ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

よくわからないこと?

年をとると、わずかずつ時代とズレてくる。
それは仕方がないことだろう。
ボクはめんどくさいのが嫌いだから、ズレが早く進むのかもしれない。
(なにが時代の標準なのかはわからないが?)

例えば、パソコンのOSが新しくなる。windows8からwindows10への移行。
するとwindows10の操作方法を覚え(慣れ)なければならない。

若い人は、それもゲームのように楽しめるのかもしれないが、
おじさんのボクには、とても「めんどくさい!」。

windows8のときなどは、なんと、スタートボタンがなかった。
まず、スタートさせるのに一苦労(ええ加減にせーよ!)。
基本操作から、覚え(慣れ)たくはない。

te291.jpg


ということで、時代とズレているボクが、よくわからないこと(理解しがたいこと)がいくつかある。

そのひとつ、話題の「仮想通貨」
まず、名前からして胡散臭さイッパイ。なんたって「仮想」だもんね。
それが何種類もあるらしい。
(ボクは「仮想通貨」にはまったくの素人)

その「仮想通貨」を仮想現実(インターネット)上で「現実の通貨」で買うのだろう。
現実通貨を仮想通貨にするのだね。
仮想通貨はインターネット上で、今までめんどくさかったことでも
簡単に決済可能(国外でも)だという。

仮想通貨は取引されて価値が上下するという。
ある仮想通貨は24倍になったと聞いた。
もしそれが本当なら(幸運にも)、1万円が24万円に、10万円なら240万円に、50万円が1200万円に、・・・

先日、「コインチェック」の仮想通貨が流出して(盗まれた)大きく報道された。
今後、どうなっていくのかハッキリしない。
出川哲郎の兄と弟の二役のCM(面白い)も、パッタリ流れなくなった(あたり前だが)。


詐欺の目標は、ほとんどがお金だろう。
ボクは銀行のネットバンキングすら「危険」だと思っている。
だって、どこかの国がITの逸材を集めて、なんとかして金を盗めないかと、
国を挙げて研究をしている、というではないか。

ボクは「仮想通貨」などという胡散臭いものに手を出すのはイヤだ。
「仮想通貨」に手を出すヤツの気が知れない。


そんなことを昼下がりのスターバックスで友人に話した。
すると友人が、こんなことを言った。

① 今の仮想通貨はバブルだろう。そしてバブルははじけるだろう。
危険だろう。トラブルが起きるだろう。
そのあげく、規制や整備がされたのち、さらに広まっていく。止まらないだろう。

② 今は仮想通貨は初期の段階で、参加している人が少ない。
だから大きく価値が上下するのだろう。大得、大損、がおこる。

③ 仮想通貨に参加している人の何割かは、博打でやっているのではないか?
宝くじより儲かるかもしれないと、
10万円で参加して「0」になったとしても、「博打なんだから」と、
逆に値上がりすれば、24倍にと、

④「仮想」は胡散臭いというが、今の世の中、仮想だらけだ。
そもそも、通貨だって胡散臭い。ただの印刷物になる可能性がないとはいえない。
実際、あった。

整理すると、友人はそんなことを言った。

座りの良い顔、ノンビリとした性格の友人だが、ボクの話より切れがあった。
ボクの話は、所詮、テレビニュースと想像でかためた「ド素人仮想通貨感」だ。


夕暮れの電車のなか、いやまてよ、「友人は仮想通貨に手を出しているのではないのか?」
言葉に鋭いところがあった。
仮想通貨を毛嫌いするボクの言葉に、イラッとするところがあったのかもしれない。

横長の前席の乗客のほとんどは、スマートフォンに夢中になっている。
その後ろを見慣れた景色が流れていく。もうすぐ最寄駅だ。

「それでも仮想通貨には手を出さないもんね!」とボクは思った。










  1. 2018/02/13(火) 07:54:36|
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酌量の余地はない!(ジョーク)


