ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

マーフィー博士、ホントですか?

「アベノミクス様はどこまで来ておられるのだ?歓迎の準備にぬかりはないか?」
「なに、今、出たところ?・・・はるかカナタじゃな・・・」

ところで、
「この貧乏をなんとかしくちゃ!」と、色々やってはみるものの、結果は芳しくない。
自己啓発本や「How to本」は本棚に山になっているが、
出版社と著者を儲けさせているだけのような気がする?

「しかし、妙案は浮かばないし、ここは、ジョセフ・マーフィー博士を頼ってみるか・・・」と、以前に読むのを途中でやめた彼の本を読んでみる。
「眠りながら成功する」のジョセフ・マーフィー博士だ(ボクはマーフィー博士支持者ではない)。


博士いわく、
「自分がなりたいと思う姿を心に念じろ。
なるべく具体的なのが良い。住んでいる家の間取り、調度品、庭の風情、5台ある自動車の種類(何台でも良い)、今日、腕につけている腕時計、自分の服装、・・・

さらに、絵に画いてみるのは効果的だ。成功した自分を強く思いうかべるために。
それは潜在意識に刻印される。すると潜在意識は動き出す。
そのイメージの実現のために・・・

潜在意識下では全てのものは繋がっている。地球上だけではない宇宙もだ。
潜在意識の力は強力で、成功にはこの潜在意識の力が働いている。

念じたり、思い浮かべたりするのは、眠りに落ちるリラックスしているときが効果的。
顕在意識が弱まり、潜在意識が露出してくる時だから。

しかし、「・・・は出来ない」「・・・は嫌いだ」「・・・はイヤだ」などの否定語は使ってはいけない。
「そんなことでウマクいくのだろうか?」などと疑ってはいけない。
良い刻印が帳消しになってしまうからだ。
また、悲観的な想像をすれば、潜在意識は悲観的な想像を現実化しようと動き出す。」

ざっとこんなところかな(正確ではないので、興味のある方はマーフィー博士著の本を読んで下さい。)



「そうか!ボクは絵を画く。じゃあ、良い結果の出たところを絵に画けば良い」
宝くじに当たったところなど、どうだろうか、即効性があるから、ウフフ・・・
参考だが、過去の宝くじ、<東日本大震災復興支援グリーンジャンボ>では、
1等、3億円が86組。2等、1000万円が68組。

「買わなければ、当らない!」という御馴染みのフレーズと、「気の遠くなる当選確率の低さ」の間をボクは揺れ動く。

takarakujitousen21.jpg
《イラストは、宝くじの当たり券の番号を何度も確かめて、体の中心から底知れない喜びがこみ上げてきた顔とした。
いままで、下がっていた口角が、いつのまにか上がっている。
いくら内緒にしても、「アイツ、最近、何かあったな」と思われてもしかたない。
このイラストをジッと見ていただければ、ひょっとするとひょっとしますよ。あなた・・・》


takarakujitousen12.jpg
《女だったら、こんな顔。(男も女も似たような顔になってしまった)》


でも、もしも、もしもだよ、宝くじの1等に当たったら(誰もが思う、永遠の仮説)、
長年住んだボロアパートともオサラバして分譲マンションを買う!
今乗っているポンコツを下取りにして新車を買う!200万ぐらいのヤツ(高級車ではない。イジマシイ)。
昔から欲しかったロレックスの腕時計(例えばだ、ロレックスはボクの趣味ではない)を買う!

このままでは金は目減りするから、余勢をかって株に投資する!
彼女が欲しがっていた、ペリーだか?テリーだか?の馬鹿高いバックをプレゼントしちゃう!
ついでに貸切露天風呂の隠れ宿に3泊しちゃう(知らんがな)!
などなどなどなど・・・・・

「宝くじに当ったら」と誰もが夢みるが、こういうのは全て良くない!

