ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

月は 十六夜(いざよい)秋の空 ♪ ♪

9月に入ってからも30度を超える日が続いている。
昨日は台風の影響でムシムシベタベタした暑さだった。

地球上には湿度が低く、カラカラに乾ききったところがある。
そんなところでは、すぐに喉がやられてしまうという。
「それも大変だなぁ・・・」とボンヤリと思った。


ボクの好きな阿刀田高氏の本を読んでいたら、月の名前のことが書かれていた。
月の満ち欠けの、それぞれに昔の人は名前をつけた。

太陽はとてもありがたいが面白みに欠ける。明るいばかりで憂いを感じさせない。
月はさすがにロマンティックだ。

月の大スターといえば中秋の名月(十五夜)!
今年(平成24年)の中秋は9月30日だそうだ。
この日が満月(厳密には中秋の名月が満月とは限らないらしい)、そして欠けていく。


順に、中秋(十五夜)の翌日の月は十六夜(いざよい )だ。
月の出が十五夜よりすこし遅くなっているのを、月がためらっていると見立てた。
「十六夜」とは“ためらい”の意味を持つという。
「ためらっている」というところが良いなぁ!ちょっと色っぽい・・・

また、夜が明けてもまだ沈まず、西の空に残っている様子から、「有明の月」とも呼ばれる。

ボクの好きな桑田圭介の唄に「今がどんなに、やるせなくても、明日は今日より素晴らしい、月は 十六夜(いざよい)秋の空、 Mr. Moonlight, come again please.」というのがある。



tachimachizuki02.jpg
満月(十五夜)から2日目の月は、立待月(たちまちづき)
夕方、立って待つ間に出る月だから、この名前だという。
函館に立待岬というのがある。良い名前だね(月とは関係ないが)!



imachizuki02.jpg
満月から3日目、居待月(いまちづき)
満月を境に月の出が次第に遅くなるので、座って待つうちに出る月。
灯りを消して、イッパイやりながら待つ月ということかな?



nemachizuki02.jpg
満月から4日目、寝待月(ねまちづき)
月の出が遅いので寝て待つ月。別名、臥待月(ふしまちづき)とも言う。
イッパイやりながら待っていたら、月がお出ましになったころには酔いがまわって・・・



fukemachizuki02.jpg
満月から5日目、 更待月(ふけまちづき)
夜も更けてから上ってくる月。待ちくたびれて、
「そんなところで寝ていると風邪を引きますよ。お布団へ・・・」(ボクはベッド派ではない)
「なーに?・・・うふ・・・あ・・・」


他にも月の呼び名がある。
朔(ついたち)、蛾眉(がび)、弓張り月(ゆみはりつき)、十三夜月(じゅうさんやづき)、小望月(こもちづき)、弓張り月(ゆみはりつき)、などなど・・・






  1. 2012/09/18(火) 07:05:09|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

池田勝正の抵抗(信長夜話・その53)

永禄11年(1568)9月26日、織田信長は上洛を果たした。

9月29日、三好三人衆の一人・石成友通(いわなりともみち)の勝竜寺城を、
9月30日、同じく、三好三人衆の一人・三好長逸(みよしながやす)の芥川山城を、またたくまに落としてしまった。信長は足利義昭とともに芥川山城に入った。

これを知った越水城(現兵庫県西宮市)、滝山城(現神戸市中央区)は戦わずして開城。
さらに、伊丹城の伊丹忠親は戦わずに信長に降参した。
しかし、池田城(現、大阪府池田市)の池田勝正(かつまさ)は城に籠って抵抗する。

10月2日、信長は手勢を率いて池田城を攻撃する。
実は上洛後の一連の戦いのなかで、この攻城戦が最も激しい戦いになった。
信長の馬周り(親衛隊)が城内に突入、白兵戦となった。

ikedajyou13.jpg
《池田城の堀の崖をよじのぼって侵入する信長軍とした。
抜き身の刀を肩にかついで走る侍がいるが、合戦図屏風などにもこんな人が描かれている。刀は1kgほどの重さがあるので、こうしたほうが動きやすかったのだろう。》



攻撃が始まり、「寄せ手の水野忠政家中(水野忠政は25年も以前に没している)の梶川平左衛門と信長の馬廻で武勇の魚住隼人は先を争って外構えに突入した。
しかし、たがいに押しつ引きつつ闘ううちに、梶川は腰骨を突かれて討死してしまい、残った魚住も負傷して退却した」(信長公記)。

双方に多数の戦死者が出た。
業を煮やした信長は、城下に火をかけて町を焼き払ってしまった。

『それでもこの戦に参加した諸士はここを末代の高名と心得て意気高く、まさに三略にいう「戦フコト風ノ発スルガ如ク、攻ルコト河ノ決ルガ如シ」といった勢いであった。』(信長公記)

結局、池田勝正は人質を出して、その日のうちに降伏した。信長は軍勢をかえして芥川山城に凱旋。ここに五畿内およびその隣国が信長の支配するところとなった。



<池田 勝正(いけだ かつまさ)について>
大永10年(1530)もしくは天文8年(1539)~天正6年(1578)?

