ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

ハンプトン・ローズの怪物・その二(モニターの挑戦)

前回「ハンプトン・ローズの怪物・その一」からの続き・・・

1861年アメリカ南北戦争が勃発。
1862年3月8日、南軍装甲艦「バージニア」は封鎖を試みていた北軍の軍艦とハンプトン・ローズで交戦。
それは「バージニア」の独壇場だった。

北軍の木造帆船コルベット「カンバーランド」を衝角攻撃で撃沈。
さらに「コングレス」を爆沈させる。


翌3月9日、応急修理を施した「バージニア」は、座礁中の北軍軍艦「ミネソタ」(木造帆船)にとどめを刺すべく再出撃する。
しかし、そこに待っていたのは、後に「バージニア」と同じ装甲艦に類別されることになる北軍の新装甲艦「モニター」だった。(アンケートモニターのモニターではない)

「・・・・?なんやろアレ?缶詰の缶みたいなケッタイなやつが、こっちに来るでぇ!」
「バージニア」の見張りが「モニター」を視認したとき、そう思ったのではないだろうか?(ボクの想像)

monitor23.jpg
《右砲戦態勢で接近する「モニター」とした。
水面上のモニターは薄い板切れの上に丸い缶詰の缶を載せたようだ。
絵に描いてみると、以外にもムズカシイ!
アホらしいほど単純な形なので、オモチャのようになってしまう》



これより前、北軍の装甲艦「モニター」は荒天の中をニューヨークからハンプトン・ローズに向かって出撃。
なんとか、夜遅くにハンプトン・ローズに到着したのだ(ジョン・L・ウォーデン大尉が指揮)。

「モニター」は味方(北軍)の軍艦を南軍装甲艦「バージニア」から守り、さらに装甲艦「バージニア」の脅威から北部の都市を守るために急がされて来たのだった。

「モニター」は3月9日午前1時、座礁していた北軍軍艦「ミネソタ」の視界に入る。
ということは、まもなく「モニター」と「バージニア」は交戦しただろうから、夜戦ということになるのでは(調べてみたが、わからない)?


「バージニア」を確認した「モニター」は距離1800メートルで砲撃開始。
砲弾は「バージニア」の装甲に命中、激しい衝撃を与えるが、鉄板にひびをいれたにとどまる。
つづく2発目は跳ね返される。

これに対して「バージニア」も反撃を開始、1発が「モニター」の砲塔をへこませる。
両艦の乗員は、砲撃の音で耳が聞こえなくなり、砲煙で何も見えなくなりながら砲撃を続けたという(換気も悪かっただろう)。

戦闘は接近戦になる。互いに衝角(ラム)攻撃をしようとするが、両艦とも運動性が悪いのでうまくいかない。
4時間半の激戦のすえ、「バージニア」のブキャナン大佐はついに退避を命じる。
(ほぼ同時に「モニター」のウォーデン艦長も退避を命じたという説がある。)

hunptonroadskessen12.jpg
《接近戦をする「バージニア」と「モニター」。手前が「バージニア」。
夜戦だったろうというボクの想像で描いた(ちがうかも?)。
4時間半もの戦闘だったというから、同航戦(同じ向きに航行して戦闘すること)だっただろう》



両艦とも損害がでており、「バージニア」は沈没を避けるために、
幾つかの砲を捨てなければならなかった。

二隻の装甲艦は、どちらも問題が多い艦だったが、「モニター」の砲はバージニアの砲と比べてかなり強力だった。
「バージニア」が辛うじて「モニター」の装甲をへこませただけなのに対して、「モニター」は「バージニア」の装甲板に数ヶ所のひびを入れる。

攻撃の際、「モニター」は主に徹甲弾を使って「バージニア」の上部構造を狙った。
設計者エリクソンは、それを聞いて、『もし榴弾を使い吃水線を狙ったならば、「バージニア」は容易に沈んでいただろう』と激怒したという。(Ken Burnsのドキュメンタリー"The Civil War, episode 2: A Very Boody Affair: 1862"より引用。)
「バージニア」は水線下は木造のままだ。もし水線下に「モニター」の砲弾が命中していたら、あっけなく、決着がついたかもしれない。


