ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

鈴緒

夏休みは7月いっぱいは楽しい。
宿題も8月に入ったらはじめれば良い。
だって、一か月も時間があるのだから。
7月31日までは、遊びほうけて良いのだ、と思った。

8月に入った。まだ時間は十分にある。
宿題は明日からやろう、今日は遊ぼ。

8月20日になった。
明日からバリバリと宿題を片付けてやるぞ!だから今日は・・・

夏休みも残り5日になった。
マズイ!宿題をやり始める。

とても間に合わない!どうしよう・・・
誰のせいでもない、自分のせいだ。

夏休みあけの登校初日は、宿題の提出はしなくていい。
ということは残り6日あるぞ!

でも、1日増えたぐらいでは無理。
どうしよう!途方にくれる。

こんな思いをするなら、「来年の夏休みは絶対、宿題を先にやってから遊ぶぞ!」
だから、なんとかならないだろうか?
なんともならない。

青ざめた夏休みの終わり。焦燥感
「もうダメだ~~!」

「プハッ」・・・  夢だった。
呼吸をするのを我慢して、海面に浮上したときのように目が冷めた。
午前3時50分だった。
今でも「夏休みの終わり」の夢をみる。



ということで、今回の話。


この森をぬければ、田んぼと畑のむこうに小さく実家が見える。
翔一(しょういち)は森の細い道を歩いていた。

翔一は三日の休みをとって、実家の親の様子を見に行くつもりだった。
陽のあるうちに実家に着ける予定だった。
しかし、直前に仕事が割り込んできた。
よくあることだ。

当日、出社して、やっと仕事をかたづけると、午後の電車に乗った。
なつかしい故郷の無人駅に着いた。
蛍光灯に蛾が飛びかっていた。

駅から実家まではすこし遠い。この時間のバスはない
暗い夜道を歩くことになった。途中、森をぬける。

土の道を踏む自分の足音だけが聞こえている。
黒々とした森。夜空はボンヤリとしていた。星は見えない。


すると、道の真ん中になにかが見える。ゴクリ!

よく見ると、それはなにか長いものが垂れ下がっているのがわかってきた。
近づくと、それは、鈴緒だった。
見上げると鈴緒の端は夜空にすいこまれて見えなかった。

suzuo33.jpg
<鈴緒。神社の賽銭箱の前に下がっているヤツ。普通、上に鈴がついている>


「なんで?、こんなところに・・・?」

風で木々の枝がザザザザ・・・と音を立てる。
鈴緒もわずかに揺れている。

「なんで?、こんなところに・・・?」

翔一はしばらく見ていた。
ふと「その鈴緒を神社でやるように揺らしてみたら・・・?」と思った。
体が硬くなっている。深呼吸をしてみた。

恐る恐る、鈴緒に触れた。
2~3度揺らした。
はるかな夜空で、かすかにガランガランと聞こえたような気がした。



誰かからきいたのか?本で読んだのか?思い出せないが、記憶にある話を参考にした。
背筋が寒くなるような怪談も嫌いではないが、こんなボンヤリとした話も良いなと思う。



子供のころに、こんな話を聞いた。
「夜、男が森の一本道を急いでいると、太い大きな木が横倒しになって道をふさいでいる。
しかたがないので、それを乗り越えようと足をかけた刹那、ポ~んとはねかえされてしまった。
もう一度やってみたが同じだった。」
それは狐か狸のしわざだと・・・













  1. 2016/08/16(火) 07:24:03|
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幻(その一)

「サマルカンドへ行ってきたよ」
千種駅近くのスターバックスで、友人が話はじめた。
どうりで最近、連絡がなかったわけだ。

サマルカンドといえば、かつてのシルクロードの要衝。
13世紀、モンゴル軍の攻撃を受け壊滅した、というのがボクのサマルカンドについての知識のほとんどだ。

友人は旅行が趣味だ。
定番の旅行先には飽きてしまって、普通は行かないようなところへ行くようになった。
おかげで、ボクは見知らぬ土地の話を楽しませてもらっているのだが・・・


