ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

それは神業・・・

海軍パイロットの華は空母艦載機の搭乗員達でしょう。
それも戦闘機パイロットということになると思うのですが、
今回は艦上爆撃機についてです(へそまがり!)。

egusa22.jpg

イラストは一見するとごく普通のおじさん(失礼)ですが、この人こそ「艦爆の神様」と言われた江草 隆繁少佐(えくさ たかしげ、1909年9月 ~ 1944年6月15日)です。

1942年4月5日、セイロン島沖のインド洋で江草 隆繁少佐(当時)率いる99式艦爆53機は空母を飛び立ち、
急降下爆撃でイギリス海軍の重巡洋艦「コーンウォール」と「ドーセットシャー」を撃沈しました。
この時の命中率(命中弾÷投弾数)はなんと87%!

さらに、4日後の4月9日、85機の艦爆を率いてイギリスの軽空母「ハーミス」と駆逐艦「バンパイアー」を撃沈。
この時の命中率、ななななんと!82%!! 正確無比な神業でした。
動き回る軍艦への急降下爆撃としては世界一の命中率だったと思われます。

重巡「コーンウォール」と「ドーセットシャー」は対空戦闘しながら約30ノット(約、時速60km、船としては高速)で回避運動をしたのにもかかわらずです。
空母「ハーミス」は直援(上空を守る)戦闘機がいなかったこともありますが、軍艦として当然、対空戦闘、回避運動をしていたでしょう。

99kanbaku0515.jpg

軍事関係のノンフィクション作家・ピーター・C・スミスは、『爆撃王列伝』で急降下爆撃のエース7人を挙げ、そのトップに江草氏を紹介しています。
真珠湾攻撃から約4ヶ月後、日本海軍艦爆隊の栄光の瞬間でした。

1942年前半の日本海軍の機動部隊(空母を主軸とする艦隊)、すなわち第一航空艦隊(略して一航艦、通称「南雲艦隊」)は当時、世界最強の機動部隊でした。
その要因のひとつに練達の搭乗員の高度な職人芸があったのです。(職人芸というところが日本の弱点でもあったとも思いますが)

このころ、一航艦の自信は頂点に近ずいていました。
「向かうところ敵なし」「鎧袖一触」「白刃一閃」「空前絶後」「騎虎の勢い」「無敵、南雲艦隊」。そして、忍び寄る「増長と油断」・・・


1941年12月の真珠湾攻撃では江草少佐は第二波攻撃の艦爆隊を指揮しました。
第二波には敵の対空砲火も目覚めていますし、米戦闘機が待ち構えているかもしれません(実際、少数ですが戦闘機が迎撃しました。)。

江草少佐は第二波の艦爆隊を率いて修羅場の真珠湾上空に進出、そのまま編隊で真珠湾を一周したそうです。
それは状況確認と戦果確認だったといわれています。もちろん、付き従う機の各搭乗員に確認させるためだったと思われます。

江草少佐はインド洋作戦の後、ミッドウェー海戦に一航艦、二航戦(第二航空戦隊の略)の空母「蒼龍」に乗艦して参加。
しかし米艦爆の攻撃で「蒼龍」は沈没。敵空母攻撃に飛び立つことが出来ませんでした。
連合軍側の研究者は「ミッドウェーで江草の率いる艦爆隊が出撃していたら、米機動部隊はあの程度の損害ではすまなかっただろう?」と言っています。


<参考まで>
当時の日本海軍の正規空母の搭載機は3種類。

<零式艦上戦闘機>
ご存知、ゼロ戦ですが、日本海軍では日本式に「れいせん」と呼んでいた。制空、直援を任務とします。

<99式艦上爆撃機>
きゅうきゅうしき・複座で主に急降下爆撃を任務とする。艦攻より身軽なので敵戦闘機と空中戦をしたこともあったそうです。

<97式艦上攻撃機>
きゅうななしき・三座で雷撃、水平爆撃、索敵を任務とした。

<参考まで>終わり。



急降下爆撃とはピンポイントで目標を爆撃する方法です。
高度4~5000mで目標に接近、急降下して高度500mあたりで投弾、投弾したら一気に機体を引き上げて目標上空を離脱します。
目標に接近して投弾するため命中率が高く、艦船攻撃に威力を発揮しました。

