ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

膝が笑う!

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「膝が笑う」とは、脚の筋肉が疲労して柔軟性を失い、震えることを言う。

ボクの大好きな漫才、「大木こだま・ひびき」のネタにもあったような気がする。

「山登りは大変やでー!膝が笑ってしまうで」
「膝が笑う?そんなことないやろ・・・。膝が笑ったら、あちこちでワハハ、ワハハとウルそうてかなんがな!・・・もう往生しまっせー!」
たしか、こんなの。

「大木こだま・ひびき」のネタは、いつもこのパターンだが、何度見てもボクは笑ってしまう。
最近、TVで見ませんが、もっと見たい。

かつて、ビートたけし氏(北野たけし)が「イチバン良い(漫才にとって)のはマンネリを作ることなんだよ。大いなるマンネリをね。例えば東京コミックショーのような・・・」と言っていたのを思いだす(正確ではない)。

漫才も商売だ。うける新作を出し続けるのは至難のワザ。
だから安定したマンネリネタをひねり出せ。という意味だと解釈した。


話は変わる。
ずいぶん前のこと、ボクは長野県と岐阜県の県境にある御嶽山(おんたけさん、標高3,067m)に登ったことがある。
知り合いのグループに誘われた。気乗りがしなかったが、これも付き合いと参加した。
山登りには興味がなかった。
気乗りがしないのなら断ればいいものを、自分というものがなかったのだ。

登山の経験のないボクは服装は普段のまま、靴は安物のスニーカーで出かけた。
登山をナメていた。

朝早く、バス(御嶽登山の乗り合いバス)に乗って出発。その日のうちに登山スタート。
夕暮れまでに7合目だったか?にある山小屋に到着。簡単な食事を済ませ就寝。

翌朝、暗いうちに起きて登山道を登る。
暗いうちに山小屋を出発するのは「御来光」を拝むためだった。

夜明け前の闇のなかを、すれちがうのがやっとの登山道を人が数珠繋ぎになって登る。
「なんでこんな山の中の、それも暗闇のなかを多くの人が登るの?」と思ったが、「ボクのような御来光めあてのヤツが多いからだ」と納得した。

無事、頂上で「御来光」に手をあわせ、「あれが○○、あれが△△」などと、他のグループの解説を聞かないふりをして聞いた。
それなりの爽快感を味わってから下山開始。

ここで初めて自分の装備の貧弱さを思い知った。
ピクニック程度の服装に早朝の山の冷気は寒く、つるりとした靴底のスニーカーでは、踏ん張ろうとしても滑る。
滑るまいと余計な筋肉を使うから疲れる。登山靴は必須だったのだ。重い登山靴をはく理由が理解できた。

山は登るより下るほうが大変だ。
ボクはこのとき、まともに「膝が笑う」を体感した。


イラストは山道を下りてくる女学生とした。
「何で女学生なの?」
ごもっとも!はじめは、半ズボンの山ガールにするつもりだった(むき出しの膝を画くため)。

それでは当たり前で面白くないので、女学生にした。
森の中から女学生!いいじゃないの!?





  1. 2012/06/26(火) 07:23:08|
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人生は妥協の心なのだーっ!(ジョーク)

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1. 中身がいい男は顔がよくない


2. 顔がいい男は中身がよくない


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3. 顔がよくて中身もいい男はホモ。


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4. 顔はそこそこで中身がよくてホモじゃない男は結婚している。


5. 顔はそこそこで中身がいい男はお金がない。


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6. 顔はそこそこで中身がよくてお金がある男は、近寄る女は金目当てと思う。


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7. 顔がよくてお金がない男は、金目当てで女に近寄る。


8. 中身はそこそこで顔がよくてホモじゃない男は、女の好みがうるさい。


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9. お金も中身もそこそこで女の好みがうるさくない男は、恋に臆病。


10. 顔がよくて中身がよくてお金があり恋に積極的でホモでない男は、あなたの知らない所にいる。


そう、人生は妥協の心なのだーっ!



『ジョーク・小噺集』http://kuroneko22.cool.ne.jp/Joke11.htm 
から引用しました(だったと思う。記憶が不確かですみません)。 




<お知らせ>
次回の<ブエノス小僧のイラストブログ>は野暮用のため休みます。
再来週に新しく画いたイラストブログを掲載する予定です。
また、お立ち寄りいただけたらウレシイです。





  1. 2012/06/12(火) 07:14:50|
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近江を押し通る!(信長夜話・その48)

織田信長は上洛を決意、南近江の六角承禎(ろっかくじょうてい)に協力するよう説得を試みるが成就しなかった。
力ずくで南近江を通ることになった。

永禄11年(1568)9月7日、信長は岐阜を出陣。
同月11日、愛知川(えちがわ)北岸に陣を張る。総勢6万(4万~5万という説あり)にふくれあがっていた。

前方に六角方の和田山城(わだやま・現神崎郡五個荘町)、5kmほど奥に六角氏の主城、観音寺城(かんのんじ)、そして左奥に箕作城(みつくり)があった。三城とも山城である。