「・・・酌量の余地はない!被告に最大の罰を言いわたさざるをえない。・・・」
きびしい口調で、判事は被告に向かって言った。

「被告は、安全で、暮らしの心配などもない刑務所へ送られることを考えていただろう。
そうはいかない。被告には苦労が渦巻く世間(娑婆)に戻る刑を科すこととするっ!」

hanketsu1111.jpg

さらに、判事は続けた。

「そこで被告は生きて、さまざまな苦労を味あうことになるのだ。
突然、暴落する株式市場、口先だけの不誠実な政治、うんざりする道路の渋滞、汗して稼いだ金を無慈悲に奪う税金。
なけなしの金を狙う詐欺。家族を養うためにイヤな仕事を続けて定年をむかえたら、粗大ゴミあつかい。
年老いて入院したらベッドにくくりつけられ…・・・」

「そんなこんなが渦巻く世間に、お前は戻らなければならないのだ。」

「・・・・」
その判決をきいた被告の震えは止まらなかった。



(注)記憶にあるジョークを参考にしたのですが、出典を思いだせません。





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話は変わる。

「大相撲」が面白い。
嘉風などのベテラン、御嵩海などの新しい世代の台頭が面白くしているように見える。ボクには.。
横綱、大関が安定した場所はスリルがなくてつまらない。

それにしても、最高位の行司、式守伊之助の「セクハラ事件」、
伊之助は酒癖が悪かったそうだ。
酩酊→悪ふざけで、若い男の行司にチューをしたのだろうとボクは想像している。
「男色の趣味はない」と伊之助が言っているのを信じたわけだが・・・

行司の脇差は、「軍配のさし違い」をすれば、切腹をも辞さない覚悟のしるしだ、と言われている。
その行司の最高位が、それも、若い男の行司にチュー(何度も)!・・・
そこが面白い。その落差が面白い。


織田信長は相撲が大好きだったという。

信長と言えば男色(両刀使いだが)。
当時は信長に限らず、男色趣味は珍しくない。
武田信玄などは男色相手からの嫉妬の文が残っているという。

ひょっとすると、行司の世界には信長時代の趣味が脈々と・・・?

行司の衣装はと見てとれば、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)。
これに太刀をはけば、当時の武士の正装だ・・・ムムム?・・・不謹慎は面白い・・・。

<余談>
「安土桃山時代というのは、日本男子が最も美しいものを着た時代なんです。
・・・日本男子の体形が最も立派に見えるのが直垂です。」
デザイナー、ワダエミの話です(正確ではない)。




  1. 2018/01/23(火) 07:14:13|
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片っ端から

平成30年(2018)あけまして、おめでとうございます。
今年が「素敵な年」になりますように・・・

めんどくさいことは見ないようにして、「怠け者の甘い悦楽」をむさぼる年末年始。
秋田に住んでいなくて良かった(「なまはげ」が来るから)。

それにしても、平成も30年。
若者の代名詞の「平成生まれ」に30歳が出現する。
そして、もうすぐ平成も終わるという・・・!

「平成の発想ね・・・」などと、次の世代から言われる時がくるのだろう・・・、恐ろしい!(ボクは昭和)。


話は変わる。

本ばかり読んでいる。
寝っころがりながら読む。
片っ端から読む。

数冊を平行して読むクセがついてしまった。
続けて同じ本を読んでいると、厭きる、疲れてくる。
そうすると、別の本を読む。
気分が変わって、読み進める。

その本にも、厭きる、疲れてくる。
また、別の本を読む。

という具合に数冊を読みめぐるクセだ。

あけまして


今、枕元にある本。

①香山リカ著『若者のホンネ-平成生まれは何を考えているのか-』朝日新書¥760+税
もうすぐ、読み終わる。

②洋泉社編集部編『-ここまでわかった-本能寺の変と明智光秀』洋泉社¥950+税
このタイトルを見たら、読まざるをえない。

③西原理恵子著『生きる悪知恵』文春新書¥800+税
タイトルの「悪知恵」にひかれた。

④清水義範著『心を操る文章術』新潮新書¥680+税
読みはじめたところ。わが故郷、名古屋出身の作家。

⑤五百田達成『ウザい話方-実はあなたもやっている-』PHP文庫¥590+税
読みはじめたところ。タイトルほどには面白くない。

⑥酒井順子著『枕草子REMIX』新潮新書¥490+税
はまっている酒井順子先生(先生とお呼びしている)の本。
酒井先生の歴史ものは、ちょっと不満(先生すみません)。