永禄6年(1563年)、当主の池田長正の死去によって勝正は摂津池田家の家督を継ぐ。
この頃、池田氏は三好氏の盟友であったが、翌年、三好長慶の死去によって三好氏が弱体化すると、勝正は三好三人衆と組み松永久秀と戦った(東大寺大仏殿の戦い)。

永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、摂津の他の豪族が次々と降伏していく中で敢然と抵抗するが、信長の圧倒的な軍事力の前に降服せざるを得なかった(今回の話)。

しかし信長は勝正の能力を認め、お咎めなしどころか加増の上で領地安堵!(「織田武鑑」によると6万石)とした。
信長は、有力豪族である池田氏などを臣下に置いて摂津支配の安定を図ろうと考え、池田勝正・伊丹親興・和田惟政の3名に摂津支配を任せた。
彼らを「摂津三守護」と呼んだ。

さらに、勝正は室町幕府(信長の働きかけがあったとも言われている)から摂津守護に任じられ、伊丹親興・和田惟政を配下とし摂津を治める。
なお、彼の家臣には、あの荒木村重や中川清秀 らがいた。

翌年(1569年)、三好三人衆が将軍、足利義昭を襲った「本圀寺の変」では手勢を率いて救援に駆けつけ、桂川にて細川藤孝や三好義継とともに三好三人衆と戦い、敵陣に一騎駆けにて切り込み勝利に貢献する(スゴイ!度胸ある!)。

元亀元年(1570年)、信長は越前の朝倉義景を討つため敦賀まで侵攻したが、同盟を結んでいた浅井長政の寝返りをうけ、挟み撃ちにあうピンチにおちいった。

このとき信長の脱出、全軍退却を援護するための殿軍(しんがり)をつとめる木下秀吉や明智光秀の活躍がドラマでは取り上げられるが、この「金ヶ崎の退き口」で殿軍の主力をなしたのは池田勝正率いる約3千の池田隊だったといわれる。
優秀な装備がものをいったのだろう、信長軍の退却を成功させた。

同年6月に家臣の荒木村重と一族の池田知正(長正の嫡男)が三好三人衆の調略を受け三好家に寝返り、勝正は池田城から追放される(わからんもんです!)。

『言継卿記』『細川両家記』によれば、勝正は同族と不和になり、同年6月19日、池田豊後守・池田周防守を殺したうえで自ら大坂に出奔、残された家中の者たちが三好三人衆に通じた。

その後、三好三人衆についた荒木村重らの押さえとして信長より原田城主に任じられ細川藤孝らと共に各地を転戦、荒木村重が信長家臣になると池田に戻り隠居した(諸国を旅し、九州へ渡ったとも言われている)。

『永禄以来年代記』には、天正2年(1574年)4月2日に、「池田カツマサ」が本願寺に加担した旨の記述がある。『池田氏家譜集成』所収の系図によれば没年は天正6年(1578年)であるという。

宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、永禄7年(1564年)頃として、「池田家は天下に高名であり、要すればいつでも五畿内においてもっとも卓越し、もっとも装備が整った一万の軍兵を戦場に送り出す事ができた」などとある(池田家は室町時代より領地支配と金融政策で成功し、経済力があったらしい)。

「池田城の戦い」の時、織田信長35歳、池田勝正は39歳(大永10年生まれだとすれば)、もしくは30歳(天文8年生まれだとすれば)

池田勝正は魅力的な人物だ。信長が認めたぐらいだから。もっと注目されてもいいのではないだろうか?
調べてみたが、勝正の肖像画は見あたらなかった。



<梶川平左衛門高秀について>
生年不詳~永禄11年(1568)10月2日

平左衛門は梶川平九郎(宗玄)の長男。
はじめ愛知県丹羽郡楽田城に住んでいたが、中島郡奥村に移る(寛永伝)。

「永禄3年(1560年)5月、今川軍の侵攻に備え、南中島の砦に入れ置かれる」(信長公記)。
平左衛門は「桶狭間の戦」のときの中島砦の城将だったのだろうか?

中島砦といえば、桶狭間の今川義元本陣に向かって進撃する信長勢が経由した最後の砦だ。
もしそうだとすれば上級将校クラスだっただろう。

今回の摂津池田城攻めの時、「水野金吾内の梶川平左衛門」が奮戦して討ち死にしたことが「信長公記」に書かれている。
「水野金吾」とは、25年も前に没した水野忠政のことで、かって忠政に属していたということだろうか?

高秀の弟の秀盛が水野信元に属していたことは「尾張雑志記」などに記されているから、高秀も忠政からその子信元に属したと思われ、この「梶川平左衛門」は高秀の事と思われている。

ボクは史料にチラリと出てくる人物に興味がある。梶川平左衛門もその一人だ。平左衛門さんの人生はどんなだったのだろう?と・・・






  1. 2012/09/04(火) 21:27:06|
  2. 信長夜話
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0