続く2ヶ月の間、「モニター」を戦闘に引きずり出そうと、「バージニア」は数回、単艦で出撃する。
一方、北軍は「バージニア」を北軍の都合のよい水域におびき寄せ、海に出てきたところを、「バージニア」の水面ぎりぎりの甲板の両端に大型蒸気船を乗り上げ、そのまま沈めてやろうと目論んだ。
ただ、「モニター」はどうしても避けようがない場合を除いては戦いに参加しないよう、大統領命令を受けていた。

結局、「バージニア」対「モニター」の装甲艦同士の戦闘は再起せずに、ハンプトン・ローズ海戦は終る。
南軍装甲艦「バージニア」は3月8日の戦闘で北軍に打撃を与えたが、戦略的には目的を果たせなかった。


<北軍装甲艦「モニター」のこと>

北軍装甲艦「モニター」はスウェーデンからの移住者、発明家でもあったジョン・エリクソンが設計。
南軍が「メリマック」(改装後は「バージニア」)を装甲艦に改造しているという情報を得て、急遽建造を始め、1862年2月下旬になんとか完成させた。

<船体と装甲>、
排水量1200トン(987トン説もある。ライバル「バージニア」よりかなり小型だ)、
史上初の鉄材だけで作られた艦だった。
乗員は55人。

鋼板で装甲された上甲板は水面ぎりぎりの高さしかなく、砲塔と小さな矩形の操舵室、分離可能な煙突および少数の取り付け器具を除いて、艦の大部分は敵の砲撃からの損害を防ぐために水線下にあった。
水面上の「モニター」の姿は、とても薄い板切れの上に丸いツナ缶が乗っているようだ。
敵艦から見れば、船体はほとんど波に隠れ、ツナ缶のような円筒形の砲塔だけが見えたのではないだろうか?

内径20フィート(約6m)の砲塔は8インチから9インチの鉄板(約23cm、重量120トン)で覆われ、
側壁は2インチから4.5インチ(約11,5cm)、甲板は0.5インチ(約1,3cm)の鉄板が使われていた。

<武装>
11インチ(約28cm)のダールグレン滑腔砲2門のみ。

<機関、航行性能>
「モニター」は、建造に100日かけ、1862年1月30日にブルックリンのコンチネンタル製鉄所からニューヨークのイースト.リバーに運ばれて進水。
47の新案の発明が使われていたが、テスト航海で多くの問題が明らかになる。

船は舵に反応せず、船体には水漏れがあり、ベンチレーターが役に立たなかった。
排気ガスが船室内に満ちて船員達を悩ませる。
その蒸気機関は推進機の他、砲塔の旋回、弾薬供給、機械室の通風などにも使われた。
速度は9ノット(時速18km、ライバル「バージニア」と変わらない)

それでも、「モニター」は革新的だった。
艦の部品は9カ所の鋳造所で鍛造され、1カ所に集められて建造。
「モニター」は 旋回砲塔に加え、エリクソンによるスクリューが装備された初の海軍艦艇だった。
設計者エリクソンは「モニター」に近代潜水艦の装備の多くを試み、いわば最初の「半潜水艦」として完成させた。
「モニター」の特徴である、鉄製、旋回砲塔などは、その後の戦闘用艦艇がことごとく装備するようになることをみても、先進性がうかがえる。

帆船や蒸気帆船がほとんどだったころ、どうですか「モニター」の怪物ぶりは?
一方、南軍装甲艦「バージニア」は上部が装甲で覆われてはいたものの従来の木造船であり、既存の艦の延長に過ぎない。