⑦松田毅一/E・ヨリッセン著『フロイスの日本覚書』中公新書¥600+税
フロイスの見た「戦国日本」、当時の日本人があたり前すぎて書かないことが書かれている。
日本イエズス会布教史。信長・秀吉時代へボクを連れて行ってくれる。小説ではない。

⑧中村うさぎ・佐藤優『死を笑う』毎日新聞社¥1400+税(二人のの対談集)
読み終えた。


見ての通り、節操がない。
小説はない。小説は好きではない。

面白い本は、人それぞれなんだと思う。

本をプレゼントされたことがある。
感じるところがあり「読んでみろ」と、ボクに勧めてくれたものだと思う。
贈っていただいた方には、深く感謝しているが、
ことごとく、ボクには面白くない(すみません)。

ボクも本を他人にプレゼントしたことが何冊かある。
おそらく、もらった人は面白くなかったのではないだろうか?

その本が面白く感じるかどうかは、そのときの、年齢、性別、職業、興味、状況、経験、気分・・・
に左右されるのだと思う。

以前に太宰治の『人間失格』を読んだ。
絶賛する人もいる。有名作家の有名作品だから、読んでおくかと・・・

これが、サッパリ面白くない、どこが良いのかわからない、ボクには。
我慢して読んだ。以来、太宰は読まない。

芥川龍之介の作品は、冒頭の数行を読むだけで「芥川の世界」に引き込まれてしまう。ボクは。
小説を読まないボクだが、芥川龍之介は繰り返し読む。それほど良い。

直木賞、芥川賞、など各賞作品や、話題の本、は読まない。
選考委員や他人は、面白いと感じたのだろうが、
ボクが面白いと感じる可能性は低いと思うからだ。
以前、話題作(なんだったか忘れた)を読んだが、やっぱり面白くなかった。

ボクの好きな作家(小説家だが、エッセーが好き)、奥田英朗がエッセーのなかで
「面白かった」と紹介していた本を買った。奥田英朗が「面白かった」といっているのだからと・・・
これも面白くなかった。

プレゼントされた本(した本)と同じだ。
読書は、とても個人的なことなんだと、ようやくわかってきた。







  1. 2018/01/02(火) 08:38:36|
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次は・・・?

スケートの季節。

先週、名古屋で、フィギアスケート「グランプリファイナル」が行われた。
男子で勝ったのは、アメリカの4回転男、ネイサン・チャンだった。おめでとう!

日本のエース、羽生結弦のケガが気になる。
羽生くんには日本だけでなく、世界にも多くのファン(女性の)がいるという。
ハンサム(イケメン)+実力もトップクラス、人気があるのも無理はない。


風呂上りに、食べ残しのスパゲッティをつまみにビールを飲んでいると、
テレビに羽生くんが出ていた。フと思った。
羽生くんは、歳をとると「故、宇野重吉(寺尾聡のお父さん)」のような顔になるな?」と・・・

inu42.jpg
<ボクの年賀はがきのイラスト。
今回の記事とはまったく関係がない。

平成も三十年(2018)だ、
故小渕首相がテレビカメラにむかって、「平成」と書かれた紙を見せていたのを覚えている。

ボクが若いころ、「10年なんて、アッという間だわ・・・」とオジサン、オバサンが言っていた。
「そうかなぁ?・・・」とボクは思った。
そして、オジサンになったボクは「30年なんて、アッという間だったなぁ・・・」と思う。>