生活を変えてはいけないのだ。
これぐらいは良いだろうとタガを緩めたとたん。あっというまに当選金は無くなる。
1万円札をこわすと、すぐに無くなってしまうのと同じ。

アメリカでの調査では(日本では出来ないだろう)「宝くじの高額当選者の多くが、数年後には当選前の貧乏な状態にもどってしまっていた。」という。


「今日だけは、「鰻のひつまぶし」を食うぞ!それも(上)だ。二段のやつ。
プレミアムモルツもたのんじゃおう!
いつもは第三のビールだが、今日は本物のビールを飲むぞ!クソーッ!」
せいぜい、これぐらいまでだ。

ボクは思う(よく思うヤッチャ!)
もし宝くじに当った時は、誰にも言ってはいけない(誰にも!)。
親友からの借金の申し込み(親友ではなくなる)、寄付の話が、どこからともなくやってくるぞ。
「いや、私は好運を独り占めにするようなケツの穴(失礼)の小さいのはイヤだ。皆と好運を共有したい。」と思われる方はご一報下さい。はせ参じまする(イヤラシイやっちゃ)。







  1. 2013/04/30(火) 07:15:54|
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それはM?(ジョーク)

ロシアがソ連だったころ、

コンドームの製造を一手に受けもっていた国営工場で大きな事故があった。
製造は停止、復旧には時間がかかることがわかった。

ソ連政府はこまった。
「ほおっておくと、爆発的に人口が増えることになる!いびつな人口バランスになってしまう」
困ったあげく、大胆にも冷戦の相手国、アメリカに非公式に援助を求めることにした。

「コンドームを10億ダース送ってほしい。サイズは(L)でお願いしたい。ハラショ!」

幸いアメリカは援助を了解。
数日後、大量のコンドームがアメリカからコンテナで届く。
その納品書のなかにメモが入っていた。

「約束したコンドームをお届けする。サイズはご希望の(L)だ。
ただし、それはアメリカ国内では(M)

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誰かから聞いたのか?何の本で読んだか思い出せないが、こんなジョークがあった。








  1. 2013/04/23(火) 07:05:12|
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フロイスは見た!(信長夜話・その64)

先日、「女信長」というテレビドラマがあった。
信長が女だったらという設定のようだ(ボクはチラッと見ただけ)。

女優、「天海祐希」が信長を演じていた。
所詮はドラマなのだから、いっそ、これくらい荒唐無稽なほうが良いのかもしれない。

しかし、好きだねぇ、「戦国大名が女だった」という設定。
たしか、「上杉謙信は女だった」という本もあったな。

ただ、「天海祐希」の信長の顔は、ジョバンニ・ニコラオが描いたとされている肖像画にチョッと似ている。
天海祐希は意識的に野太い声を出すようにしていたようだが、それでも、女だからすこし声が高い。
それも信長的だとボクは思った。

しかし、特異な信長ドラマがあるなら、極力、史実(史実と思われている)に忠実な信長ドラマというのもアリだと思う。
突飛な信長ドラマばかりでは、それは、すでに突飛ではない。



ボクは史実もしくは史実と思われることに興味がある。そこで、今回の内容。

ルイス・フロイスは織田信長を写実した(文章で)。
それはフロイスの『日本史』のなかにある。
以下、ボクの注釈とイラストをからめて紹介する。


『信長は尾張の国の三分の二の主君なる殿(織田信秀のこと)の第二子であった。
彼(信長)は天下を統治し始めた時には37歳ぐらいであったろう。

彼は中くらいの背丈で華奢な体躯であり、髯(ひげ)は少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦(いくさ)を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。

彼は自らに加えられた侮辱に対して懲罰せずにはおかなかった。
幾つかのことでは人情味と慈愛を示した。

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《信長の身長は170cmぐらいと言われている。筋肉質の痩せ型だっただろう。体毛は薄かったと思われる。
「はなはだ声は快調」というのは声が高かったということなのかな?
今回の信長の髪型は月代とした(ボクの気分によって変わる)。》