ハンプトン・ローズ海戦の結果、装甲艦の武器としての優位性が認められる。
装甲をもつ艦とそれをもたない艦が交戦すれば、もたない艦の劣勢がハッキリしたのだ。
「モニター」の登場は、それまでの木造軍艦を一気に時代遅れにして、軍艦は鉄の時代に突入した。

北軍の「カンバーランド」を撃沈した衝角(ラム)はその後に就役した軍艦に装備される。有効と認識された。
しかし、砲が発達して日露戦争で砲撃のみで敵艦を撃沈出きることがわかると、衝角(ラム)を装備する艦はなくなっていく。

これより数年前、久里浜に現れた4隻のペリー艦隊は
「黒船」の名前から鉄張りと思われがちだが、実はちがう。
2隻は木造の蒸気外輪船、2隻は木造帆船だ。


実は、軍艦の艦種にモニターというのがある。
艦体に比べてデカイ砲を搭載し、
喫水が浅く。波の静かな内海や河などで用いられる艦種だ。

その目的は搭載したデカイ砲での対地攻撃だ。
デカイ砲の移動手段だった。
陸上でデカイ砲を移動させるのはムズカしい。

それに比べると船には巨砲を積むことができる。
艦載砲が陸上の砲よりデカイ理由だ。
その艦種名モニターは、今回の北軍装甲艦「モニター」に由来する。


<その後>

「モニター」は1862年12月31日、運送船「ロードアイランド」による曳航中に高波におそわれノースカロライナ州ハッテラス岬沖で沈没、62名の乗組員のうち16名が行方不明となった。
水面ぎりぎりの高さしかない「モニター」の上甲板が波が荒い海では、致命的な弱点だったのだろう。

南北戦争は、南軍に利あらず、南軍はノーフォーク地区を見捨てることになった。
南軍装甲艦「バージニア」はハンプトン・ローズをうまく脱出するチャンスがほとんどないことが判ると、
鹵獲されるのを防ぐため、1862年5月11日の早朝、「バージニア」をクレイニー島へ擱座させて火を放った。
約1時間に渡って猛烈に燃えた後、弾薬庫が大爆発して果てる。



ハンプトン・ローズ海戦の結果をみて、各国で装甲艦が建造される。
その不思議な形がとても面白い!
また、装甲艦のことを書きたい。



ハンプトン・ローズの海戦
http://www42.tok2.com/home/fleet7/Museum/Muse049.html
wikipedia「ハンプトンローズ海戦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B5%B7%E6%88%A6
を参考にしました。









  1. 2013/09/24(火) 06:51:20|
  2. 怪物と怪し
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ハンプトン・ローズの怪物(その一)

今朝は台風が去って、ガクっと涼しい。
台風前の暑さが嘘みたいだ。

「自然は大いなる恵みをもたらすが、奪いもする」
最近、気にいった言葉。


さて、今宵は・・・

1862年3月8日朝、その怪物は、チェサピーク湾のジェームズ河の河口に現れた。
首長竜ではない(残念!)。
アメリカ連合国(以下南軍)装甲艦「バージニア」だ。

その姿は当時の軍艦とは、大きく異なっていた。
怪物を迎え撃つ合衆国海軍(以下、北軍)は、3隻の木造帆走軍艦(帆船)だった!



今回と次回は、以後の軍艦に大きく影響を与えた「ハンプトン・ローズ海戦」を書く。

ところで、「ハンプトン・ローズって何処?」と思われるでしょ。
アメリカ東海岸、ニューヨークやワシントンDCの南、約200km。バージニア州南東部。

ハンプトン・ローズとは同じ名前の水域を取り囲む陸地のこと。
ジェームズ川の北はバージニア半島。
ジェームズ川やエリザベス川の河口はチェサピーク湾や大西洋に繋がっている。


前年の1861年、アメリカで南北戦争が勃発(アメリカの内戦、あのアメリカで国を分けての内戦があったなんて、今ではピンとこないが)。

1861年4月、南軍の地上兵力は攻勢に出る。
バージニア州ノーフォークに迫り、ハンプトン・ローズの南側の地域を包囲。
北軍は、ポーツマスのゴスポート造船所を焼き払い撤退する。

