ読めた。訳者を評価したい。

現在、読み終わっている。


『親父の少年時代』 絵と文、遠藤ケイ著
かや書房、¥1300+税

イラストレーター、自給自足生活家、エッセイストの遠藤ケイの本。
コントラストの強い、ボクの好きな遠藤ケイのイラストが多く掲載されている。
タイトルの『親父の少年時代』とは著者の親父のことではなく、著者が親父の意味だ。

著者が子供のころの、なつかしい戦後の昭和の話がイッパイ出てくる。
ほほえましい話ばかりではない。

「なつかしさ=ごちそう」なのだ。
50代女性がユーミンの傑作、『卒業写真』をきいて、胸がいっぱいになるように・・・


『テレビじゃ言えない』 ビートたけし著
小学館新書、¥740+税

読みはじめたところ。
先日、ボクの地元、名古屋のテレビ局の開局〇〇周年記念番組にビートたけしが出ていた。
大物を起用したのだ。
どうでもいいような内容だったが、それよりもビートたけしの衰えが気になった。

70代だものなぁ。
そして、この巨人のことをもっと知りたくなった。
活字では、ちがうビートたけしが見えるように思うから。


kinorensyuu1211.jpg
<木を画く練習をしている。ペンで画きたい。これはサインペンで画いた。
木を画くには絵具と筆で画いたほうが良いと思うが、
ボクはペンで画きたい。>



『携帯の無い青春』 酒井順子著
幻冬舎文庫、¥457+税

ボクの好きな酒井順子先生(先生とお呼びしている)の本だ。
順子先生の上品+下品の心地よさを味あわせてもらった。
今回も酒井節をありがとう。


『武士の人事評価』 山本博文著
新人物文庫、¥700+税

時代劇の考証も手がける著者。江戸時代が得意のようだ。

賄賂が横行した田沼時代の後、寛政の改革(緊縮政策)をすすめた老中首座、松平定信が、
江戸城内、江戸市中の幕府役人、旗本、町人たちの発言や話を集めて書き留めた。
それが『よしの冊子』だ。その『よしの冊子』を紹介したのが本書。
定信は人事や政策などにこれを参考にしたのだろう。

読む前は、あまり期待していなかったが、とても面白い!
幕府要人の性格や力関係が見てとれる。

(ボクの注)
田沼意次(おきつぐ)自身が積極的に賄賂を要求したことはない。
意次が賄賂まみれのように描いたドラマ、映画(ほとんどがそうだ)はまちがいだ。

成り上がりだった意次は妬みを警戒していたのだろう、ひかえめだったという。
ただ、幕府政治を取り仕切るものとして、
賄賂が横行するのを積極的にとがめなかった責任はある。
また、幕府の組織的な問題が賄賂横行の一因でもあった。


『プロレス狂想曲』 ニコラ・ド・クレシー著(絵)
集英社、¥1000+税

ボクが好きなフランス?のマンガ家(絵が好き)。
分類すれば、ユーロマンガ(バンドデシネ)の作家のひとり。
「えっ、なんでこんなに安いの?」と思って買った、シメシメ。
他のニコラ・ド・クレシーのマンガ本は¥2500以上はする。

しかし、良くなかった!
フランス?では、こんなのが面白いのだろうか?
クレシー(ニコラのほうがいいのかな?)の作品は日本ではウケないだろう。
すくなくともボクにはウケない。
(ウケねらいをしないから独自性は高いともいえるが)

「でも、絵を楽しめれば良いか」と思ったのだが、
他のクレシーの本より、絵も良くない。
以前に買ったクレシー作『フォリガット』や『天空のビバンドム』より劣る。
失敗作ではないだろうか?