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《南蛮兜を着用した信長。
信長が南蛮兜を着用したかどうかはわかってはいないが、信長所用の錆びた南蛮兜の画像をみたことがある(本当かどうか?)。着用したとしたい(ボクの願望)。

背景の揚羽蝶の旗。揚羽蝶はご存知、平氏の家紋。
信長は平氏の流れを組むと言った(デタラメだろうが)。
源氏と平氏が代わる代わる世を治めるという考え方にならったと言われている。

信長は新しいことに積極的だったイメージが強いが、古い権威を利用することも、盛んにやった。
ちなみに、足利氏は源氏(足利氏は鎌倉幕府の有力御家人)。徳川氏も源氏だと言い張った。》




彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲ではなく、はなはだ決断を秘め、戦闘にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。
彼はわずかしか、またほとんどまったく家臣の忠言には従わず、一同からきわめて畏敬されていた。

酒を飲まず、食を節し、人の取り扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。
彼は、日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。

そして、人々は彼に絶対君主に対するように服従した。彼は戦運が己れに背いても心気広闊、忍耐強かった。

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《信長はダラダラと寝たりしない(ボクのように)。酒は好まず甘党であったと想像されている。
信長の理想(目標)は、他の戦国大名とは次元がちがった。》



彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、ならびにあるゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。
形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大にすべての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。

彼は自邸においてきわめて清潔であり、自己のあるゆることをすこぶる丹念に仕上げ、
対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の家来とも親しく話しをした。

彼が格別愛好したのは著名な茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩りであり、目前で身分の高い者も低い者も裸体で相撲をとらせることをはなはだ好んだ。

彼は少しく憂鬱な面影を有し、困難な企てに着手するにあたっては、はなはだ大胆不敵で、万事において人々は彼の言葉に服従した。』


信長と同時代を生き、信長に気に入られ、何度も会うことが出来たルイス・フロイスの信長評だ。
これだけの信長の観察記録?は他にないだろう。

文筆を得意としたフロイスが
イエズス会本部への報告書、後から日本へくる宣教師たちへの参考として、書いたと思われる。

そのためには、自分の感情の入るのを押さえ、客観的になる必要があっただろう。
(もちろん、たとえ信頼のおける史料だとしても、書き手の感情が入るから厳密な意味で客観などありえないが、)

これはフロイスの初期の信長評といわれている(好意的な感じがする)
この文章が残された(発見された)ことで、現在の信長のイメージが出来上がった。


当時の天下(京を中心とする畿内)の実力者、織田信長との会見には、フロイスは呼吸にも神経をつかって信長のことを観察したと思われる。
信長からの支援を受けることはもちろんだが、布教の鍵を握る人間なのだ。

もし、信長をキリシタンに入信させることが出来たなら、信長の家来たちにドミノ倒しのように入信するものが出ただろう(日本にとって危険なことだが)。
実際、リーダー(影響力のある人)を布教の第一目標にしていたのだ。

また、信長がその気になれば、フロイスを殺すことも出来たにちがいない。
フロイスは強い緊張をもって信長との目どおりに望んだと思う。


ところで、信長はこの文章を知っていたのだろうか?
もし、信長が知っていたとしたら、
「フロイスのやつ、こんなことを書きおって、オレはこんな風に見えておるのか?」
と思ったかもしれない。



*松田毅一著「南蛮太閤記」朝日新聞社¥700を参考にしました。
一部、引用したところがあります。











  1. 2013/04/09(火) 07:23:57|
  2. 信長夜話
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時計(信長夜話・その63)

ルイス・フロイスは布教のための允許状(いんきょじょう、許可証のこと)を欲しがっていた。
都のキリシタンたちは,貧しい中から三本の銀の延べ棒を用意して,和田惟政(わだこれまさ)に織田信長への仲介を依頼する。

だが、それは信長に渡すような額ではなかった。
惟政は自分のものを七本を加え「貧しい伴天連のためのご配慮を・・・」と信長に申し出る。

信長は笑いながら、
「予には金も銀も必要ではない。
伴天連は異国人であり、もし予が教会にいることを許可する允許状のために金銭の贈与を受けるならば、予の品位は失墜するであろう。」と言ってうけとらなかった。
かっこいい!
信長は允許状を無償で与えるよう惟政に命じる(ということは当時、金で各種の許可証が買えたのだろう)。