この際、北軍は造船所に残っていた船を破壊したが、木造蒸気フリゲート艦「メリマック」は吃水線より上が燃えただけだった。

「メリマック」は南軍によって引き揚げられ、装甲艦に改装される。
艦名も「メリマック」から「バージニア」と変更された(以下、「バージニア」)。
怪物?の誕生だった。

この撤退により、ハンプトン・ローズ周辺で北軍が支配しているのは北側のバージニア半島、オールド・ポイント・コンフォート のモンロー砦 のみとなる。


北軍は、優勢な海軍力で、南軍の大西洋とメキシコ湾沿岸を封鎖しようとする。
艦隊をハンプトン・ローズに急派する。
一方、ジェイムズ川とエリザベス川という内陸の水路は南軍が制していた。
両軍の小競り合いはあったが、1862年の序盤まで膠着状態が続いた。


・・・1862年3月8日朝、南軍の怪物?装甲艦「バージニア」は動力(蒸気)航行で、北軍の封鎖を破るべく、ジェームズ河の河口に現れる。
北軍(アメリカ合衆国)の「カンバーランド」「コングレス」「ミネソタ」の3隻(いずれも木造帆船)と交戦する!

humptonrords222.jpg
《北軍の木造帆船軍艦「カンバーランド」に突進する「バージニア」とした。
この数秒後、「カンバーランド」は吃水線下に「バージニア」の衝角攻撃を受ける。
どてっぱらに孔を開けられたわけだ。
「カンバーランド」は、排水量1700トン、砲24門を持つ木造のコルベット。
各艦の位置、陸地の見え方、空の様子はイラストのようであったかはわからない。
想像で描いた。もうすこし狭い水域かな?》



「バージニア」は北軍の艦船へまっすぐに向かう。
距離が「カンバーランド」 から1マイル(1,609m)を切った。
北軍艦船と北軍の陸上砲台の全砲火が「バージニア」に開かれたとき、「バージニア」は攻撃を開始した。

「バージニア」は「カンバーランド」に突進、「カンバーランド」の砲弾は「バージニア」に命中するも、その装甲に跳ね返される。
なおも「バージニア」は突進、「カンバーランド」のどてっぱらに激突する!
ヴォン!バスッ!バキバキバキッ!
「バージニア」はその衝角(ラム、艦首の激突用の角のような武器)で「カンバーランド」を撃沈してしまった!

「バージニア」は「コングレス」 の方へ艦を転じる。
「カンバーランド」沈没をみて、「コングレス」の艦長は艦を退避させ浅瀬に座礁するように命令。

この時までには、ジェイムズ川の南軍小艦隊も到着し、「コングレス」を攻撃する「バージニア」と合流していた。
この状態が1時間続く。大破した「コングレス」はついに降伏。

「コングレス」の生き残った乗員が艦から退去する間、北岸にある北軍の砲台が「バージニア」を砲撃。
報復として、「バージニア」は「コングレス」に焼夷弾で砲撃を加える。
「コングレス」は弾薬庫が爆発、爆沈する!

一方、ジェイムズ川の南軍小艦隊は、モンロー砦を出て座礁していた「ミネソタ 」に対していた。
「バージニア」は損傷していたが、ジェイムズ川の南軍小艦隊と合流。
「バージニア」は、喫水下の船体には深刻な損傷を受けていなかったのだ。

夕闇がせまっていた。
「バージニア」は翌日に再度、北軍の艦隊を全滅させることを目論み引き揚げる。
夜の間、南軍が制海権を持つ水域に退いた。

この一日は、南軍装甲艦「バージニア」の独擅場であった。
とはいえ「バージニア」にも損傷がないわけではない。
衝角の一部がもぎ取られて、「カンバーランド」の横腹に刺さったままだ。
「カンバーランド」、「コングレス」、そして沿岸砲台による砲撃が「バージニア」の煙突を穴だらけにしたため、遅かった速度がさらに落ちた。