彼は、そこでマジックを見た。
それがスゴかったという。

それはサマルカンドの町はずれだった。
「ウルマス・カジンカジン」という若いマジシャン。
東洋系の端正な顔だちだった。

マジシャンの後ろには大きな木が葉を茂らせていた。
その大きな木を消してみせるという。
夕暮れ時、その木は黒いシルエットになっていた。
暗さが増してきた。

「さあ!」と男はパン!と手を打った。
すると、後ろの大きな木のシルエットの黒が、すこし薄くなったような気がした。

間をおいて、もう一度、男は手を打った。
木のシルエットはさらに薄くなって、後ろの景色が透けて見えた。
人々は息をのんだ。

かすかに笑みをうかべると、男はもう一度、手を打った。

その大きな木は消えていた。
「おおーっ!」という驚きの声が原っぱにひろがった。

こんな話だった。


ボクは友人と別れて駅で電車を待っていた。
ウルマス・カジンカジン?
その名前をどこかで聞いたような気がした・・・・



「どうだ、酒の味は?」
「お前は酒が好きだときいておるが、どれほど飲むことができるのか?」
惟任日向守(明智光秀)は老人に声をかけた。

「・・・どれほど酒を飲むことができるのかは、計ったこともないので判りませぬ。
酔いがまわれば、飲むのをやめるばかりでございます・・・」
粗末な衣をまとった老人が答えた。

光秀はこの老人の噂をきいたことがあった。果心居士(かしんこじ)といった。

光秀は主君、織田信長を本能寺に襲殺したばかり、
大名や寺社、朝廷などの抱え込みに忙しい日々だった。

そんなおり、家臣が果心居士を下賀茂近くで見たという。
果心居士といえば、信長、松永久秀、三好長慶、・・・などにも目通りしていた。
一様に果心居士の技に驚いた、と光秀は耳にしていた。
興味があった。

光秀は果心居士を探し出し連れてくるように命じた。
そして、「丁重に饗応するように」とも付け加えた。


mituhideutage11.jpg


光秀の御前で、果心居士(かしんこじ)は大杯で、たて続けに酒をグビグビと喉を鳴らして飲んだ。
15杯ほどを飲んだ。
光秀や居並ぶ家臣たちは見事な飲みっぷりに驚いた。

「遠慮は無用ぞ、心いくまで飲むがよい!」と光秀。
老人は「ふ~~っ、いささか満足つかまつった。すこし酔いもうした。」

「ご厚意のお礼に、すこしくわしの技をお見せいたそう・・・」
「・・・さて、あの屏風をご覧くだされ。」
というと老人は屏風に手を上げた。

byoubutote13.jpg


その屏風には、遠くの山々を背景に静かな湖面が描かれていた。
湿った大気を感じさせる絵だった。

絵のはるか湖上には漁師の船が小さく描かれていた。それがかすかだが動いたように感じた。
一同は屏風絵を凝視した。

odorokusamurai22.jpg


その小船は確かに動いている。すべるように絵のなかを移動しているのがわかった。
「うぅ!」「えぇ!」と一同は目を見開いた。

船は船首をこちらに向けた。近づいてくる。
漁師の竿さす様がみえる。

byoubukurufune12.jpg

さらに船は近ずいてくる。
今まで静かだった湖面(屏風絵の)が波立ってきた。

小舟がすぐそこに見えるまで近づいてきた。

すると湖面が盛り上がるように、屏風から水があふれ出してきた。

水はあっという間に膝が浸かるほどまでになった。

さらに水は増え続け、腰のあたりまでになった。

あふれ出る水とともに漁師の船が屏風絵から漕ぎ出てきた。

byoubufunederu12.jpg


次回、「幻(その二)」に続く。







  1. 2016/07/26(火) 07:35:46|
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海には、ドエリャーやつがおるかもしれん?(名古屋弁)

映像が撮られたことから「大王いか」が話題だ。

「大王いか」は深海に棲んでいて、なかなか正体がわからなかったが、
映像にとられるやら、海岸に打ち上げられるやらで、ちょっと出すぎの感がある。
わからないところが良いのだ。

大王いかは深海でマッコウクジラと格闘をやっているらしい(現場を見た人はいないので、「らしい」となる)。
そんなイラストをよく見た。


emono27.jpg
《お互いを獲物だと思っとるぞ!》


随分と前だが『テンタクルズ』(1977年制作、イタリア・アメリカ合作)という映画があった。
内容はポスターを見れば一目瞭然。デデデっかいタコが船を襲い、人を襲うのだ。

ジョン・ヒューストン、シェリー・ウィンタース、ヘンリー・フォンダといった当時の大物俳優が出演したが、駄作だった。
ほとんどの映画はポスターと出演者を見れば、ストーリーはだいたい想像がつく。