男子フィギアスケートは、いまや4回転ジャンプの時代。
それも「4回転を飛べば良い」というものではない。
数回、飛ばなくては勝てないことになっている。

おそらく、ひそかに4回転半の研究と練習をやっているのだろう。
成功の回数が多くなると、本番で飛ぶ選手が出てくる。
こうなると、4回転半を飛ぶことが勝つ条件になってくる。

そうすると、4回転半を複数、飛ぶ選手が出てくる。

4回転半が普通になれば、当然、5回転時代に・・・
5回転の次は5回転半、そして6回転へ、

そして、大台の10回転ジャンプ・・・?

どうする、ほんとに?このままいっていいの?(と、皆どこかで思っている)


回転数が多くなると、転倒の可能性は大きくなる。
大技は危険(リスク)をはらむ。

フィギアスケートは技と美しさを競う、優雅なスポーツ(見る側からすると)だ。
ジャンプの転倒には痛々しさがある(見る側からすると)。氷にたたきつけられる。

「優雅と痛々しさ」、これがフィギアスケートの緊張感を生む。
見る側は、「切れのあるジャンプ」のどこかに「痛々しい転倒を期待している・・・」



今年の投稿は今回までです。ありがとうございました。
来年も、お時間がございましたら、覗いてやってください。

すこし早いですが、良いお年を・・・





  1. 2017/12/12(火) 07:31:36|
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日夜天に轟き(信長夜話・その93)

「今年もボジョレーヌーヴォーの季節になりました。」
スーパーで試飲する男女が、「フルーティーで飲みやすーい!」と笑顔。
「今年は天候にも恵まれ、出来が良いそうです・・・」
と、夕方のテレビニュースのなかで流れた(CMではない)。

その通りなんだろう。
でも去年も、そんなこと言っていた。いや、一昨年もそうだった。
いや、毎年、同じようなことを言っている。

「今年は〇△が悪かったので、美味しくないんです・・・」
とは言えないのだ。
だとすれば、情報としての価値はない。

毎度、「フルーティーで飲みやすーい!」のだから。
美味しく出来た年と、美味しくない年があるのは、当たり前なのだが・・・

それは、タレントの飲食店での食レポ(こういうらしい)も同じ。
「うまくない!」という言葉は禁句なのだから。




ということで、
前回の「雑賀衆(信長夜話・その92)」からの続き→


元亀元年七月二十一日
阿波で挙兵した三好勢は、八月、野田・福島に砦を築き、京をうかがう様子だった。
二十六日、織田勢は三好勢の籠る野田・福島の両城へ攻め寄せた。

信長は先陣を城に密着させ、多くの陣地を築かせた。
信長自身は天王寺に本陣を据えた。


『九月八日には大坂から十町西の楼の岸(ろうのきし)に砦が築かれ、斎藤新五・稲葉一鉄・中川重政の三人が入った。
また川向かい.の川口(現西区)にも築城、平手監物・平手汎秀・水野監物・佐々成政らが入れ置かれた。』
『信長公記』の記述。


「楼の岸」も「川口」も、本願寺のすぐそば。

ここに出てくる地名「楼の岸」だが、どう読めばいいのだろう?
ボクは「ろうのきし」としたが・・・?

「楼」の訓読みは「たかどの」、もの見櫓の意味。「たかどののきし」だろうか?
調べてみたが「読み」がみつからない。きもち悪い。
「書いた人も読みがわからないので、ルビをふらなかったのかも?」などと邪推(じゃすい)している。