二門の砲が使用不能、装甲板は数枚が剥落。
さらに、ブキャナン艦長は大腿骨を骨折。
彼はこの負傷によりケイツビー・R・ジョーンズ副長へ艦の指揮権を移譲。
ブキャナンの脚は後に切断される(痛っ!)。

話はここで終わらない。「バージニア」に新たな強敵が現れる。
それは「バージニア」と同じ装甲艦に類別されるが、また違った怪物だった。

次回「ハンプトンローズの怪物・その二」に続く・・・


この年の9月14日(文久2年8月21日)の日本、
外国人遊歩許可区域内にある川崎大師の見物に出かけていた騎馬のイギリス人4人が,公武合体と攘夷を幕府にもとめる勅使大原重徳に随行し、京へ帰る途中の島津久光の一行(雄藩、薩摩の大名行列)と生麦村(現,横浜市鶴見区)で出くわした。

「下に~下に~」の意味もわからず、せまい道で進退きわまっているイギリス人に、無礼を働いたとして供頭の奈良原喜左衛門が斬りつけた。つづいて多数で襲撃した。
「生麦事件」だ!
ぺりー艦隊の来航以来、日本では攘夷(外敵は討つ)思想が優勢になり、騒然とした時代だった。
「生麦事件」については、いつか書きたい。

かたや、アメリカでは、南北戦争(内戦)が前年に勃発、実はアメリカも大変な時代だったのだ。
ペリー艦隊が久里浜に現れたのは、今回の「ハンプトンローズ海戦」の9年前。
南北戦争の前だった。




<南軍の装甲艦「バージニア」のこと>(旧名「メリマック」)

南北戦争初期、北軍がバージニアから退去する際、北軍はノーフォークにある海軍造船所を破壊した。
そこにエンジン不調のため係留されていたのが北軍の蒸気フリゲート艦「メリマック」だ。

造船所の破壊で係留中の「メリマック」も火災を起こし沈没したが、艦は吃水線までしか燃えなかった。
造船所を占拠した南軍のブルック大佐らの提案により船体を引き揚げ、装甲艦に改装されることになる。
上部構造を減らし、鉄板で覆った(吃水線下は木造のまま)。
1862年2月17日、南軍は同艦を「バージニア」 として再就役させる。

鉄板の装甲が敵の砲火を無効化すると考え、「バージニア」に衝角(現代の軍艦にはない。艦首の吃水線下に硬い角状のものを取り付け、艦ごと敵艦に衝突させて、孔を開けて撃沈する)を装備した。

完成を目指す努力にも関わらず、「バージニア」は出航時にまだ艤装員を乗せていた。
海上公試または航海訓練をしないまま(完成体ではなかった)、大急ぎで出撃する。
艦長には、フランクリン・ブキャナン大佐が選ばれた。

CSSVirjinia32.jpg
《「バージニア」の側面形、船首の突起が衝角(ラム)。》

       
<船体>
排水量は3500トン(4000トン説もある。第二次大戦当時の大型駆逐艦ほどの排水量だ。)の蒸気船、
船体の六割は水面下(水面下は木造)にあり、水面上の砲室は左右の側壁が大きく傾斜している。

側壁は、厚さ24インチ(約600mm)の木材の表面に厚さ2インチ(約50mm)の鉄板を縦横二重に、計4インチ(約100mm)の厚さに張った。
水上の砲室の高さは、わずか15フィート(約4m57cm)だ。船体の構造にはかなり問題があって、水漏れが多くみられた。