「デっかいタコ」は、映画「水爆と深海の怪物」(1955)なんかにも登場して暴れちゃった(使い回しではないだろう?)。


思えば、人類はやたらと襲われる。
火星人、金星人、などの地球外生物にはじまって、ゴリラのでっかいのやら、蜘蛛やサソリのでっかいの、
はたまた、でかいメスの蜂(「ハチ女の恐怖」1960)なんかもあった。

水爆実験の放射能を浴びて、でっかくなった恐竜もあった。
口から放射能を吐く。吐き出す瞬間、背中のゴツゴツが怪しく光る。

好きなんだね襲われるのが、いや、襲われている人を見るのが?我々は・・・


「放射能を吐き出す」といえば、某大電力会社の某発電所を思う。
映画ではパニックになった大衆が逃げ惑うが、某発電所が放射能を吐き出し続けても、我々はパニックにならない。
思っていたより我々はシブトイ?


人間が風を頼りに船で大海に乗り出していたころ、海には想像を超えた不思議な生き物が棲んでいると思われていた。
潜水器具が発達していなかったから、海面からせいぜい20mぐらいまでしか見ることが出来なかった。
想像を刺激したにちがいない。
鯨が捕らえたりしただろうから、ますますである。


ずいぶんと前、ボクは海で泳いでいて、水中眼鏡を透してみる海中から、クビ長竜(プレシオサウルス)が、こちらに向かってきたら、と想像したことがある。
恐ろしくなった(妙な想像をするからだ)。のんびりと泳いでいる場合ではない。
全力で海岸に向かって泳いだ(臆病者!)。


西洋には「クラーケン」という海の怪物伝説?がある。
デンマーク人、エーリク・ポントピダンが1752年、「ノルウェー博物誌」で紹介したという。
それは「北極海にすむ巨大なタコ」のように書かれている(イラストはないのかな?)。

おそらく、船乗りたちの話を下敷きにして、エーリクが想像したのだろう。
船乗りたちの想像(妄想か?)にポントピダンの想像が重なったので、ハッキリ言って正体がよくわからない。


タコやイカを食べる習慣がない国の人は、タコやイカを「悪魔の魚」と毛嫌いする。
その姿形からくる印象なのだろう。
知識がないまま、初めてタコやイカを見たら、「なんだこれ?キモチ悪ぅ!」と、その独創的な形に驚くだろう。

しかし、我々日本人は恐れない。
刺身、タコぶつ、シャブシャブ、酢だこ、たこ焼き、すしネタ・・・とウマイことを知っている。
ボクは「酢だこ」と「たこ焼き」が好き。

巨大タコが襲ってきても、なんとかして生け捕り(新鮮だから)、切り刻んで食ってしまう。
タコからみれば我々は恐ろしい!




澁澤龍彦著『幻想博物誌』河出文庫¥500 を参考にしました。








  1. 2014/03/18(火) 07:05:26|
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ハンプトン・ローズの怪物・その二(モニターの挑戦)

前回「ハンプトン・ローズの怪物・その一」からの続き・・・

1861年アメリカ南北戦争が勃発。
1862年3月8日、南軍装甲艦「バージニア」は封鎖を試みていた北軍の軍艦とハンプトン・ローズで交戦。
それは「バージニア」の独壇場だった。

北軍の木造帆船コルベット「カンバーランド」を衝角攻撃で撃沈。
さらに「コングレス」を爆沈させる。


翌3月9日、応急修理を施した「バージニア」は、座礁中の北軍軍艦「ミネソタ」(木造帆船)にとどめを刺すべく再出撃する。
しかし、そこに待っていたのは、後に「バージニア」と同じ装甲艦に類別されることになる北軍の新装甲艦「モニター」だった。(アンケートモニターのモニターではない)

「・・・・?なんやろアレ?缶詰の缶みたいなケッタイなやつが、こっちに来るでぇ!」
「バージニア」の見張りが「モニター」を視認したとき、そう思ったのではないだろうか?(ボクの想像)

monitor23.jpg
《右砲戦態勢で接近する「モニター」とした。
水面上のモニターは薄い板切れの上に丸い缶詰の缶を載せたようだ。
絵に描いてみると、以外にもムズカシイ!
アホらしいほど単純な形なので、オモチャのようになってしまう》



これより前、北軍の装甲艦「モニター」は荒天の中をニューヨークからハンプトン・ローズに向かって出撃。
なんとか、夜遅くにハンプトン・ローズに到着したのだ(ジョン・L・ウォーデン大尉が指揮)。

「モニター」は味方(北軍)の軍艦を南軍装甲艦「バージニア」から守り、さらに装甲艦「バージニア」の脅威から北部の都市を守るために急がされて来たのだった。

「モニター」は3月9日午前1時、座礁していた北軍軍艦「ミネソタ」の視界に入る。
ということは、まもなく「モニター」と「バージニア」は交戦しただろうから、夜戦ということになるのでは(調べてみたが、わからない)?