織田方の作戦案は2通りあったという。
1つは柴田勝家の発案で、六角承禎(義賢)・義治父子の主城、観音寺城を包囲して総攻撃するというもの。
もう1つは木下秀吉の案で、和田山・箕作の両支城を攻略してから観音寺城を攻撃するほうが、味方の損害が少なくて済む、というものだった(すでに、このころ秀吉は数千を指揮する部将になっていることがわかる)

織田勢に対して六角勢は、和田山城に主力を配置して、ここで織田勢を釘付けにし、観音寺・箕作両城の兵で挟撃しようという作戦だった。総勢1万弱と想像する。

信長は状況を視察した後、秀吉案を採用することにした。
六角側の作戦の裏をかき、和田山城と観音寺城には牽制のための軍勢を送り、信長自ら丹羽長秀や木下秀吉らの諸隊を率いて、9月12日の午後4時頃(午前からの説あり)より三城でもっとも奥の箕作城攻撃を開始した。

「信長公の所領となってまもない美濃の将士は、この戦ではさだめし先手として追い使われることになろうと覚悟していた。
しかし、いざ戦が始まってみると、信長公は美濃衆などに構わず馬廻りだけで攻撃を開始してしまった。
この思いもよらない戦ぶりに、美濃三人衆などはただ驚くばかりであった。」(「信長公記」)。
信長らしいエピソードだ。
当時は新しく配下になった領国の将兵が先方を務めるのが慣わしだった。損害が出やすい危険な役回りだ。

箕作山は標高3百メートル余の小山であったが、城へ通じる道は急斜面の細い道しかなく、樹木に覆われた要害だ。
守将は吉田重光・建部秀明・狛修理亮・吉田新助など3千余が抗戦の構えを見せていた。

織田軍は東口から丹羽長秀隊3千、北口から木下秀吉隊2千3百が攻め立てる。
しかし城方の守備は堅固で、日没まで陥落させることができず、一旦、戦闘が終了する。

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そこで秀吉は蜂須賀正勝(小六)の夜襲案を採用することにした。
1メートルほどの大松明を数百本用意し、箕作山の麓から中腹まで50箇所ほどに積み重ねておき、頃合いを見て一斉に点火し、火攻めを行うというものだ。
それと同時に秀吉隊も手に松明をかざして一斉攻撃をかけたため、城兵たちも防ぎきれず、2百余人の犠牲者を出して退散してしまったのだ。

松明の灯りがあるとはいえ、見通しのきかない夜の戦闘だ。弓矢や鉄砲などの飛び道具は使いにくかっただろう。白兵戦だったとボクは想像している。

戦いにあけくれた戦国時代といわれているが、白兵戦はそうはなかっただろうと思う。
テレビドラマでは、戦国時代の戦闘シーンというと、刀を抜き払い、敵兵と斬りあうのがほとんどだが、
映像として、そのほうが面白いからであって、実際はちがうものだったと思っている。
しかし、この「箕作城の夜戦」は、そのテレビドラマのような白兵戦だったのでは?とボクは想像している。

暑い季節の白兵戦だ。血と汗でヌルヌル、ベタベタの戦いだった。
遺体はすぐに腐敗して、戦場に腐臭がたちこめただろう。

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日没になり、一旦、戦闘が終了したので、今日はもう戦闘はないだろうと城側は思ったのかもしれない。
油断していたところへ、松明をかかげた織田軍の再度の攻撃に崩れ去ったのだろう、とボクは想像する。
「箕作城の戦い」は夜戦で決着がついたのだ。

翌朝、主城、観音寺城攻撃に勇んでいた信長は肩透かしを食らう。
箕作城の陥落を知った和田山城では一戦も交えることなく全員が逃亡。
さらに主城、観音寺城の六角承禎も戦意を失い、夜陰に紛れて甲賀へと落ち延びてしまっていた。
観音寺城も和田山城も「もぬけのから」だった。

六角承禎父子が逃亡したことがわかると六角氏重臣の平井定武・後藤高治や、今まで六角氏に従っていた南近江の有力国衆たちが続々と信長に降った。
最後まで抵抗の姿勢を示した日野城主の蒲生賢秀(がもうかたひで・蒲生氏郷の父)も、神戸友盛(北伊勢の)の説得によって降伏する。


<六角承禎(じょうてい・義賢)について>

「承禎」というのは出家してからの法号で、名乗りは義賢(よしかた)という。南近江(滋賀県、琵琶湖東岸)の戦国大名だ。

ずいぶんと前だが、ボクははじめて、信長の上洛記事を読んだとき、六角承禎の名前が記憶に残った。
六角とは覚えやすい苗字だし、六角承禎(ろっかくじょうてい)の語感は堂々たる感じがした。