<備砲>
9インチ(直径、約225mm)の滑腔砲(かっこうほう、砲身内にライフリング(旋条)がない砲)6門。
6.4インチ(直径、約160mm)施条砲(せじょうほう、弾道を安定させるために、ジャイロ効果を利用し弾を回転させる砲身内に螺旋状の溝(ライフリング)を切り砲弾に食い込ませて回転を与える砲)2門。
7インチ(直径、約175mm)施条砲2門。
12ポンド榴弾砲(りゅうだんほう、同口径のカノン砲に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が短く、低初速・短射程であるが軽量でコンパクト、高仰角の射撃に主用する)2門の計12門。

<機関、航行性能>
もともと調子の悪かったエンジンをそのまま使ったので、「バージニア」は扱いにくい艦だった。
パワーは不十分で、速度は6ノット(約、時速12km)から最高でも9ノット(約、時速18km)しか出ない。

さらに、運動性能は、180度の進路変更に30分から40分もかかってしまった!という。
現在の船と比べると、ノロノロと進み、ウンザリするくらい時間をかけて回頭した。


木造の構造に、甲板より上の構造物に鉄板を貼り付けたわけだから、当然、重心は上がる。
構造物を低くして、標的になりにくくして、すこしでも重心の上昇を抑えようとしたのだろう。
おそろしく低い乾舷、高い重心からして、波の荒いところでは使いものにはならなかっただろう。


それでも、木造の帆船や蒸気帆船がほとんどの時代(「バージニア」に撃破された北軍軍艦3隻も、すべて木造帆船)、帆をもたず、傾斜した上部構造物に鉄板を貼り付け、
きわめて低い艦型の「バージニア」が敵弾が上げる水柱のなか、煙突からモクモクと黒煙をたなびかせ、突進する様は異様だっただろう。

「ハンプトンローズの怪物」にふさわしい!

次回「ハンプトンローズの怪物・その二」に続く・・・




wikipedia「ハンプトンローズ海戦」を参考にしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B5%B7%E6%88%A6







  1. 2013/09/17(火) 06:58:59|
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パソコンの修理顛末

とても暑い夏ですが、
それでも、夜になると虫の声が窓の外に聞こえるようになった。


パソコン故障でブログの更新を休みました。

なんとか、パソコン修理を終えた。

以下、パソコン故障から修理までの顛末です。


7月末から、パソコンが突然、ゴ~ゴ~ゴ~と音をたるようになった。
それが3度ほどあった。
ボクの愛用のパソコンは、10年前に初めて買ったデスクトップパソコン。
なんやかやで15万円ぐらいした(高っ!今からすると)。

検索してみると「パソコン内部を掃除すると良い・・・」というのを見つけた。
「そうか、掃除だ!」
まずは掃除をした(なるべく修理はしたくない)。

「パソコンを開けて手をいれるなんて恐ろしい!」と思っていたので、
恐る恐る、掃除機で内部のほこりを吸い取ってみた。
「これで良くなるかも?」と電源を入れる。

黒い画面に
「Previous fan failure.
Strike the F1 key to continue, F2 to run the setup utility」という表示。
英語を見ただけで動転するボクは、「 F1 key to continue」のところに惹かれ?た。

F1キーを押すと「スタート画面」になる。
「やれやれ、とりあえず危機は去った!」と・・・
(ここまでは前々回のブログで書いた。)

ところが、次回、電源を入れると、またもや、黒い画面。
「Previous fan failure.
Strike the F1 key to continue, F2 to run the setup utility」と表示される。
F1キーを押すと「スタート画面」。
その日のパソコンの作業を終了してシャットダウン。

数日、そんなことを繰り返した。

いやまてよ、「Previous fan failure.」のところに注意しなくてはいけないのでは?
そうなのだ!エラー(警告)表示なのだ!
「ガ~ン!ファンが故障のようだ!どうしよう?」

「修理に出すしかないな!」
エラー表示が出るパソコンは使用しないで、家人のパソコンから、検索する
(家人がパソコンをもっていて良かった)。

kosyou12.jpg
《「どうしよう?」とパソコンを見つめる。
パソコンが暴れているように見える。

ボクのパソコンのレベルは、ソフトがインストール出来る程度だ
(それもアヤシイときがある)。
今回のような故障が起こったりすれば、困惑するばかり。
パソコンは疲れるな・・・・》