急降下角度は50度~60度と言われていますが、南太平洋海戦でアメリカ空母「ホーネット」を爆撃する99艦爆の有名な写真がありますが、それを見ると角度はもっと深い感じがします。
戦場では基本どおりにいかないのでしょう。


指揮官の「突撃隊形作れ」の命令で一列になって急降下する。
この方法は前の機の投弾を修正しながら投弾するので命中精度があがる。このセイロン島沖の実績をみればそうなのでしょう。
しかし、この方法は対空砲の照準がつけやすく、損害も多かったそうで、戦争後半では各機一斉攻撃に変更になったそうです。

目標に照準をあわせ、敵艦の回避運動に機を修正しながらダイブ、味方機との衝突を避けて投弾。
機体を引き起こすと失神しそうなGが体にかかります。また恐怖の敵戦闘機に気をつけなければいけません。
激しい運動をするため、搭乗員には過酷な任務だった(艦戦も艦攻も過酷ですが)。

第二次世界大戦で連合国艦船をもっとも多く沈めた航空機は、口の悪い日本海軍搭乗員達から「99式棺おけ」と呼ばれたこの99式艦上爆撃機です。

江草少佐はセイロン島沖の栄光から二年後、「あ号作戦・マリアナ沖海戦」で日本海軍期待の新鋭攻撃機「銀河」で編成された「鵬部隊」を指揮して米機動部隊攻撃に飛び立ち、帰らぬ人となりました(戦死後、大佐)。
もう日米の戦力差は絶望的に開いていたのです。そして、マリアナ沖海戦で日本海軍機動部隊は実質上、壊滅します。

「今度は湊川だ!」と戦地に赴く江草氏は家族に告げたそうです。
(湊川とは楠正成の戦死した戦さ。楠正成は南北朝時代の南朝方の武将。戦前は大変に人気のあった人で、「太平記」の講談をきかせる寄席で「明日、楠正成現る」と告げるとドッと客が入ったといわれています。)

イラストは対空砲火の弾幕をかいくぐって、イギリス空母「ハーミス」にダイブする99式艦上爆撃機一一型、江草少佐機です。
空母ハーミスがイラストのような操艦で回避運動をしたかどうかはわかりません。ボクの想像で画きました。
命中率からして、イラストのような至近弾による水柱は少なかったと思われます。









  1. 2011/02/22(火) 07:45:12|
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電車の中

densyanonaka14.jpg

男というやつは!

「・・・・」

女も同じかもね?

「・・・・」

イラストに解説の必要はないですね。


話はちょっと変わります(もう変わるの?)。

以前、寒い日のことです。
取引先の会議に出席させていただき、会議終了後、一緒に仕事をしている方と2人で名古屋駅までの途中、安い居酒屋でイッパイやることになりました。
会議後の開放感もあって、2時間ほど飲み食いしました。

すこし酔ったので、「駅まで車で迎えに来て欲しい」と家人に電話してJR中央線へ・・・。なんとか座ることが出来ました。
いつもの夜景が窓外を流れ、「あと二つ目でいつもの駅だ。ここまで来れば大丈夫・・・」と思った刹那、ボクは落ちました!
落ちたといっても恋にではありません。間違えないように(わかっとるわい!)。
睡魔がボクをやさしく抱きしめたのです(なんて、ミステリー小説ならこう書くかな?)。

ハッと気がつくと、降りるつもりの駅を乗り越し、3つ目の駅を過ぎ、4つめの駅の手前。それも車内アナウンスでわかったのです。
「しまった!」と思いましたが、しかたありません、「是非におよばず!」
4つ目の駅であわてて降りると駅前でタクシーに乗り、降りるはずの駅まで・・・・

