ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

マンドラゴラ!

新しいカテゴリーとして「怪物」を追加しました。

その一発目は「マンドラゴラ」。
マンドレイク(英)ともいわれているが、そんな海賊のおっさんみたいな名前より、「マンドラゴラ」のほうが良い。
「マンドラゴラ」と口に出してみれば、怪しげでいやらしい感じがする。

中世ヨーロッパでは、「マンドラゴラ」は魔法や錬金術、呪術にも使われる貴重な材料だった。
成熟すると地面から這い出し、先端が二又に分かれた根を足のようにして辺りを徘徊する。
二本の足のような根で歩く植物(怪しくて良いねえ!)。その姿は醜い。といわれた。

「マンドラゴラ」の根の形は人間にそっくり。雌雄 (しゆう) というか、男女の区別まで備えている(ええ!うそーっ?)。
その「人間の形をした根」には高値がついた。
根は万病に効き、強壮剤、そして媚薬としての効果もあると信じられていたからだ。
現代でも、こういうものには金をおしまないのが人間だ(本当なら、はっきり言ってボクも欲しい!)。

しかし、それを手に入れるのは容易ではない。「マンドラゴラ」の採取には危険がともなう。(どういうこと? )

例えば、「マンドラゴラ」の茎を持って引き抜こうものなら、簡単に命を落とすことになる。
「マンドラゴラ」の毒は凄まじく、その茎を触れただけで毒は全身を駆けめぐり死んでしまうのだ(恐ろしい!)。
また、「マンドラゴラ」は地中から引き抜かれるときに悲鳴を上げる。この悲鳴を聞いたやつも死んでしまう(やたら死ぬ!)。

そこで、命を落とすことなく根を引き抜く方法として、次のような方法が考えられた。

まず、自分の飼っている犬を紐で「マンドラゴラ」に繋ぐ。自分は遠くへ行ってから犬を呼ぶ。
すると犬は飼い主(自分)のもとに駆けだす。その勢いで「マンドラゴラ」が抜ける。
犬は「マンドラゴラ」の悲鳴を聞いて、あわれ死んでしまうが、犬一匹の犠牲で無事に「マンドラゴラ」を手に入れることができるというのだ。
引き抜かれた「マンドラゴラ」にはもはや毒は残ってはいない。

犬にはとんだ災難。
本物感を高めるため「マンドラゴラ」に犬の死体も添えたという話もある。
自分の飼い犬ではなく、おそらく、どこかの野良犬の死体だろう。
そうやって高値で売りつけ、タンマリ儲けたヤツがいたのだろう。

mandragora12.jpg

「マンドラゴラ」は醜いということになっているが、ボクはセクシーな「マンドラゴラ」を想像する。
色っぽい大根の画像がテレビで流れたりするが、あういう「マンドラゴラ」がええね、ぼくは。

イラストは土から引き抜かれた「雌(女)のマンドラゴラ」を、お湯でキレイに洗ってやったところとした。
引っこ抜かれるときの悲鳴も「キャッ、いやん、ウフ・・・」という色っぽいものとしたい、ここは。
なんといっても「マンドラゴラ」なのだから・・・
ボクは色っぽい悲鳴をききながら絶命したい!(知らんがな!)


これまでは伝説のなかの「マンドラゴラ」だが、実は「マンドラゴラ」という名の植物が存在する。

それは地中海地域から中国西部にかけて自生する。コイナス属又はナス科マンドラゴラ属に属している。
根に数種のアルカロイドを含む。
麻薬効果を持ち、古くは鎮痛薬、鎮静剤、下剤、便秘薬として使用された。
毒性が強く、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大を伴い、場合によっては死に至るため、現在薬用にされることはほとんどない。
薬と毒は裏表なのだ。







  1. 2012/03/27(火) 06:59:30|
  2. 怪物と怪し
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女の理屈(ジョーク)

onnanorikutu43.jpg

普通の理屈 「この人は私を愛している、でも、私には夫がいる。だから私はこの人を愛してはいけない。」

女の理屈 「私には夫がいる。だから私はこの人を愛してはいけない。でも、この人は私を愛している・・・」


レールモントフ(ロシアの小説家)の言葉らしい。
阿刀田高著「詭弁の話術」角川文庫¥460(税別)に出てくる。


ボクの知っている女にも、こんなのがいたな。
「ほとんどの女が、そうなんじゃないの・・・」
あっそーか!










