ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

人気(ジョーク)

<ジョーク>
ninki21.jpg

葉子 「ねえ、なんでミカは人気がないの?」

ユミ 「人気コンテストで優勝したからよ。」

葉子 「・・・・」


植村黎 編・訳「ポケット・ジョーク」角川文庫 ¥300 を参考にしました。



<余談>

今回の《「人気」ジョーク》とは関係がありません。

昨日、物干しに干してあった衣類などを部屋に取り込んだ。
その直後に雨がぱらぱらと降ってきた。ギリギリセーフ。
今日の天気予報は夜から雨の予報。取り込んだのは午後2時ごろ。夜までには時間がある。

なんでこんなことを書くのかというと、ここ何年か何度もこういったことが起きるからだ。

雨がふりそうな空模様だが、「降られてもいいか」と散歩に出る(ボクは散歩の趣味がある)。
なんとか雨に降られずに帰ってくると5分もしないうちに雨。

出張の予定をたて、「傘は荷物になるのでもっていきたくないな」と思って出かけると、
当日は雨が降らなかった。などなど・・・。

洗濯ものの取り入れ以外にも天気に助けられている。
「晴れ男」は言いすぎだが、「降られない男」ということかな?

ありがたいことだ!

「偶然が続いているのだろう?」がボクの主たる思いだが、偶然にしては多すぎる。
「異なる力が働いているのでは?」とすこし思ったりする。

さえない人生をおくっているボクだが、チョット不思議を感じている。





  1. 2011/04/26(火) 06:51:35|
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閑古鳥(かんこどり)

福島原発事故の推移を見ていると、
「原子力というのは手におえる代物ではないな」と思う。

「効率、金、組織の存続・・・」などが最優先される考え方で開発、管理されては、危うさだけが先に立つ。

「放射性廃棄物は金属のケースに入れ、地中深くコンクリートで作られた施設に貯蔵する」というのを前に聞いた覚えがあるが、「そんなことで良いの?地震が起きたらもつのか?」と当時、ボクのような素人でも思った。

放射性廃棄物処理問題はどうなってしまったのだろう?
うすら寒い人間の英知だ。



出だしから脱線しました。今回の本題「閑古鳥」です。

kankodori1112.jpg

「閑古鳥が鳴いている」とは店に客が来なくて、さみしい様を言った例えだが、それがさらに悪化すると「閑古鳥も来ない!」(せめて、閑古鳥ぐらい来てくれ!と)。

今回の震災と原発事故は多くの問題が表面化した。
「これまでも厳しい商いが続いていたが、震災後、さらに悪くなった。店を閉めるかどうか決断しなくは・・・」と婦人服の小売店を経営をしている知人が話していた。

知人の窮状を心配している(心配してもなにも出来ない自分が情けないが、)。
この世情では「カッコいい服でも買おうかな!」という気分にはなりにくい(一部の若者を除いて)。
「ファッションに気持ちが向かない」というのが本音だろう。

夜の歓楽街(言い方が古いが、ひっくるめて言うとするとこれかな)も「閑古鳥も来ない!」状態だ。
ボクも「閑古鳥も来ない!」ような衣料品の小売店をやっていたこともあるので、大変さがよくわかる。

お客さんが来なくて、売り上げが無い日はズシリと重い疲れがのこる。接客の疲れのほうがはるかに軽い。
衣料品の小売店も水商売も震災の影響をうけているが、これらには補償はない。

「閑古鳥が鳴いている」という例えを初めてきいたのは、ずいぶんと前だ。
「閑古鳥という想像上の鳥がいるのだろう?鵺(ぬえ)とか獏(ばく)とか鳳凰(ほうおう)などの想像上の動物のひとつなんだろう?きっとやせ細ってシワのよった、貧乏神を鳥にしたような陰気なヤツだろう?」と想像していた。

しかし、それは違った。閑古鳥とは郭公(かっこう)のことだとわかった。
夏の山や森で「カッコー、カッコー」と鳴くあの鳥だ。ご存知だと思う。
その鳴き声を聞くと昔の人はさみしい感じがしたらしい。
芭蕉も「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥」とよんでいる。

イラストは客の来ない店で、いやになっちゃった店主(よくわかる)を画いた。
4~5日ぐらいお客さんが来なくてもなんとかなるが、10日も来ないと、未来永劫、お客さんがこないような気がするのだ。





  1. 2011/04/19(火) 07:05:00|
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現実を拒否?(ジョーク)

iewomatigaeteiru24.jpg

男 「夜、家に帰ると愛情をもってボクを迎えてくれる、やさしくてきれいな女が待っているんだ。これはどういうことなんだろう?」

友人 「それは、お前の脳が現実を拒否しているか、それとも、家を間違えているかだ。
きまっているじゃないか!」

男 「・・・・」






  1. 2011/04/12(火) 06:54:41|
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岩倉へ(信長夜話・その16)