家人は待ちぼうけをくらって、ウンザリ!そして高いタクシー代を払いました。
高い高い酒代になってしまいました。

「新神戸で下りるはずが、気がついたら小郡(新幹線)だった!」という知人もいることですから、
それに比ぶれば、たいしたことではござなく候う。






  1. 2011/02/15(火) 06:40:21|
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暗殺と女人踊り(信長夜話・その13)

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弘治2年(1556)6月、信長の兄(父、信秀の側室の子。信長は正室の子。)で守山城主、織田安房守秀俊が家臣に殺されます。
「秀俊が若衆を重用したことで家老の角田新五と不和になり、角田は秀俊を殺害した。」ことになっています。

信長は罪を問うこともなく、角田は信長の家老、林秀貞の保護を受けた形跡があると思われています。
信長にとって秀俊は邪魔な存在だったのでしょう。秀俊は「利口なる人」と伝えられています。

信長が影で糸を引いたかどうかはわかっていませんが、黒に近いグレーだとボクは思っています。
この事件は斉藤道三の敗死(信長夜話・その12をご参照下さい)から2ヶ月後の出来事です。

信長には12人の男兄弟がありました(異説あり)が、そのほとんどが敵対する関係です。
このころ信長は尾張下四郡の支配者なのですが、それは不安定な状態で、知多郡(現、愛知県知多半島)は今川勢に占領されていました。
周りは敵ばかり!

「そんな7月18日、信長は津島(現、愛知県津島市)で盆踊りを盛大に催します。
側近や馬周りたちが赤鬼青鬼・地蔵や弁慶といった仮装をして、信長本人は天人の格好をして小鼓をうち、女人踊りを踊った。
津島の人たちに大いにウケ、津島衆が清洲まで御礼の踊りを見せにやってきた。
それを信長は喜び、一人一人に言葉をかけ、茶などをふるまった。皆感涙して帰っていった。」と「信長公記」は伝えています。

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信長という人はパフォーマンスが好きなようですね。後の「馬揃え」なども政治的意味があったと言われていますが、やりたかったのもあったのでしょう?
また、芸能好きで唄や舞が好きだった。
信長の舞の技量がどれほどのものだったかはわかりませんが、師匠がいたと言われていますから津島の庶民の踊りとはチョット違っていたのかも?

この盆踊りは「有力な財源であった津島の民衆の心を掴んでおきたい。」という政治的思惑と「いくら考えても、軍事的状態が良くなるわけでもない、憂さ晴らしに津島でパッとやるか!」という思いつきだったように思います。
当然、金も気前良く使ったことでしょう。

「ほれ、あそこで踊っとらっせる天人のかっこうをしとるのが上総介様(信長のこと)だがね。」
「どこぉ?あれ?あれかね?ほぉーッ」と津島衆。

津島は当時、尾張を代表する川湊でした。今でも津島天王祭(7月第4土曜、日曜)では沢山の提灯を球形に飾った数艘の巻藁船を浮かべる華やかなクライマックスがあり、かつての羽振りの良さを偲ぶことができます。

当時の津島は自治組織「惣」によって運営されていました。津島の商業活動は桁違いの活気だったのでしょう。
信長のおじいさん、信定は津島を織田弾正忠家に取り込むことを目論み、父、信秀の代には支配下に置いていたと思われます。
流通経済に注目していた先進派(少数派)の戦国大名家だったのです。

信長が生まれたといわれる勝幡城(しょばた/那古野城で生まれたという説もある)は津島の近くです。
津島は若き信長の強力なパトロンだった。
津島衆との付き合いから信長は流通から上がる莫大な財を実感したのでしょう。

後の越前侵攻なども流通(日本海側の流通)を抑える戦略的行動だったのかもしれません。
また津島神社を保護しました。津島神社の神紋は織田家と同じ胡瓜紋です。(あの織田家の家紋は胡瓜の断面だったのだ?)