以前に、惟政は伴天連から機械時計を見せてもらったことがあった。
信長様もその精巧さに驚かれるにちがいない。目通りには格好の材料だ。
惟政は次の会見にその時計を持ち出すことをフロイスに告げる。フロイスは快諾する。

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《イラストはフロイスの献上した時計に興味を示す信長とした。

その時計の詳細は判らないので、現在、久能山東照宮にある徳川家康の置き時計(重要文化財)を参考に画いた。
信長がみている面に文字盤がある。
その時計は、1609年に現在の千葉県沖で難破したスペイン船の乗員が救出されたお礼として、1611年にスペイン国王フェリペ3世が家康に贈ったもの。家康の死後、久能山東照宮が保管した。

2012年、東照宮の依頼で調査した大英博物館(ロンドン)の時計部門責任者、デビッド・トンプソンは、当時の最先端の機械技術と装飾手法を使った傑作だと指摘。
この時代の同様の時計は世界に20個ほどしか現存せず、内部のゼンマイなどが全て交換されずに残っている。
革張りの外箱を含めて保存状態が非常によい。極めて希少性が高いと評価した。

ただ、当時の日本の時間は、季節によって長さが変化したので、こういう定時法の時計は役にはたたなかっただろう。》


tokei112.jpg
《その時計の外側をはずして、中身を露出させたところ》



その日、信長は館で来客とくつろいでいた。
フロイスの差し出した時計を見るなり,珍物を見る時の喜びの表情に変わった。
フロイスは、「殿に献上するために持ってまいりました。どうか、お納めください」と言上する。

「予は非常に喜んで受け取りたいが、受け取っても予の手もとでは動かし続けることはむつかしく、駄目になってしまうだろうから、頂戴しないのだ。」と信長は言った。
信長は貧欲ではない。
「いや、信長は充分に豊かだから、貧欲にならなかったんじゃぁないの?」という声がきこえてきそうだが、
いくら豊かであっても欲深いヤツは欲深い!

「信長に時計を献上すれば喜ぶにちがいない」とフロイスが想像したことは疑わないが、
日本の権力者(信長)にヨーロッパの最高の技術を見せつけ、その技術に圧倒される気配がみてとれるなら、日本征服への手段のひとつとしての確認の意味が隠されていたのではないだろうか?
ボクの邪推だろうか?

信長はフロイスたちを自室に案内した。
自分の飲んだ同じ茶碗で茶を飲ませ、二度目の茶も飲むよう所望した。
美濃の干柿(信長の好物)が振舞われた。
干柿の入った四角い箱を持ってこさせ,フロイスに渡した(たしか、フロイスは「干したイチジク」と書いている)。

ここでもロレンソ了斎(修道士)がフロイス(司祭)の側にいた。


このころのこと。
松永久秀が信長に、「キリシタンを都に入れると国も都も滅亡する」とキリシタンの追放を信長に訴えた。

信長は答える。
『汝霜台(久秀のこと)、予は汝のごとき老練かつ賢明の士が、そのように小心怯檽な魂胆を抱いていることに驚くものである。
たかが一人の異国人が、この大国において、いったいいかなる悪をなし得るというのか。
予はむしろ反対に、いとも遠く、かくも距(へだ)たった土地から、当地にその教えを説くために一人の男がやって来たことは、幾多の宗派があるこの都にとって名誉なことと思っているのだ』と。

キリシタンの存在が祟りを呼ぶと久秀は思ったらしいが、本当はもっと恐ろしいことが隠されていた。
孤軍奮闘するフロイスの後ろには、巨大な宗教組織が、商人が、そして軍隊が・・・
フロイスにその気がなくても、それが、当時の西欧海洋国家の征服への常套手段だった。