ガッカリ!こんなこともある。






  1. 2018/06/19(火) 06:41:03|
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中身だけ(ジョーク)

kani113.jpg

昼さがり、人食い人種の子供と母親が森から空き地に出てきた。

ちょうどそのとき上空を飛行機が通りかかった。

見上げた子供が母親に、
「かあちゃん、あれはウマイの?」
「あれはね、カニみたいなもんさ、中身だけ食べるんだよ」
「・・・・」



植松 黎編・訳「ポケット・ジョーク」(角川文庫)¥390を参考にしました。




話は変わる。

テレビで、亡くなった西城秀樹へ、御三家のひとり、野口五郎の弔辞(送る言葉)を見た(きいた)。
なかなかの出来だ。せまるものがあった(好意的にみて)。

ただ、ボクは亡くなった有名芸能人への弔辞を見る(きく)のが苦手だ。
知人の芸能人が弔辞を述べることが多いが、
出来が良ければ良いほどシラケてしまう。
ウマくない素朴な弔辞の方が好ましい。

芸能人の多くはそもそも演技者だ。
弔辞の役の指名を受けたときから、セリフと演技プランを考えてしまうのではないだろうか?

「そっちで待っていてくれ、すぐオレも行く。イッパイやりながら話をしよう・・・」などと、
演ずることが先になる。そういうクセがついてしまっている、ように思う。
(意地悪だが、ボクにはそう見える)。

すると、
「いやいや、君はそう言うが・・、人生は回り舞台、人はみな演者なんだよ、そうは思わないか?」と、
頭のなかで誰かに言われたような気がした・・・



  1. 2018/05/29(火) 07:08:09|
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浄土真宗と一向宗は同じ?(信長夜話・その97)

ボクは無宗教と言っていい。
外国人から見れば「そんなヤツの言うことは信じることが出来ない」というヤカラだ。

随分と前だが、もし宗教を選べといわれたら、「仏教」だと思った。
理由があったわけではない。直観のようなものだ。
他の宗教には違和感があった(今もそうだ)。

実はボクの実家は「浄土真宗大谷派(東本願寺)」だ。
すでに両親は亡くなっている。
兄がその後を継いだ。

わけあって、禅宗から浄土真宗に宗旨替えをした。ボクも関わった。

ボクは年一回、お盆の先祖供養に行く、兄とボクの二人で、
正直に言えば、それもボクはすこし「めんどくさい」と思っているが、
兄一人では「張り合いがないのでは?」と思って出かけている(恩ぎせがましい)。

ボクは仏縁の薄い人だ。
それで良いとおもっている。ボクなりの考えがあるが、今回は触れない。

ブログのカテゴリー「信長夜話」を書くにあたって「浄土真宗、本願寺、一向宗」のことを調べた。
先入観と想像にまかせたことは書きたくないからだ。
くしくも、実家の宗派にすこしは近ずくことになった(これも仏縁?)。


「信長対本願寺」を書くには、「浄土真宗、一向宗」に触れないわけにはいかない。
しかし、簡単ではない。
時間の経過とともに、解釈が加えられ変化するから。なにごともそうだ。


ということで、ボクの初歩的疑問を調べてみた。

1、浄土真宗と本願寺と一向宗は同じ?
2、浄土真宗の教えってなに?
3、阿弥陀仏とは?
4、浄土真宗のはじまりとその後?



1、浄土真宗と本願寺と一向宗は同じ?

本を読むと、「一向宗」「浄土真宗」「本願寺」が、同じかのような印象をうける。

初め、一遍〔延応1年(1239)‐正応2年(1289)〕の教団である時宗を「一向宗」とよんでいた。
一遍が『一向専修(ひたすら修行、または念仏する)すれば阿弥陀樣が浄土へと救済してくれる』と説いたからだ。

時宗のことはややこしくなるので、省略。

時が過ぎ、親鸞を宗祖とする「浄土真宗」の本願寺教団を「一向宗」と呼んだ。
『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、
とくに阿弥陀仏の名を称えることと解釈された。

浄土宗は親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」と呼んだ。
(浄土宗とは親鸞の師匠、法然の宗派)