現在の津島は名鉄津島線の終着駅、津島神社の町として知られていますが、すこし前は毛織物の産地でした。
今は毛織物、商店街が衰退して名古屋のベッドタウンになっています。

それでも古い家が残っていたり、
日常的にお茶(抹茶)をいただく習慣が残っていて、信長とのつながりを思い出させますが、思い過ぎでしょか?

津島神社のご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)。
ボクは長い間、「牛頭天王はミノタウロス(牛頭人身の怪物)系の神様だろう?」と思っていました。
なんといっても「牛頭」ですからね。字面から想像していたのです。
調べてみると牛頭天王は「祇園精舎の守護神」だということです。

イラストは津島の街中を踊る信長主従としましたが、天人の衣装は能衣装を参考にしました。
「天人の仮装をした信長」を画くのは難しかったです。チョットきもち悪い信長になってしまった?

「津島の盆踊り」は信長23歳の出来事。「桶狭間の戦」の4年前です。

谷口克広著「織田信長合戦全録」中公新書¥840+税 を参考にしました。







  1. 2011/02/08(火) 07:04:34|
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♪女神様がおるうんやぁでぇ~♪

植村花菜さんの「トイレの神様」がヒットしましたね!
おめでとう!

はじめて、「トイレの神様」を聞いたのは車のラジオから。
「紅白歌合戦」への出場が内定していたのでしょう、NHKの朝のラジオ番組にゲストで植村花菜さんが招かれていました。
当然、「トイレの神様」がノーカットで流れました。引き込まれました。

おばあちゃんの話す「それはそれは綺麗なトイレの女神様」にからんで、少女(孫、すなわち自分)の成長、おばあちゃんとのエピソードが歌われます。
関西弁、ほほえましい話だけではないところ、ホロリとさせる。トイレと女神との対比、ちょっとユーモラス、新鮮ですね。

「ホロリとワハハハの同居」が魅力的な脚本(物語)の基本だとボクは思う。「絶望のなかの笑い」、「喜劇のなかの涙」に心がゆさぶられる!  脱線しました。

toirekamisama 32

「それはそれは綺麗なトイレの女神様」ときいて、すぐ思い浮かんだ光景がこれ。
さっそくイラストに・・・

「こんなトイレ、今時あるかいな!」
「女神様も、こんな体勢で天井にへばりついていたら、もちませんよ!」
「天井にへばりついて笑われたら、キショク悪る!」
「スパイダーマンみたいやな!」

ごもっとも。
 
綺麗なトイレでは絵として面白くありませんので、今時めずらしい形のボットン便所とさせていただきました。
「もし、トイレに女神様がいるとしたら、やっぱりこれかな?」と天井にへばりついてもらいました。
これが最初に浮かんだのだから仕方ないでしょ(居直る)・・・

「本当のトイレの女神様?」は体の大きさも自由にかえられ、現れるのも消えるのも自在。
西洋の妖精のようなものなのでしょう?(それでいてトイレに住み着いている)

トイレとお金とは関係があるそうで、「商人はまずトイレをピッカピカにするところから・・・」と聞いたことがあります。トイレを綺麗にするとお金に恵まれるそうです。(風水だったかな?)

「今日もキレイにしてくれてありがとう。ちょっと前まで自分の一部だったものを、コイたとたんに忌み嫌う勝手なヤツばかりなのに、お前はエライやっちゃ!ご褒美だホレッ!ウンとこさやろう!」と女神様が・・・
こういう人に「ジャンボ宝くじ」なんかは当るのでしょうね?「ウン→金」なのだ!

「よっしゃ!今日はトイレ掃除だ!ピッカピカにしたるでー、ほんま、見ててやー!」(下心ありあり!)

食事中の方には失礼しました。





  1. 2011/02/01(火) 06:45:44|
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