ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

相撲が好き(信長夜話・その72)

織田信長は諸国の大名に、短いが意味深な書状を送りつけた。

「禁中御修理、武家御用、その外、天下いよいよ静謐(せいひつ)のために、来る中旬(二月)参洛すべく候の条、
各々も上洛ありて御礼を申しあげられ、馳走肝要に候。ご延引あるべからず候」である。

「従わないのならば、天下静謐(せいひつ)のため、上洛した大名を従えて、幕府御用を掲げて討伐するぞ!」という信長の意図があったと言われている。
それは、元亀元年一月二十三日付けだった。

しかし、書状にある二月中旬の予定は大きく遅れ、信長が岐阜を発ったのは二月二十五日。
その日は赤坂で宿った。
さらに、遅れているにもかかわらず、信長の上洛は急ぐ気配をみせない。
途中、常楽寺(じょうらくじ・現滋賀県蒲生郡安土町)にとどまり、近江の相撲取り(相撲好き)を集めて相撲会を催している。

時間をかけて上洛したのは、その間に書状を送りつけた大名達の出方をうかがっていた、と考えられている。
普通、直情型と思われている信長だが、なかなかの役者ではないか?

『信長公は常楽寺にしばらく滞在し、3月3日近江国中から力士を集めてこの地で相撲見物をした。
集められた力士は百済寺の鹿、百済寺の小鹿、たいとう、正権、長光、宮居眼左衛門、河原寺の大進、はし小僧、深尾又次郎、鯰江又一郎、青地与右衛門といった面々であったが、会場には他にも腕自慢の相撲取りたちが我もわれもと詰めかけ、数をも知れないありさまとなった。

木瀬蔵春庵の行事のもと取組は進み、最後に鯰江又一郎・青地与右衛門が勝ち残った。
信長公は両人を御前に召し寄せ、褒賞としてのし付きの大小を与え、さらに両人を家臣に加えて相撲奉行に任じた。
両人とも面目の至りであった。
また、見事な相撲を見せた深尾又次郎には信長公から衣服が贈られた。』(『信長公記』現代語訳)


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《信長の時代の相撲には、まだ土俵はなく、多くの人が回りをグルリと囲み、そのなかで相撲をとったという説がある。
そうすると、「押し出し」などの決まり手は、どうしたのだろう?

また、「禁じ手」などのルールは江戸時代に作られたというから、
殴る蹴る、噛みつく、くすぐる、血をみる、なんでもありの野生的な相撲だったのではないだろうか?
相手を地に転がしたほうが勝ち。
きわどい相撲には行司が強引に判定したのだろう。

テレビ中継されるプロの相撲も結構だが、素人相撲が面白い。
現在、各地で催されている「ちびっこ相撲」は一度見てみたい。
洗練されたプロの相撲にはない面白さがあると思う。

プロのやることは手堅く、確実性があるが、その分、面白さに欠けるとボクは思う。
素人は不確実ではあるが、だから、以外性があり面白い!

イラストの相撲は「北斎漫画」を参考にした。》



相撲は信長の好きなもののひとつ。
乗馬、鷹狩り、水泳、甘味、茶の湯、などなど、好きなものが知られているが、相撲も大好きだった。

相撲で好成績を上げると、時には家臣として召抱えたから、多くの参加者を集めた(千人という説もある)。
『信長公記』の文面には、相撲会の楽しさが伝わってくる。

「百済寺(ひゃくさいじ)の鹿・百済寺の小鹿」という名前がある。武士ではないように思う。
良いねえ!「鹿・しか」だもんね。
地元の相撲巧者ではなかったか?農民かもしれない。
「百済寺(ひゃくさいじ)の鹿」の得意は、ツッパリからの右四つ、豪快な上手投げ。

「はし小僧」なんて、これまた良いじゃないの!
どんな男だったのだろう?
「はし小僧」の得意は、軽快な動きから、トッタリ、小股すくい、内がけ。
なんて想像すると楽しい!

最近の大相撲では、「内がけ」なんて決まり手を見ない。
近所のご隠居に聞いたところ、
『お前さんたち、若いもん(ご隠居からみれば)は知らんだろうがな、
以前に「琴ヶ浜」という「内がけ」の名手がおったな。

立ち合いで相手と組みあった瞬間、切れるようにワザが決まるんだな。
そうすると、観客からヤンヤの拍手だったんだよ・・・」


『信長公記』文中の鯰江又一郎は 近江の土豪だろう。
六角氏の家臣にもこの名があるので、出自はそのあたりか?
信長に士官する目的での相撲参加だったのかも知れない。

青地与右衛門 は馬の調教に長けており、後に「御厩別当」に任じられた。
多くの名馬を調教し、正宗の名刀を与えられている。有名な「馬揃え」などでも活躍した。


今回の相撲会で優秀な力比べを見せ、信長を満足させた宮居眼左衛門は重藤(しげとう)の弓を拝領している。
最後まで勝ち抜いた力士両名が、取り組みの後に申し合わせて太刀と弓とを持たせた家臣を従えて入場し、信長に挨拶をしたのが、現在の「弓取り式」の始まりと言われている。(信長だったのだ)