しかし、親鸞の浄土真宗教団はこの名を自称しなかった(ややこしい)。
教団外からの呼び名だったということになる。

平安末期、法然の教えは急速に広まったため、弾圧を受け三つに分裂。
そのひとつが親鸞の「浄土真宗」(親鸞死後からの宗派名)だ。
「浄土真宗」とは「浄土を顕かにする真実の教え」からきた。


「浄土真宗」の中興の祖といわれる本願寺八世、蓮如は
「われわれ浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない・・・違反者を破門する」とまで述べている。
しかしそれは、浄土真宗の門徒ですら「一向宗」を自称する者が多くいたからだろう。

《*蓮如「応永二十二年(1414)2月25日 - 明応八年(1499)3月25日」、信長の生まれる35年前に亡くなっている。》

なので、教団内では正式に「一向宗」は使われることはなかった。
「浄土真宗」または「真宗」と称した。
しかし、浄土真宗門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、
真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は続いた。

結論、一般的には「浄土真宗」を「一向宗」と呼んだのだ。


「本願寺」とは→
「浄土真宗」の一宗派、言ってみれば総本山。
実は本願寺以外にも「浄土真宗」にはいくつかの宗派がある。「真宗十派」ともいわれる。
以下、

真宗大谷派(おおたに)→東本願寺

浄土真宗本願寺派(ほんがんじ)→西本願寺

真宗高田派(たかだ)

真宗佛光寺派(ぶっこうじ)

真宗興正派(こうしょうじ)

真宗木辺派(きべ)

などなど

現在でも東と西の本願寺派が大勢力だ。

amida11.jpg


2、浄土真宗の教えってなに?

親鸞は、7000巻余りのお経の中で、お釈迦さまの本心が説かれているのは、
『大無量寿経』ただひとつであると言った。

『大無量寿経』には、阿弥陀仏の本願が説かれている。

「お釈迦さまは、私がこの世に生まれてきた目的は、阿弥陀仏の本願を説いて、人々を幸せに導くためなのだ。
阿弥陀仏の本願の説かれている『大無量寿経』は、未来永遠に残り、多くの人を幸せにするであろう…」と、

このようなことが書かれているお経は、他にはない、という。
「ただ阿弥陀如来の働きにまかせて、全ての人は往生することが出来る」と説いた。

浄土真宗は、多くの宗教儀式などにとらわれず、報恩謝徳の念仏と聞法を大事にする。
加持祈祷を行わない。作法や教えも簡潔であったから、庶民に広く受け入れられたのだ。
ということは、他の宗派は宗教儀式などにとらわれ、加持祈祷を行ない、
作法や教えがムズカシかったのだろう。

そのため、他の宗派からは「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと悪口も言われたらしい。
勢いを増していく浄土真宗への「やっかみ」もあったのだろう。
坊主は「物事にとらわれるな(執着するな)」と説くことが多いが、とらわれていたわけだ。


3、阿弥陀如来ってなに?

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つ、梵名はアミターバ。
あるいはアミターユス といい、それを阿弥陀と漢訳した。

梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意。

無限の寿命、限りない光(智慧)、を持って人々を救い続ける、西方極楽浄土の教主(東方は薬師如来)。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導く、という。
また、他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味。

お釈迦さまが、「私の尊い先生を紹介しましょう」と、教えてくだされたのが、阿弥陀仏(弥陀)、だという。


4、浄土真宗のはじまりとその後?(親鸞~蓮如~顕如)

平安末期、親鸞は法然(浄土宗)に師事した。

「浄土真宗」は鎌倉時代中期、親鸞によって始められた。
(親鸞自身は独立の意思はなく、終生、法然の弟子だと思っていた)

室町時代中期、中興の祖「八世・蓮如」が現れて、「浄土真宗」は著しく興隆することとなる。
しかし、蓮如の活動が、比叡山の勢力圏である近江の村々に広く及んだため、
叡山の反目をかう。寛正六年(1465)本願寺は襲撃をうけて破壊された。

蓮如は、近畿を転々とした。
やがて越前(福井県)の吉崎を拠点として北陸を布教。
蓮如は民衆にわかりやすく浄土真宗の教えを説いた。
その教えは各層(武士にも)各地にひろがった。