<ロレンソ了斎(ロレンソりょうさい)のこと>

1526年(大永6年)、肥前白石(現在の平戸市)の生まれ。
目が不自由であった。琵琶法師として生計を立てる。

1551年(天文20年)山口の街角でフランシスコ・ザビエル(あのザビエル)の話を聞き、救いを見出したのだろう。
ザビエルの手によって洗礼を受け、ロレンソという洗礼名を授かる。

ザビエルが日本を離れた後もイエズス会の宣教師たちを助け、キリスト教の布教活動をする。
1559年(永禄2年)、ガスパル・ヴィレラと共に京に上り、苦労の末に将軍足利義輝に謁見。
キリスト教布教許可の制札を受ける。
また、当時の京の実質的な支配者だった三好長慶にも会い布教許可を得る。

さらにキリスト教に対し好意的ではなかった松永久秀が、宗論のためにヴィレラを自らの領地である奈良に招いた時、ヴィレラ自身が赴くのは危険すぎるということでロレンソが派遣された。
ここでロレンソは理路整然と仏僧を論破し、その疑問にことごとく答えた。

論議の審査のため、その場に居合わせた高山友照はこれに感心し、自らの城にロレンソを招き教えを請い、友照は子の高山右近や家臣などと共にヴィレラから洗礼を受けた。
キリシタン大名としてカッコ良く描かれることが多い高山右近の切支丹への改宗は、ロレンソ了斎の影響だったのだ。

1563年(永禄6年)、正式にイエズス会に入会、修道士(イルマン)となる。

その後、九州に赴いて宣教活動を行い、1569年(永禄12年)に再び畿内へ戻る。
ここで織田信長から布教の許可を得る。信長35歳、ロレンソ43歳、ルイス・フロイス37歳。
また、フロイスとともに信長の面前で反キリシタンの論客であった日蓮宗の僧、朝山日乗と議論を行う。

1587年(天正15年)、豊臣秀吉によるバテレン追放令を受けて九州へと移り、1592年(文禄元年)に長崎で死去。66年の人生だった(信長より長く生きた)。

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《フロイスがひく杖に導かれて、京の町をいくロレンソ了斎とした。
ロレンソは得意の琵琶を披露して聴衆を集めたかもしれない。
ときに、石を投げられることもあったのではないだろうか?と想像している。

当時の日本では珍しい西洋人(フロイス)と盲目の日本人の二人は、民衆の注目を集めただろう。
(少数派の異質はイジメの対象になるが、タレント性があるとも言える)

フロイスはロレンソに日本語や日本の習慣について訊ねただろう。
フロイス「サタンは日本では、なんと言えばよいのだろう?」
ロレンソ「悪魔など、いかがでございましょうか?」
フロイス「では、ヘルはどうか?」
ロレンソ「日本にも似た言葉、地獄がございますれば。」

ロレンソ了斎の肖像画はみあたらない。ボクの想像で書いた。
「教養のある琵琶法師の宣教師」という設定でロレンソを画こうとすると、現実感のない知的な男になってしまう。
それでは面白くないので、イラストのような生活感のあるオッサンにしてみた。
布袋に入れた琵琶を背負ってもらった。》




ロレンソ了斎の人生は苦しいものだったと思うが、興味本位の他人(ボクもそのひとり)からみると魅力的だ。
「諸行無常」と「主の救い」の間にいたのだろうか?それとも心の隅まで主の僕だったのだろうか?

ロレンソは名説教家だったといわれる。
琵琶法師として日本の伝統文化や仏教・神道の知識が深かったロレンソは、戦国の世にあって救いを求め、キリスト教の教えを知ろうとした多くの日本人の疑問に答えた。
畿内や九州で多くの洗礼者が出たのは、ロレンソの布教活動に負うところが大きいといわれている。

西洋人宣教師の布教活動に目が行きがちだが、もっとも強力な布教者はロレンソ了斎だったのかもしれない。











  1. 2013/04/02(火) 06:54:11|
  2. 信長夜話
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