以下、我が愛機(古いパソコン)の修理の顛末。


まず、「パソコン修理」を検索
メーカーに修理依頼するとデータは失われて帰ってくるらしい?
時間もかかるらしい?
メーカーのサポートに連絡して見積もりをとらないといけない。

近在のパソコン修理屋さんを検索
電話(メール)で見積もりを取ろうとしても、
結局、故障の状態を見ないと修理代の見積もりは出ないだろう(当たり前だが、めんどうくさい!)

ボクは修理屋さんに来てもらうのではなく、愛機(パソコン)を持ち込むつもりだった。
そうすると、繋いである周辺機器(プリンターやスキャナーなどなど・・・)を外して、
ショックを与えないようにしてもって行くことになる。

修理中に追加で修理する必要が生じて、修理代が増える可能性があるだろう

検索結果をひとつづつ、内容を確認。
「これは!」と思う情報は「お気に入り」に入れて保存。
いくつもの検索内容を確認するだけで、グッタリ疲れる!
今晩はここまで!寝る。


別の日、「やっぱり、パソコン修理屋さんに頼も」と3件ほどに絞る。
3件のパソコン修理屋さんのホームページを何度も見る。
「良心的なところだろうか?おそらく、修理屋さんのいいなりだな?」と・・・

ボクはパソコン修理には無力だ!
疲れた。今日はここまで!寝る。


次の日、「まてよ!この前の掃除のやり方で良かったのだろうか?」と疑念。
一晩寝ると頭のスイッチが切り替わる。

「デスクトップパソコン 掃除 パソコンの機種名」で検索
どうも、パソコン内部のファン周辺は、もっとキッチリやらないといけないようだ?

「3か月に1回、掃除をしている」という記事も見た。
ボクは10年前にこの愛機(パソコン)を買ってから今まで、一度も掃除をしたことがない。
いや、「パソコン内部の掃除」など考えたこともなかった(ほめられたことではない)。

検索をしていると次々と疑問とわからないことが出てくる。
その疑問を、検索する。すると、また疑問だ。検索する。疑問、検索を何度も繰り返す。
疲れた、今晩はここまで!寝る。


次の日、再度、パソコン内部の掃除を決意。
掃除道具を買いに行く。

エアーダスター(ほこりを吹き飛ばすスプレーのようなもの)、
綿棒(ファンにくっついたほこりを取る)、
グリース(ファンの軸受けに充填することになるかも?)
エアーブラシ(空気を吹き出すポンプのようなもの)
薄いビニールの手袋(感電を恐れて)などなど

疲れた。今日はここまで!


掃除の日、道具を揃え、パソコンの電源を抜く。
さらに、繋がっている周辺機器をパソコンから引き抜く。

パソコンを開ける。ファンが二つある。
ひとつは電源のファン、ひとつはCPUの冷却ファンだ(検索してわかった)。

電源のファンには蜘蛛の巣を単純にしたような形の円形のガードがある。
ネジをはずしてガードを取り、エアーダスターと綿棒でほこりをとり出す。
とり出したほこりは、すかさず掃除機で吸い取る。

CPUの冷却ファンはネジを緩めて外し、裏から表からほこりを出す。すかさず掃除機。
この冷却ファンは熱交換のためのフィンの束(クーラー?)に繋がっている。フィンのヒダヒダにエアーダスター攻撃!
ほこりを出す。すかさず掃除機。

パソコンは空冷なのだ。
フィンの束はCPUに繋がっていて、CPUの熱をフィンの束が受け、
それを、今回、掃除している冷却ファンがパソコンの外に出す。
そんな仕組みになっているようだ。
(CPUはパソコンの中枢だから、熱が高いのだろう?)

