ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

十八頃までは・・・(信長夜話・その3)

重臣(おとなと呼ばれた)平手政秀が美濃の斉藤道三と話をまとめ、
三郎様(信長)と道三の息女との縁談が決まった。
天文16(1547)年のことです(天文17年説あり)。

道三の息女といえば小説、漫画、テレビでおなじみの通称「濃姫」(のうひめ)です。
美濃の姫だから「濃姫」。本名は帰蝶(きちょう)といわれています。

縁談がまとまったといっても、いっしょに住み始めたわけではない。
信長の女性関係は後日、書くつもりです。

「信長公は十八頃までは特別の遊びはせず、朝夕馬を責め、
3月から9月までの間は川で泳ぎ、水泳の達人であった。
この頃、竹槍を使った模擬戦を見て、槍は短いのはいかんと
自軍の槍を三間柄や三間間中柄などの寸法に改良した。」と信長公記は書いています。

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このころの信長は水泳が好きだったようですね。

イラストのようなバタフライで泳いだかどうかはわかりません(バタフライであるわけないがや!)。
スポーツ好きだったらしい。
いや、今の高校生ぐらいの年令ですから、体を動かしたくてしかたのない頃だったのでしょう。

どこの川(池)で泳いだのでしょう?
那古野(現在の名古屋城あたり、名古屋市の中心部)から近くの川というと
庄内川(現在では)が思い浮かびますが
「ちょっと泳いでくるは!」というには距離があるように思います。

やっぱり近くの池かな?
ボクは庄内川の河口近くの学校に通っていました(お前のことはどうでもいい!御意!)。

このころの三郎信長はなにを思っていたのでしょうか?
父親の織田信秀は尾張の一部を支配下に置く戦国武将。
その嫡男としての責任と不安でしょうか?

自軍の槍を三間柄に改装したと信長公記にあります。

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以前に読んだ太閤記(秀吉の物語)だったか、信長に仕える藤吉郎(秀吉)が三間柄の槍に改装させた。
と書いてあったのを覚えています。藤吉郎の手柄のひとつだと。

このころの藤吉郎(秀吉)にかんする信用できる史料はありません。
作家が信長公記のこの箇所から拝借してデッチあげたのでしょう。

ところで三間柄の槍とは5.4m。当時の標準は二間半の4.5m。
棒高跳びのポールが6mぐらいですから、三間柄はかなり長い。
三間半の槍もあったと言われています。
(イラストの槍はすこし短かった!足軽の身長と比べると)

槍は叩きつけるようにして使ったというのが有力な説です。
振り上げて叩きつけるのにも体力が要ります。本当でしょうか?

三間柄はとり回しは良くなかったと思いますが、槍衾(やりぶすま)をつくらせたのでしょうか?
(槍衾とは大勢がすき間なく槍を突き出して構えること。騎兵の突撃に対して歩兵の有効な戦法といわれています。しかし、当時、騎兵の考え方はなかったといわれています。)

それとも、長さのちがう槍ごとに組を作らせ、
それらの槍の長所が発揮できるような配置をとらせたのでしょうか?



  1. 2010/07/27(火) 07:18:50|
  2. 信長夜話
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待つ男

《デートの待ち合わせに15分早く着く。》

「ブレンドのホット」などと注文。
「後から一人来るから!」などと余計なことを言ったり、服についたホコリなどを払ったりする。
ウキウキ、ワクワクワク・・・

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《待ち合わせ時間から30分経過(合計45分)。》

「道が混んでいるのかな?」「出かける間際になんかあったのかも?」
「あの子はカワイイから、途中、変な男に声をかけられているかも・・・?」
(お前も変な男のひとり?)

「オレは出かける前に風呂に入り、パンツ(下着の)も新しいのに変えたんだから!」
(知らんがな!)
「あそこで映画の話をして、あそこで食事をして、今日はワインなんか頼んじゃおかな・・・
そして、あそこで・・・ムフフフフ・・・。チクショー、このこの!」
(前向な考え。プラス思考?)

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《待ち合わせ時間から45分経過。》

「おかしいな・・・?」「日にちを間違えていたかな?いや、今日だ!」
「オレ、待ち合わせ場所をここだと言ったよな?聞き違いしてないだろうなあ?」
「ま、いいか、たまには待つのも・・・」

「来るとしたらあっちからだよな?」とキョロキョロ。
(男はカワイイな!、いや、女も!)
「待ったぁ~!」と来るかもしれないので、格好に気をつけなきゃね!
(ちょっとツライ)

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《待ち合わせ時間から60分経過。》

「来ないじゃないか。クソ!すっぽかされたか?」
「あと5分待とう・・・」

「ゴメン、待ったぁ~!」と来たら、「遅いじゃないか!」とたしなめてやろう。
いや、それで気まずくなるのもイヤだな。
「事故でもあったのかなと思って?心配したよ。」と言おう。
「優しい人、ウッフン!」と思うかもしれない(下心ありあり!)。

もう決定的なのに、惚れた弱み。

「あれ!こっちに向かって信号待ちをしている女(ひと)・・・。あ!ちがったか!」
このころには、待つのに疲れ、もう、服のホコリも払ったりしない・・・

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人は受け入れ難いことが我が身に起こると

(1)まず、「なぜ?」と疑問がおきる。うぬぼれたヤツは「なぜ、オレが?」

(2)次に「怒り」。今回の場合、「遅れたことを問い詰めてやろう!
だって、遅れてきた相手が悪い!」

(3)次は「取引」。「あと10分以内に来てくれたら、遅れたことは責めないでおいてやろう。」
このうらには「だから来てくれー!」が隠れています。

(4)そして「あきらめ」が・・・。受け入れ難いことを無理して飲み下す。
うぬぼれが強いやつほど飲みにくい。


イラストは女を待つ男という設定ですが、
こういう設定は男が待つほうが滑稽?なので男にしましたが、当然、逆もあります。

ボクは過去に3時間待ったことがあります。
もちろん、相手は来ませんでした。なさけない・・・

携帯が普及した現在では、また別の物語が・・・




  1. 2010/07/20(火) 06:41:28|
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睡眠薬(ジョーク)