現在、六角といえば、名脇役(ボクはそう思っている)六角精児(ろっかく せいじ)氏を思い出す。
調べてみたが、六角精児氏は六角承禎とは関係なさそうだ。

脱線した。さて、六角承禎だが、
大永元年(1521年)、六角定頼の子として生まれる。
天文21年(1552年)、父の死去により家督を継いで六角家の当主となる。

織田信長と戦って敗れ、そのあと没落してしまったため評価を下げたが、戦国大名として先進的な施策を進めた。一時は小谷の浅井氏をもその勢力下においた。

六角氏は本来、佐々木氏だ。宇多天皇の皇子敦実(あつざね)親王にはじまる。宇多源氏とも近江源氏ともいわれている。
鎌倉時代のはじめ、佐々木信綱のときに4家に分かれ、そのうちの六角氏が嫡流とされた。

六角という名は、信綱の三男、泰綱の京屋敷が京の六角東洞院(ひがしのとういん)にあったからだという。
父にあたる定頼および承禎の代には、観音寺城を本拠として、京都を追われた12代将軍義晴および、13代将軍義輝を庇護(ひご)した。

歴史のなかでは、六角承禎は織田信長の脇役だが、武家の血統から言えば信長などは比ではない。

近江は、この時代の最大の消費地である京都に隣接していることもあり、商品流通が盛んなところであった。
承禎はそこに着目し、商品流通を重視した国づくりに取りくんだ。それが楽市である。

天文18年(1549年)、承禎は、観音寺城のふもとにできた城下町の、石寺新市を楽市とするよう命じている。
「楽」というのは自由といった意味で、自由商業の奨励である。

当時は、商人たちが商売をするときは、城下町なら、そこの城主に年貢を払い、諸役も負担しなければならないが、承禎は、そうした税を取らないと宣言し、商人たちの自由な商業活動を保障した。
織田信長が岐阜城下に楽市楽座を布いたことは有名だが、18年も前に承禎が近江で実践していたのだ。
信長は承禎の楽市をモデルとしたのかもしれない。

また、承禎は弓馬の名手で、弓術は家臣の吉田重政に日置流(吉田流)を学び、唯一人の印可を受けた腕前であった。
馬術も大坪流を学び、佐々木流を興してその名を残している。嫡男・義治も晩年は豊臣秀頼の弓術師範としてその名を残している。
承禎は面白そうなおじさんではないか(失礼)。

永禄3年(1560年)、浅井久政の嫡男・浅井長政が六角家に対して反抗しはじめる。
義賢はこれを討伐するために大軍を自ら率いたが、長政率いる浅井軍の前に大敗を喫した(野良田の戦い)。
永禄6年(1563年)の観音寺騒動を経て求心力が弱まり。
浅井長政が六角領に対して侵攻するが、それを食い止めるだけで精一杯となった。

永禄11年(1568年)、織田信長が上洛を開始すると、三好三人衆と通じて信長の協力要請を拒絶、織田軍と戦う(今回のテーマ)。
しかし大敗を喫し、東山道沿いの観音寺城から南部の甲賀に本拠を移すことになる。
信長35歳、承禎48歳のことだった。

元亀元年(1570年)、再び織田勢と戦う。
南近江の長光寺城に立て籠もる織田の重臣・柴田勝家と佐久間信盛を攻めるが敗れる(野洲河原の戦い)。
さらに、承禎、義治は朝倉義景・浅井長政や三好三人衆らと同盟し、南近江の地で信長と再戦した。
同盟側が優勢となりピンチに陥った信長は同盟軍の切り崩しを図る。
11月に承禎・義治は信長と和睦した(志賀の陣)。

その後、承禎は菩提寺城に立て籠もったが敗れ、元亀2年(1571年)、信長に降伏。
信長の重臣、佐久間信盛に身柄を預けられ、石部城に拘束されたが、天正2年(1574年)に信楽に逃れる。
後に天下を掌握した豊臣秀吉の御伽衆(話相手)となり、秀吉が死去した慶長3年(1598年)に承禎も死去している。享年78。

六角承禎の肖像画をさがしてみたが、江戸期に画かれたと思われるのがあるが、絵師が想像で画いたものだろう。ガッカリ!
だから承禎のイラストはなし。



「戦国武将の実力」
http://www.yomiuri.co.jp/otona/study/busho/20110921-OYT8T00543.htm
「箕作城の戦い(信長上洛戦)」
http://www7a.biglobe.ne.jp/echigoya/ka/MitsukuriJou.html
「今日は何の日?徒然日記」
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2011/09/1568-62b6.html

などを参考にしました。








  1. 2012/06/05(火) 07:45:19|
  2. 信長夜話
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