木瀬蔵春庵は「行事」とあるが、行司(勝ち負けの判定をする)のことだろう。
これが「行司」の初見とされている。

行司が使用する軍配は、戦の際に大将が軍を指揮する軍配。
現在の「大相撲」の行司の衣装をあらためて見直すと、室町時代の武士の装束、「直垂・ひたたれ」だ。
頭には烏帽子(えぼし)をかぶる。

現在の行司が腹帯に脇差しを指しているのは帯刀を許された武士という意味。
また、差し違え(誤判定)の場合には切腹するという意味があるという(キビシイ!)。

また、東西に分かれる上覧の仕方も、信長が、最後まで勝ち抜き、見事な力くらべを見せた両力士に対して、
東から土俵にあがった者に「東」、西から土俵にあがった者に「西」という姓を下賜したのが始まりと言われている。

鎌倉・室町時代、相撲は武士の間で、心身の鍛練や戦闘に役立つものとして盛んに 行われた。
武術の一種として奨励された。

信長は元亀元年(1570年)頃から10数年に渡り、毎年大勢の力士を集めては相撲大会を催している。
力士といっても、殆どが力自慢の土豪や農民であったと思われる。


こうしてみると、現在の大相撲と信長の関係は深い。


<相撲>
http://www.nobunaga-lab.com/labo/08_bunka/sumou/sumou.html
谷口克広著「織田信長合戦全録」中公新書¥840+税 を参考にしました。
<私訳「信長公記」>から引用した箇所があります。
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shisaku.html




2013年の「ブエノス小僧のイラストブログ』の更新は、これで終わります。
お付き合いいただき、本当にありがとう。

今日も寒そうだ。
今夜は「鱈ちり」でイッパイやろうかな。
良いお年を・・・











  1. 2013/12/24(火) 07:06:24|
  2. 信長夜話
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告白(ジョーク)

平成25年も師走になりました。
ボクは鍋また鍋の毎日。
電気のホットプレートのような鍋型のやつが大活躍。


師走の夜、晩飯にイッパイやりながら・・・

夫 「なあ、実は今だから打ち明けるけど、お前に隠れて、可愛がった女がいたんだよ!」

妻 「・・・・正直に打ち明けてくれて、ありがとう。・・・でもアタシも、あなたに内緒で一度だけ浮気したことがあるの!」

夫 「そうだったのか、お前がそうやって正直に言ってくれるなら、ワシも言うけど、その女とは別に、行きつけのバーの女と浮気したことがあったな。」

妻 「アナタがそこまで正直に打ち明けてくれるなら、私も言うけど、隠れ宿の温泉にいった男がいたのよ。城之崎にて・・・」

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夫 「ふーん、じゃあワシも言うけど、町内会の渡辺さんの奥さんとは、そういう仲だったんだ。」

妻 「あら、アタシも、郵便配達員とそういう仲だったのよ!だって、二度ベルを鳴らすんだもの・・・」

夫 「ほう、オレは入院したとき、掃除のおばさんとやった。」(やったって!そ、そ、そんな・・・)

妻 「アタシも、アナタを見舞いにいったとき、レントゲン技師のお兄さんとやったの。」

夫 「オレは裏の杉本さんの奥さんとやった!」

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妻 「アタシは5丁目の団さんとやったは!」

夫 「越前海岸の旅行のとき、バスガイドと・・・」

妻 「2丁目の火事のとき、消防士さんと・・・」

夫 「散歩のとき、野良仕事をしていたおばさんと、ライ麦畑で・・・」

妻 「犬を連れて散歩していたおじさんと、ノルウエイの森で・・・」


夫 「ええい、まどろっこしい!セェノでお互いのヤッタ数を言おう!」
妻 「・・・大よその数をおしえてくれないと・・・アタシ言いにくいは!」

夫 「・・・」

妻 「・・・」

夜 「・・・」





● 最近は「告白」のことを「カミングアウト」などと言うらしいが、
「告白」という言葉があるのだから「告白」で良いじゃないか、と思う。
短くなるワケでもなし。







  1. 2013/12/10(火) 07:25:40|
  2. ジョーク
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すくなくとも3人はいる?