ボクの住む名古屋地区はずいぶんと暖かくなってきました。
被災地の寒さが和らぐと良いですね。

織田信長と地震について調べてみた。
天正7 年1 月20日(1579年 2 月25 日)、現在の大阪近くを震源とするマグニチュード6.0程度と推測される地震があったようだ。
四天王寺の鳥居が崩れて余震が3日間続いたという(今回の余震は3日どころではなく、今も続いている)。

このころの信長は石山本願寺と衝突。さらに信頼していた配下の武将、荒木村重(有岡城、現兵庫県伊丹市) の寝返りへの対策を講じていたころだと思われる。
信長は安土にいたと想像する。「おお、揺れておるな、これは大きい!」と感じたかもしれない。
信長46歳のとき、「本能寺の変」の3年前。


今回の本題「信長夜話・その16」です。

永禄元年(1558)岩倉織田氏の内紛に乗じて、7月12日信長は出陣。軍を清洲から北上させる。

尾張下4郡の支配者(完成されていない)が信長とすると、上4郡の支配者は岩倉城(現愛知県岩倉市。)の守護代、織田伊勢守信安だった。
ただ、上4郡の支配とは名ばかりで、このころの信安は岩倉近辺のみが勢力圏だったらしい。

その信安が長男の信賢(のぶかた)と不仲になり、信賢は父、信安を追放してしまう。
それを信長は岩倉攻めの機会ととらえた。

清洲から岩倉に直進すると問題があったらしく(湿地?「信長公記」には「直進すれば悪所が続く」と書かれている)迂回して岩倉の北西、浮野(うきの・現愛知県一宮市)に陣をしいた。
犬山(現、愛知県犬山市)城主、織田信清(信長の従兄弟)も信長と合流。総勢1300~1700ぐらいだったとボクは想像する。

対する信賢も岩倉城から出撃して浮野で対峙した。3千というから、当時としては大軍。信長、信清連合軍のの倍ちかい。
勢力圏が小さいのに多くの兵を集めることができた理由がよくわからない?

ukinonotatakai12.jpg

正午ごろから戦いがはじまり、信長、信清連合軍の大勝で終わります。
信賢軍は千二百五十もの戦死者を出し、岩倉城に逃げ帰る。
逃げるときに多くが討たれたのでしょう。退却戦は難しい。「浮野の戦い」の結末です。
岩倉方3千といっても、兵の士気が低かったかもしれない?(なかば強制的にあつめられたか、義理の参加など)。

この戦いで、信長の鉄砲の師匠、橋本一巴(いっぱ)と岩倉方の弓の名人、林弥七郎の一騎打ちがあったと「信長公記」は伝えている。
結果は林弥七郎が討ち取られた(弓の負け?)。

iwakura22.jpg

その後、しばらくして信長は再び岩倉城を攻撃。城下を焼き払い、四方に鹿垣(ししがき)を二重、三重に築いて、廻番(まわりばん、)に巡視させた。包囲戦だ。
2~3ヶ月の包囲の末、火矢、鉄砲を放ってから城内に攻め込んだ。戦力の衰えていた信賢は支えきれず、城を明け渡した。
永禄2年(1559)の春のことです。信長26歳、桶狭間の戦の1年前。

信長は岩倉城を包囲するのですが、どうもシビレをきらして強引に攻めたように思う。
こういうところは信長より秀吉(いわば信長の弟子)のほうが一枚上のようだ。
岩倉城を攻略したことで信長は尾張の大半を手中に収めることになった(一部をのぞいて)。

このさなか岩倉織田氏の重臣・山内盛豊が討ち死にしている(自刃したとも)。
盛豊の三男が山内一豊。後の土佐藩藩祖、というより司馬遼太郎の「功名が辻」のほうが有名でしょうか?ただしこれは小説。

岩倉城の構えは東西約90m,南北約170m、二重の堀を備えていたという。
下のイラストは岩倉城攻めのつもりだが、城はもっと小さかったかな?立派すぎる。

4月の下旬になると名古屋地区のテレビニュースに必ず取り上げられるところが岩倉にある。
「旗屋中島屋代助商店」だ。筒描で「鯉のぼり」「のれん」「のぼり」などを染める。

染めに使用したノリを五条川で職人さんが洗い落とす。
川に行く筋もの布が鮮やかに泳ぐ。
その風情が季節を感じさせる。

この五条川は土手の桜並木が素敵なところ。
川の近くに今回の岩倉城が、そしてその下流近くに信長の清洲城があった。


谷口克広著「織田信長合戦全録」中公新書¥840+税 を参考にしました。









  1. 2011/04/05(火) 07:09:26|
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