  1. 2012/03/20(火) 07:30:12|
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信長の顔?(信長夜話・その42)

本当の織田信長の顔はどんなんだったのだろうか?
今回は<信長の「顔」と「ふんいき>について。

ボクは、歴史上の人物のイラストを画くときは、まず、肖像画を調べる。本人に近いものを画こうとすると、よりどころはそれぐらいしかないからだ。

織田信長の肖像画や木像はいくつか残っている。
このブログ「信長夜話」の信長は長興寺蔵 の狩野元秀筆といわれる肖像画をもとにしている。
信長の肖像画といえば「これ!」というくらい有名だ。教科書にものっているヤツ。
天正11年(1583年)に画かれたといわれるているから、「本能寺の変」の翌年に画かれたことになる。
40代の信長だろうか?

ボクは子供のころ、戦国時代に興味をもったころに初めてこの肖像画を見た。
「これが信長か・・・」と食い入るように見たおぼえがある。
月代(さかやき)の頭、大きな鼻、頬から顎にかけて先細りの顔、小さな口(当時の肖像画の決まりのようだ)。眉間のシワと目が狂気を感じさせるような気がする。
ただ、清潔な感じのする画だ。

もうひとつ、「もっとも信長に似ているのでは」といわれている肖像画(肖像画を写真で写したもの)がある。
ジョバンニ・ニコラオ(イエズス会画派・セミナリオ教師)筆ではないか?と言われている。
作画年は、天正11年~天正18年(1583年~90年)だと推測されている。

信長の息子、織田信雄(のぶかつ)が依頼したという説がある。
山形県天童市 三宝寺蔵 。
なにせ天童藩織田家は信雄の子孫の藩だ。信長の血は山形の天童に残ったのだ。

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《ジョバンニ・ニコラオ筆と思われる三宝寺蔵 の肖像画をもとに、南蛮胴具足の信長を画いてみた》


ボクは表情や実感を出すために、誰か似ている(似たふんいきがある)人をモデルに画くことにしている。

長興寺蔵の肖像画的な顔の人としては、
石倉三郎、広末涼子(女性でも。10代の信長は女のように美しかったという説がある。)、やしきたかじん、栗山千明、モト冬樹、篠井英介(女形)、村田 晃嗣教授(むらた こうじ・同志社大学法学部教授)、渡辺陽一(戦場カメラマン)。
そのなかでも、篠井英介、村田 晃嗣教授は似ているように思う。

映画やテレビドラマでは信長を多くの俳優が演じている。
古くは中村錦之助(映画「風雲児 織田信長」)、市川雷蔵(映画「若き日の信長」)。
それ以前に信長が現れる映画が少ないのは信長に人気がなかったからだろう。
当時は秀吉のほうが人気があった。

隆大助(黒澤明の映画「影武者」)、高橋幸治(NHK「太閤記」)、役所広司(NHK「徳川家康」)、緒方直人(NHK「信長」・動かない信長だった。)、反町隆志(NHK「利家と松」)、豊川悦司(NHK「江、姫たちの戦国」)、舘ひろし(NHK「功名が辻」)、渡 哲也(NHK「秀吉」)、高橋英樹(民放の正月の時代劇だったかな?)、吉川晃司(NHK「天地人」)、など、思いつくままに上げてみた。

中村錦之助、緒方直人、反町隆志、の顔は似ていないように思う。
三宝寺蔵の肖像画的な人なら、高橋幸治、舘ひろしは似ているな。姜 尚中(かんさんじゅん)村井国男(俳優)、 高畑淳子(女性でも)も似ている。

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《女優、 高畑淳子。信長っぽい》


映像を見た限りで言えば隆大助の信長が良かった。
黒ずくめの鎧とマントは、この映画「影武者」が影響を与えたのではないだろうか?

だいたい、信長がすこししか出てこないところが良い。
一般人からは信長は遠い存在だ。ボクが当時、信長配下であったとしても、偶然に姿を垣間見るのがやっとだろう。

ボクが信長映画を撮るなら、ある馬周り(親衛隊)の侍の目から見た信長を描きたい。
そのほうが信長のカリスマ性が出るような気がする。
身近な信長ではマズイと思うのだが・・・


「たたずまい」というか、「ふんいき」としては中田英寿(サッカー)を思い浮かべたりする。
クールなのか?暖かいのか?わからない、なにを考えているのかわからないところが信長的のような気がしている。
もうひとり、EXILEのマキダイ(眞木大輔)が信長っぽいと思う。
もし、ボクが信長映画を撮ることになったら(おそらくないが)、配役の候補に上げたい。

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《EXILEのマキダイ的な信長。ふてぶてしい顔にしてみた》


ボクの「信長夜話」では、信長のイラストが総髪だったり月代(さかやき)だったりゴッチャになっているが、その時の気分で画いている(なーんだ)。
総髪の信長は捨てがたい魅力がある。総髪は現代的な感じがする。新しさを好んだであろう信長によく似合うと思う。