そのためには、フィンの束やファンにほこりがこびりついていると、冷却効率が落ちる。
パソコン内に熱が充満する。
パソコンは熱に弱い(これは知っていた)
だから、掃除が大事ということになる。

こんな風に書くと、ボクがパソコンに詳しいようにきこえるが、
今回になって、わかったことだ。

一通り掃除。ファンが回るのかどうか?見たい。
そのためにはパソコンの電源を入れなくてはならない。
取扱い説明書には「パソコンを開けるときは必ず電源を抜け」と書いてある。

「電源を入れても良いの?」と思ったが、
ここまで来たら仕方がない、電源を入れた。

パソコン内部の電源のファンは勢いよく回っているが、CPUの冷却ファンは動いていない。
どうもCPUの冷却ファンの故障らしい?
「どうしよう?」
疲れた、今日はここまで!


別の日、
おそらく、冷却ファンの熱センサーがイカレたのだろう?

修理方法は、冷却ファンを取り換えるということなのだろう?
冷却ファンをバラして修理する能力はボクにはない。

こうなったら、冷却ファンを自分で取り換えることにした!
取り換えても動かなければ、その時は、パソコン修理屋さんに頼もう。
なんと、自分で修理することになった!

この機種の冷却ファンをなんとか探しだして、買い注文を出す。
2日ほどで冷却ファンは届いた。
疲れた、今日はここまで!寝るは!


別の日、
掃除の際にパソコンは開いた状態にしておいた。


CPU冷却ファンから伸びたコードの先のジャックの向きのメモをとる。
おのおの色のついた3本のコードだ。装着時の向きがあるのだろう。

動かない冷却ファンを、ネジをはずして取り外す。
コードの先のジャックをソケットから抜こうとするのだが、なかなか抜けない。
「ペンチで抜かないといけないのかな?」と不安になる。
ソケット内の端子は、おそらく細いものだろう?
曲げてはいけない。

そこへ電話(この、忙しいときに、まったく・・・)。
電話で話しているときも、抜く方法を考える。
目はソケットを睨みつける。

電話が終わり、もう一度、挑戦。
今度は難なく抜けた。
ボクはソケットごと引っ張っていたのだ。
どこまでがソケットなのか、わからないのだ。
黒色のとても小さいジャックとソケット。一体に見える。

危うく傷めるところだった。電話が救ってくれたように思う(ついてる!)。

CPUの冷却ファンの交換は、あっけなく出来た。

新しい冷却ファンをネジで固定。
さて、電源を入れる。期待と不安。

おぉ!冷却ファンが回っているぞ!
ウレシイ!
ひさしぶりのウレシいことだ。

そして、愛機(パソコン)は正常に起動した!


「パソコン内部をイジるなんて、とても無理!」と思っていたが、
なにかに導かれるように(ちょっと大げさ?)修理することが出来た。

保存されているデータは、また使用可能になり、
修理費用も安く上がった(自分の人件費はタダだから)
パソコンの知識がないボクにしては上首尾だ!

こんなパソコン修理の顛末だった。



「それでは」とイラストをスキャナーで読み取る。
ブログに張り付けるイラストはスキャナーで読み取っている。
ところが、スキャナーがまったく反応しない?
一難去ってまた一難・・・



この2週間ほど、パソコン修理に振り回された。
パソコンでやりたいことではなく、保守点検作業だ。
「いったい、ボクはなにをやっているのだろう?」と思った。

会社などで、パソコンの保守点検作業を外部に依頼しているところがあるが、納得。

デイトレーダーやFX取引をやっている人が、机に4~5台のパソコンを並べて、
ディスプレーを睨みつけているところを見たりするが、
各パソコンの保守はどうしているのだろう?

「お前の心配は無用だ!彼らは金もちだから、保守は外部依頼しているのさ!」
なるほど、貧乏人の余計な心配だったのだろう・・・

<ご注意>
保障期間中のパソコンは開けただけで、保障は無効。有償修理になることもあるそうなので、
ご注意ください。







  1. 2013/09/02(月) 07:14:05|
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