脱線した。

『九月九日、信長公は天満の森(川をはさんで本願寺の対岸)へ本陣を移し、
翌日から敵城の周囲に散在する入江や堀を草で埋め立てさせた。

そして十二日、公方様と信長公は野田・福島から十町(約1090m)北の海老江(現福島区)に移ってここを本陣とし、
諸勢に総攻撃を開始させた。

足軽たちが夜ごと作業して築き上げた土手からは矢玉が一斉に撃ち出され、
先陣の兵は先を争って塀際に押し寄せ、井楼には大鉄砲が上げられて城中に撃ち込まれた。

一方、敵方にも根来衆・雑賀衆・湯川衆および紀伊国奥郡衆約二万が来援し、
遠里小野(現住吉区)・住吉・天王寺に陣を張って織田勢へ鉄砲三千挺を撃ちかけてきた。

稀にみる砲戦であり、敵味方の砲音は日夜天に轟き、黒煙が地を覆った。

この火力戦に野田・福島の両城は次第に疲弊し、さまざまに交渉して和睦をはかってきた。
しかし信長公はこれを容れず、「程を知らぬ奴輩、攻め干すべし」といって殲滅を決意した。」』
「信長公記」の記述だ。

さすが、太田牛一(『信長公記』の筆者。信長研究の一級史料)。臨場感がある。



記述のなかで、
『三好方がさまざまに交渉して和睦をはかってきた。』とある。

三好方は信長が呑めそうもない条件を、つきつけたのではないだろうか?
おそらく、時間かせぎだったのでは?本願寺の参戦を待っていたのでは?

それにしても、信長はこの時点で石山本願寺が敵対してくるとは、思っていなかったのだろうか?
信長が本陣とした「天満が森」や「海老江」は本願寺とは目と鼻の先、
もし本願寺が敵対してきたら、海や川に追い落とされる危険がある。

それとも、信長は「本願寺が敵対してきても蹴散らすことができる」と思っていたのだろうか?


織田信長という人は、ときどき慎重さを欠く。
言い換えれば、人を信じる(信じたい)ところがあるように思う。
だから興味深いとも言える。
「そつのない慎重な物言い」より、「失言もありの、心のうちが垣間見える物言い」のほうが面白い、のと同じだ
(傍観者からは)。

永禄十一年の上洛の際、わずかな供回りで浅井氏の佐和山城で七日間、とどまった。
このとき、浅井家中では「またとない機会だから、信長を討ちとってしまおう」という声があった。
浅井長政が、それを抑えて事件は起きなかった、
という説がある。

元亀元年の「金ケ崎の退き口」。
越前敦賀に攻め入った信長に、義弟の浅井長政が反旗をひるがした。
包囲されるのを、からくも?すり抜けて退却に成功。
長政の寝返り(信長からみれば)は、まったくの想定外だったのだろう。

天正六年、重く用いた(信長からみれば)荒木村重の離反(謀反)。

きわめつけは、御存じ、天正十年の「本能寺の変」、明智光秀を信じていたのだろう。
これまた、破格の待遇で重く用いていた(信長からみれば)。

などなど・・・

脱線した。

信長が想定していたかどうか?はわからないが、
はたして、石山本願寺に早鐘がなった。
本願寺の顕如(けんにょ)は信長との全面対決を選んだのだ。

えらいこっちゃ、ホンマ! どうする?

この続きは、またいつか・・・


semeru12.jpg

<イラストは「三好方を攻める織田勢」とした。>

ドラマや映画の戦国時代の攻城戦には、
城(砦)側には櫓がそびえ、木柵や濠が巡らされている。

攻める側はとみると、「竹束や盾から鉄砲を射かける・・・」と描いているのは良心的なほうで、
やみくもに城(砦)に攻め寄せ、城側の鉄砲になぎ倒される。
攻城側もバカじゃないのだから、そんな無策ではないだろう。

これでは、旧日本軍の「バンザイ突撃」と同じではないか。
貧弱な装備を精神論にすり替えた。

相手も装備が貧弱なら、効果があったのかもしれないが、
米軍のような優秀な装備の敵には、無謀だった。無残だ!