「バージニア」を確認した「モニター」は距離1800メートルで砲撃開始。
砲弾は「バージニア」の装甲に命中、激しい衝撃を与えるが、鉄板にひびをいれたにとどまる。
つづく2発目は跳ね返される。

これに対して「バージニア」も反撃を開始、1発が「モニター」の砲塔をへこませる。
両艦の乗員は、砲撃の音で耳が聞こえなくなり、砲煙で何も見えなくなりながら砲撃を続けたという(換気も悪かっただろう)。

戦闘は接近戦になる。互いに衝角(ラム)攻撃をしようとするが、両艦とも運動性が悪いのでうまくいかない。
4時間半の激戦のすえ、「バージニア」のブキャナン大佐はついに退避を命じる。
(ほぼ同時に「モニター」のウォーデン艦長も退避を命じたという説がある。)

hunptonroadskessen12.jpg
《接近戦をする「バージニア」と「モニター」。手前が「バージニア」。
夜戦だったろうというボクの想像で描いた(ちがうかも?)。
4時間半もの戦闘だったというから、同航戦(同じ向きに航行して戦闘すること)だっただろう》



両艦とも損害がでており、「バージニア」は沈没を避けるために、
幾つかの砲を捨てなければならなかった。

二隻の装甲艦は、どちらも問題が多い艦だったが、「モニター」の砲はバージニアの砲と比べてかなり強力だった。
「バージニア」が辛うじて「モニター」の装甲をへこませただけなのに対して、「モニター」は「バージニア」の装甲板に数ヶ所のひびを入れる。

攻撃の際、「モニター」は主に徹甲弾を使って「バージニア」の上部構造を狙った。
設計者エリクソンは、それを聞いて、『もし榴弾を使い吃水線を狙ったならば、「バージニア」は容易に沈んでいただろう』と激怒したという。(Ken Burnsのドキュメンタリー"The Civil War, episode 2: A Very Boody Affair: 1862"より引用。)
「バージニア」は水線下は木造のままだ。もし水線下に「モニター」の砲弾が命中していたら、あっけなく、決着がついたかもしれない。


続く2ヶ月の間、「モニター」を戦闘に引きずり出そうと、「バージニア」は数回、単艦で出撃する。
一方、北軍は「バージニア」を北軍の都合のよい水域におびき寄せ、海に出てきたところを、「バージニア」の水面ぎりぎりの甲板の両端に大型蒸気船を乗り上げ、そのまま沈めてやろうと目論んだ。
ただ、「モニター」はどうしても避けようがない場合を除いては戦いに参加しないよう、大統領命令を受けていた。

結局、「バージニア」対「モニター」の装甲艦同士の戦闘は再起せずに、ハンプトン・ローズ海戦は終る。
南軍装甲艦「バージニア」は3月8日の戦闘で北軍に打撃を与えたが、戦略的には目的を果たせなかった。


<北軍装甲艦「モニター」のこと>

北軍装甲艦「モニター」はスウェーデンからの移住者、発明家でもあったジョン・エリクソンが設計。
南軍が「メリマック」(改装後は「バージニア」)を装甲艦に改造しているという情報を得て、急遽建造を始め、1862年2月下旬になんとか完成させた。

<船体と装甲>、
排水量1200トン(987トン説もある。ライバル「バージニア」よりかなり小型だ)、
史上初の鉄材だけで作られた艦だった。
乗員は55人。

鋼板で装甲された上甲板は水面ぎりぎりの高さしかなく、砲塔と小さな矩形の操舵室、分離可能な煙突および少数の取り付け器具を除いて、艦の大部分は敵の砲撃からの損害を防ぐために水線下にあった。
水面上の「モニター」の姿は、とても薄い板切れの上に丸いツナ缶が乗っているようだ。
敵艦から見れば、船体はほとんど波に隠れ、ツナ缶のような円筒形の砲塔だけが見えたのではないだろうか?