ともすれば、ムズカシイ言葉で語りたがる教えを、わかりやすい言葉と内容で布教した。
これが蓮如のスゴさのひとつだろう。

「なぜ、物書きはムズカシイ言葉を使いたがるのだろう?
それは、自分を知的に見せたいためだ。こんな言葉も知っているのだ、・・・」と、
ある作家の本に書いてあった。ボクは納得した。

カタカナ語を使いたがる手合いも同じだろう(ボクはカタカナ語が嫌い)。
得意げにカタカナ語を使う人をボクは軽く軽蔑している。

脱線した。

教えを説く立場の蓮如が、わかりやく説いた(書いた)。
当時でも平易に説く僧は少数派だったのだろう。
だから後々まで「蓮如は平易に浄土真宗の教えを説いた。」と言われるのだ。

次の実如・証如・顕如の時代は、戦国の争乱期にあたる。
天文元年(1532)山科本願寺は日蓮宗徒や細川氏らの攻撃をうけて炎上(信長が生まれる3年前)。
そこで、大坂の石山(大阪本願寺、現大阪城の地)に移り、ここを本寺とする。

このころ本願寺は加賀(現、石川県)を支配下に置き(門徒衆の国)、
全国にわたって門徒を擁していたので、その社会的地位は大いに向上した。
そして宮廷や公家にも接近した。

永禄十一年(1568)織田信長が足利義昭を奉じて上洛。
元亀元年(1570)、本願寺(顕如)と信長は衝突する。
約10年間にわたる石山合戦だ。
(「信長対本願寺」については、この『信長夜話』で書くので経過は省略)



浄土真宗は、「南無阿弥陀仏」と唱える。「ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ・・・」と。
「南無阿弥陀仏」の「南無」とは「お任せします」ということだ、ときいたことがある。
(南無八幡大菩薩、南無妙法蓮華の南無も同じ)

そうか!「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏にお任せする」ということなんだ。
「人間の知恵など、たかが知れている。人はいつもアレコレ悩む。
そういうことは阿弥陀様にまかせて、本当に大事なことに力(頭)を使いなさい。
たとえ苦難があったとしても、阿弥陀様がお前を導いてやるよ・・・」ということなんだ、とボクは解釈した。

たった六文字で、これだけのことを想起させるのだから、大したものだとボクは思った。

日本人は「神に甘える」ことが下手だと言われる。
なにもかも自分で解決しようとする(出来るかどうかは別)。

キリスト教徒の「主の思し召しのままに・・・」「主の御心のままに・・・」などは、
迷ったり、困難に遭遇したときの「神への甘え」だろう(意地悪く見れば)。
「ベストを尽くしますから、あとはお願いします」と、

イスラムなら、「インシャアッラー」
アラビア語で「もしアッラー(唯一神)が望むなら」という意味。
「人としてできることはするけど、うまくいくかどうかは神のみぞ知る」というような解釈だ。


ボクは深遠な仏教の教えは知らないが、
「仏教の教えは人生の参考書になる」と思ったことがある。

仏教は「物事にこだわるな、執着するな」と説く。
それが悩み、苦しみの元だから。
「愛するな」ともとれる。愛=執着だから。

人生は四苦八苦と説く。
それを、すこしでも軽くするのが「こだわるな、執着するな」だと、解釈している。
理解できる。でも簡単ではないだろう。
そう説く坊主にも、こだわりや執着があるように、ボクにはみえる。

仏教の教えには参考になることが多い。長所だ。
しかし熱心な信者のなかには「正しいことを貫くのは、良いことだ」と思い込み、
他人を苦しめたりする。原理主義者なりやすい(どんなことでも)。

何事も良いことばかりではない。

信長と対峙した本願寺教団にも、原理主義的傾向がなかったとは言えないだろう。







  1. 2018/05/08(火) 07:31:19|
  2. 信長夜話
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