実際は信長のように、たびたび戦場に身をおくようなものは総髪ではなく月代(さかやき)だっただろう。
月代は頭の天辺を剃った髪型。兜を被ったときのムレを和らげる効果があった。
戦闘にかかわる武士の髪型だ。
今でも綿素材の帽子でもムレる感じがするから、運動量の多い戦場での兜ではたまらなかっただろう。

一説には月代を剃ったのは信長が始めたとも言われている。それまでは毛を抜いて月代にしていたという(イタそう!)。
かたや、総髪は学者、医者、など、戦闘を主任務としない人の髪型だったといわれている。








  1. 2012/03/13(火) 07:12:29|
  2. 信長夜話
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天下布武(信長夜話・その41)

永禄10年(1567年)9月、織田信長は稲葉山城を攻略した。
稲葉山城と井口(いのくち)をそれぞれ岐阜城、岐阜と改め、小牧山から岐阜に移る。

同年11月、信長に対して、正親町天皇(おうぎまち)から綸旨が下される。
「今度国々、本意に属すの由、武勇の長上 天道に感応す、古今無双の名将、いよいよこれ乗り勝つられべく条・・・」
「尾張・美濃の平定はめでたいことだ。天も感応する古今無双の名将である。はやく京に上って来て朝廷を助けるように・・・」という内容。

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天皇から「天道に感応する古今無双の名将」と褒められた、この時から信長は「天下布武」の印判を使用し始める。
一般的には、「天下布武」とは「武力で日本全国を制覇する」と解釈されているが、「武」は「武力」ではなくて、「七徳の武」のことだそうだ。
「武の七つの徳を備えた者が天下を治めるにふさわしい」ということ。「春秋左氏伝」が出典。

天下とは、日本全土という意味ではなく、もっと大きな、世の中という意味。
信長は「天に任されて世の中に武を布くのは自分だ。徳を以て世を治める」と豪語したのだ。

「七徳の武」とは、「暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする」という七つの徳を持つものである、とされている。

こういったカッコイイ文句を刻ませた印を用いた例は信長だけではない。
北条氏綱の「禄寿応隠・ろくじゅおうおん」、今川義元の「如律令・にょりつりょう」、
徳川家康の「福寿・ふくじゅ」、上杉謙信の「摩利支天・まりしてん」や「飯綱明神・いづなみょうじん」、織田信雄の「威加海内・いかかいだい」、などなど。

当時、印を用いるのが戦国大名の流行だったのかもしれない?

「天下布武」の印は、元亀元年(1570年)に、輪郭を二重にして下部を切った馬蹄型の物にかわり、さらに、天正4年(1576年)に、信長が右大臣に任ぜられた折には、昇り龍二匹が天下布武の文字を囲んだ印につくりかえられた。

『いずれも一見して奇態な印文配置。印鑑をつくりかえたのと時をほぼ同じくして、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が信長の未来を予言している。奇怪な印が信長の晩年の逆運を呼んだと思われる。』とは印相判断の解釈(結果を知ったうえでの解釈だからなあ・・・)。
そうすると、みやげ物などに「天下布武」の印を模したものがあるが、よろこんで身近に置いてはいけないことになる。

「岐阜」という地名は沢彦宋恩(たくげんそうおん。政秀寺)が、「岐山から起こって天下を平定した周の文王」の故事にならって命名した(異説あり)。
「天下布武」の四文字も沢彦が贈ったもので、信長は自分の理想に合う言葉であるといって喜んだそうだ。

信長の周囲には沢彦のような中国古典籍に造詣が深い人物がいたのだ。当然、武の意味も信長は知っていたはずだ。
このことを見ると「信長はほとんどまわりの意見を聞かず、すべて自分の裁量で決めた。」といわれているが、本当だろうか?疑っている。

信長は「天」にこだわりを持っていたといわれる。
「天下の儀、何様も信長に任せられ置くの上は・・・」「天下の御静謐の条・・・」など、信長の文書中には「天下」の文字が多く見られる。
また安土城の「天主」(天下の主)や、信長が改元させた元号の「天正」(天下を正す)など、「天」を常に意識していたようだ。


イラストは「天下布武」の印にハーッハーッしている信長。
「信長はお前のようにハーッハーッはせえへんよ!」
ごもっとも、失礼しました。




<織田信長について>を参考にしました。
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/nobunaga.htm

鈴木眞哉著<戦国武将のゴシップ記事>PHP新書¥700(税別)を参考にしました。







  1. 2012/03/06(火) 07:07:34|
  2. 信長夜話
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