医者 「どうですか具合は?よく眠れるようになったでしょ?」」

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患者 「あの、同じ会社の市川さんは、ここで出してもらった睡眠薬を飲むと、
夢に秘書課の美人が全裸で出てきて、ベットに入ってくるんだそうです。」

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医者 「はあ、それで?」

患者 「私は睡眠薬を飲むと家内が夢に出てきて、ベットに入ってくるんですよ。おかしいじゃないですか?」

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医者 「はあ、でもそれは仕方がありませんな、あなたのは健康保険ですから。」

患者 「・・・・・」



阿刀田高著「ブラック・ジョーク大全」講談社文庫 ¥480(税込み)、を参考にしました。



  1. 2010/07/13(火) 06:48:43|
  2. ジョーク
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三郎様の初陣(信長夜話・その2)

前回の続き「信長夜話・その2」

織田三郎信長の初陣です。天文16年(1547)信長14歳、今なら中学2年ですね。

前年の天文15年、父、信秀の古渡城(ふるわたり)で13歳で元服、「三郎信長」を名乗ります。

「信長公記」には「今川領より敵が侵入してきたので、三州の吉良大浜に出陣、各所に放火して、野陣し、翌日城に帰った。」と書かれています。

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この初陣には異なる説があります。<よくやった説>と<儀式説>です。

<よくやった説>
信長は2千~3千の敵に対して8百ほどで、反対を押し切り出陣。風の強い日をねらって、一気に攻め入って吉良・大浜の諸所に火を放った。驚いた今川勢は散りじりになった。
その日は野営し(キャンプ?)、翌日には那古屋に帰陣。上首尾だった。

<儀式説>
信長は吉良大浜から離れたところに陣をはり、兵を放って放火。派手な鎧を着せられ、大将とは名ばかりの形式的な初陣であった。傳役(もりやく)の平手政秀たち重臣(「おとな」と呼ばれた)の演出だった。

ボクは「儀式説」に傾いています。

織田氏と友好関係にあった水野信元の領地での初陣です。
比較的安全な地域で初陣させ、戦場の雰囲気に慣らす手はずだったのでしょう(それが普通だった)。

重臣が『三郎様(信長のこと)、今ですぞ、「かかれ!、火をかけよ!」と大きな声で下知なされませ!』
などと耳うちしたかもしれません。

信長は初陣前にも少年を集め、ケガ人が出るような「戦ごっこ」(模擬戦)をしていたでしょう。
信長は頭も切れますが、体育系でもあった。
初めての実戦(初陣)を見て「これが戦か?」と拍子ぬけしたかもしれません。

儀式のような初陣にシラケていたとボクは思います。
益のない形式には興味がない信長でしょうから。


「紅筋の頭巾、羽織、馬鎧」という派手な若武者スタイルであった。と書かれています。
重臣たちが「三郎様、初陣の鎧兜をご用意いたしました。」とおぜん立てしたのでしょう?

重臣たちは信長を自分のコントロール下に置きたいと考えていたと思います。
信長はなにかと世話をやく重臣の下心を読んで、
内心、「お前らの言うとおりにはならんは!」と思っていたのではないでしょうか。

「皆、気を使ってくれる。居心地がいいなあ!」などと思うボクのようなボンクラではなかった。信長は。

「織田信長初陣図」(個人蔵)がありますが、江戸時代に画かれたもののような気がします(不確か)
きれいな若武者が鎧櫃?に腰かけている絵です。絵からリアリティーは感じられません。


イラストの信長は当世具足前の古い様式の鎧にしました
(鉄砲はまだ普及していなかったと仮定しました。鉄砲の普及とともに対鉄砲の当世具足が普及してきます)。
「若い女のような美しい若武者」であったと言われています。
おそらく、丹精でハンサムだったのでしょう。

信長の父、織田信秀はなかなかのやり手です。
おじいさんの信定から3代にわたり織田弾正忠家は人材に恵まれました。

信秀は信長に読み書きの勉強はさせたでしょうが、他の戦国大名のように師(おもに僧侶)につかせて帝王学を学ばせなかったように思います。

これから混沌とした戦乱の時代が続く、常識が通用しない時代。
その時代にだれもが考えつくような常識的判断を教え込めば未来は危ういと信秀は考えた。

今までの経験が通用する時代とは思えない。信長の思う通りにやってみろと考えたのではないでしょうか?
可能性を信秀は信長に感じていたのでは(今だから言えることですが)?

三州の吉良大浜は現在の愛知県、碧南市、衣浦港あたりでしょうか、
海辺もしくは海が至近距離だったでしょう。衣浦湾をはさんで対岸は知多半島の半田です。
ちなみに、三州は三河(愛知県東部)。吉良大浜の吉良は吉良上野介、吉良の仁吉で有名です。

このあたりが当時、織田と今川の最前線だったのでしょう。
私の住家から一般道をクルマで2時間ほど南下したところです。



  1. 2010/07/06(火) 06:56:17|
  2. 信長夜話
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