脱線した。

『信長公記』に攻め手側のことが書かれている。

① 井楼(せいろう、櫓のこと)がでてくる。

攻城側も濠ちかくに井楼(櫓)を立てた。
井楼からは城内の敵の動きが観察することができるし、射撃も可能だったろう。


② 『敵城の周囲に散在する入江や堀を草で埋め立てさせた・・・』
『足軽たちが夜ごと作業して築き上げた土手からは矢玉が一斉に撃ち出され、・・・』とある。

攻める側も、濠を埋め、高く土手を築き、より高い位置から射撃したのだろう。
城側からの妨害をうけるから、援護部隊がおかれ、
工事が遅れるから、「夜ごと」の作業だったのだろう。

城や砦は土木工事でつくられた要塞だ。
それを攻めるためには、攻める側も土木で対向するのが必然。

攻城兵器として投石機のようなものも、あったかもしれない、とボクは想像している。
(当時の日本の城や砦は、木と土のものがほとんどで投石機を必要としなかった、という説が有力)


③ 『稀にみる砲戦であり、敵味方の砲音は日夜天に轟き、黒煙が地を覆った。』
と『信長公記』にある。

この時の戦いは、何千という鉄砲の銃撃戦だったのだ。
当時の最新の戦闘があったのだろう。

古い映画の合戦シーンなどでは、情けない鉄砲がよくでてきた。
パン・・・、情けないほどまばらな発砲と弾着。
嘘くさい硝煙。

技術がなかったのか?予算がなかったのか?想像力不足だったのか?
そのいずれもだったのだろう。

納得のいく戦国の銃撃戦シーンをみたのは、黒沢明の映画『影武者』と『乱』だった。
無数の鉄砲の間断のない発射と弾着。

映画の評価は分かれているが、「さすが黒沢!」と思った。
「世界の黒沢」だったから予算の獲得が出来た、という面もあったのかもしれない。
これ以降の戦国銃撃戦シーンは、大きく変わった(変わらざるを得なくなった)。


④ 『井楼には大鉄砲が上げられて城中に撃ち込まれた。』とある。

大鉄砲とは標準型の種子島(鉄砲)を拡大、強化したものだろう。
より重い弾を発射するため、各部は強化され、火薬も多い、当然、重くなる。

信長が用いたとされる三十匁(もんめ、玉は約113g、口径27㎜程度)砲では、
約35~40kgの重さだったのではないだろうか?
一貫目筒(口径約89mm)では、砲の重さが80kg~120kgあったという。

今でも、火縄銃のデモンストレーションなどで、大筒が披露されることがある。
発射準備を整えた大筒を両手で構え、
発砲と同時に、体をひねって、その大きな反動を逃がす。曲芸のような射撃だ。

ひとつ間違えば、ケガ(例えば骨折)をするだろう。

弾は炸裂弾ではなく、金属の丸弾だった。
人に直撃すれば死ぬか大けが、
櫓や塀などの構造物に当たれば、効果があっただろう。

それに、敵兵にあたえる心理的影響も無視できない。


今回、使用したといわれる大鉄砲(大筒)は三十匁だったのだろう。
イラストのような木製の台座に据えて、発砲したのではないだろうか?

天文十二年(1543)種子島時尭が鉄砲をはじめて入手してから 27年後、
大鉄砲(大筒)を開発、装備するまでになっていた。

鉄砲の需要が活発だったのだ。派生型が開発された。

標準型(三~四匁の弾丸)、

狭間筒(長銃身、命中精度が高かったのだろう。狙撃銃か?)、

馬上筒(標準方の半分の長さ、両手で射撃したという)、

短筒(小型の鉄砲)、

大口径銃(六匁以上を中筒といった)
大鉄砲(大筒)はそれを発展させたものだったのだろう。


「信長夜話・その94」に続く→




谷口克広著「信長合戦全録」中公新書¥840+税
東郷隆・上田信 著「戦国武士の合戦心得」講談社文庫¥495+税
を参考にしました。





  1. 2017/11/21(火) 07:26:37|
  2. 信長夜話
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