内径20フィート(約6m)の砲塔は8インチから9インチの鉄板(約23cm、重量120トン)で覆われ、
側壁は2インチから4.5インチ(約11,5cm)、甲板は0.5インチ(約1,3cm)の鉄板が使われていた。

<武装>
11インチ(約28cm)のダールグレン滑腔砲2門のみ。

<機関、航行性能>
「モニター」は、建造に100日かけ、1862年1月30日にブルックリンのコンチネンタル製鉄所からニューヨークのイースト.リバーに運ばれて進水。
47の新案の発明が使われていたが、テスト航海で多くの問題が明らかになる。

船は舵に反応せず、船体には水漏れがあり、ベンチレーターが役に立たなかった。
排気ガスが船室内に満ちて船員達を悩ませる。
その蒸気機関は推進機の他、砲塔の旋回、弾薬供給、機械室の通風などにも使われた。
速度は9ノット(時速18km、ライバル「バージニア」と変わらない)

それでも、「モニター」は革新的だった。
艦の部品は9カ所の鋳造所で鍛造され、1カ所に集められて建造。
「モニター」は 旋回砲塔に加え、エリクソンによるスクリューが装備された初の海軍艦艇だった。
設計者エリクソンは「モニター」に近代潜水艦の装備の多くを試み、いわば最初の「半潜水艦」として完成させた。
「モニター」の特徴である、鉄製、旋回砲塔などは、その後の戦闘用艦艇がことごとく装備するようになることをみても、先進性がうかがえる。

帆船や蒸気帆船がほとんどだったころ、どうですか「モニター」の怪物ぶりは?
一方、南軍装甲艦「バージニア」は上部が装甲で覆われてはいたものの従来の木造船であり、既存の艦の延長に過ぎない。


ハンプトン・ローズ海戦の結果、装甲艦の武器としての優位性が認められる。
装甲をもつ艦とそれをもたない艦が交戦すれば、もたない艦の劣勢がハッキリしたのだ。
「モニター」の登場は、それまでの木造軍艦を一気に時代遅れにして、軍艦は鉄の時代に突入した。

北軍の「カンバーランド」を撃沈した衝角(ラム)はその後に就役した軍艦に装備される。有効と認識された。
しかし、砲が発達して日露戦争で砲撃のみで敵艦を撃沈出きることがわかると、衝角(ラム)を装備する艦はなくなっていく。

これより数年前、久里浜に現れた4隻のペリー艦隊は
「黒船」の名前から鉄張りと思われがちだが、実はちがう。
2隻は木造の蒸気外輪船、2隻は木造帆船だ。


実は、軍艦の艦種にモニターというのがある。
艦体に比べてデカイ砲を搭載し、
喫水が浅く。波の静かな内海や河などで用いられる艦種だ。

その目的は搭載したデカイ砲での対地攻撃だ。
デカイ砲の移動手段だった。
陸上でデカイ砲を移動させるのはムズカしい。

それに比べると船には巨砲を積むことができる。
艦載砲が陸上の砲よりデカイ理由だ。
その艦種名モニターは、今回の北軍装甲艦「モニター」に由来する。


<その後>

「モニター」は1862年12月31日、運送船「ロードアイランド」による曳航中に高波におそわれノースカロライナ州ハッテラス岬沖で沈没、62名の乗組員のうち16名が行方不明となった。
水面ぎりぎりの高さしかない「モニター」の上甲板が波が荒い海では、致命的な弱点だったのだろう。

南北戦争は、南軍に利あらず、南軍はノーフォーク地区を見捨てることになった。
南軍装甲艦「バージニア」はハンプトン・ローズをうまく脱出するチャンスがほとんどないことが判ると、
鹵獲されるのを防ぐため、1862年5月11日の早朝、「バージニア」をクレイニー島へ擱座させて火を放った。
約1時間に渡って猛烈に燃えた後、弾薬庫が大爆発して果てる。



ハンプトン・ローズ海戦の結果をみて、各国で装甲艦が建造される。
その不思議な形がとても面白い!
また、装甲艦のことを書きたい。



ハンプトン・ローズの海戦
http://www42.tok2.com/home/fleet7/Museum/Muse049.html
wikipedia「ハンプトンローズ海戦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B5%B7%E6%88%A6
を参考にしました。









  1. 2013/09/24(火) 06:51:20|
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