この世には、自分とそっくりな人間が、すくなくとも3人はいると言われる(5人だったかな?)。
なんか、ウレシイような、ウレシクないような・・・
会ってみたいような、会ってみたくないような・・・


”勇治は家に帰ってくると、自分の部屋へ向かった。
部屋に入ると、こちらに背を向けて机によりかかっている男がいる。

怪訝な思いで「誰だろう?」と思って、よくよく見ると、
その男は髪型から着ているものまで、勇治とソックリだった。
思わず息を呑んだ。
自分の後ろ姿を見たことはないが、その男は自分としか思えない。

「じゃあ、顔はどうなんだろう」と、その男の後ろから近づくと、
その男は後ろ向きのまま(振り向くことなく)、細く開いた障子の隙間から、スッと外へ走り出て行ってしまった。
勇治は追いかけようと、障子を開けたが、もう男の姿はどこにも無かった。

勇治は、その不思議な出来事を老いた母に話した。母はだまって眉をひそめるばかりだった。
その直後から、勇治は病気になり、まもなく死んだ。

実は、この家では三代にわたって、当主が自分自身の姿を見て、その直後に亡くなっていたのだ。”

という話が澁澤龍彦著『東西不思議物語』に紹介されている(原文通りではない)。
『奥州波奈志』のなかの「影の病」という話を引用している。



実は、こうした現象は、精神医学では「オートスコピー(自己像幻視)」という。

ボクの大好きな作家、芥川龍之介はその経験があるといい。
異常なほど興味を示したそうだ。

他にも「自分を見た」というような話が残っているが、こういう経験をした人には、
その後、不幸が訪れているらしい。(『東西不思議物語』)


時空は「メビウスの輪」のように歪んでいる、という話をきいたことがある。
時空の歪が、そういったことをもたらすのだろうか?

不思議は好きだけれども、科学的にはいい加減なボクは、
「そうか、時空の歪か、メビウスの輪か、そうだよな・・・」
などと、適当に納得してしまうのだ(情けない!)。

それとも、自分にソックリの人間が本当にいるのだろうか?



話は変わる。

”小枝子はその日、一人でデパートにいた。買い物も済ました。
下りのエスカレーターに乗っていると、上りのエスカレーターに、どこかで見覚えのある顔が見える。
みるみるすれ違った。「あれっ!」
ハッとして小枝子は振り向いた。その顔は自分に似ていたのだ。

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妙な気がした。
下の階に降りると、スグに上りのエスカレーターに乗りかえた。
自分に似ている女に興味を覚えたのだ。

文房具売り場のある階に、その女を見つけた。
小枝子は、その女の死角から盗み見する。

髪型がちがうが、よく似ている。いや、ソックリだ。
背丈も似たようなものだ。
体つきは、自分よりもすこし痩せているように見える。

その女はファイルブックとボールペンらしきものを買うと、エスカレーターで下の階へ、
小枝子は、その女を追った。

その女は2階の婦人服売り場をブラブラした後、
デパートの地下から地下鉄のほうへ歩いて行く。
地下街の両側には多くの店舗があるが、立ち止まることもなく、どんどん歩いていく。

改札を過ぎ、地下鉄乗り場へと階段を下りる。
地下鉄に乗ると四つ目の駅で乗り換えた。
乗り換えた電車は小枝子の最寄り駅がある路線だ。
「えっ!偶然!」小枝子は益々、その女に興味をもった。

電車のなかで、人越しに観察する。
なにかの拍子に、その女がこちらを見た。
「ドキっ!」、小枝子は顔を伏せる。

恐る恐る、顔をあげて、その女を見る。
どうやら、小枝子に気がついたわけではないらしい。
「ホッ」とする。
まるで、刑事か探偵の気分だ。

自分には、自分が知らない双子がいたのだろうか?
いや、そんな筈はない。そんな話はまったく聞いたことが無い。
これは幻影ではないのか?
小枝子はいろいろと想像してみた。

小枝子の最寄り駅が近づいてきた。「まさか?」
その、まさかだった。
その女は「○▽駅」で降りたのだ!

見慣れた改札を抜け、駅前の商店街を通り、住宅街のほうへ・・・
「ええっ!どういうこと!」
北村さん家の角を回れば、自分家はすぐだ。

その女は、その角を回った。
そして、今日、小枝子が出かけた玄関でインターホンのベルを押す。
大胆不敵というか、自分家に何の用事があるというのだろう?
小枝子の頭は混乱していた。

小枝子は玄関をやり過ごしたところで息を殺し、神経を耳に集中する。


「私!玄関を開けて!」
「はーい!あら、早かったわね・・・どうしたの?」母の声だ。
その女は、なにごともなく小枝子の家へ入っていった。

カチャ!と内側から玄関ドアをロックする音が聞こえた。

愕然とする。どうなっているのだ、一体あの女は誰?


そして私は誰なんだ?”



一盛り¥300の蜜柑(安っ!)を口にしながら、そんな話をボクは想像した(ヒマなやっちゃ)。




澁澤龍彦著『東西不思議物語』河出書房新社¥380 を参考にしました。









  1. 2013/12/10(火) 07:24:30|
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