ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

糸女は見た!

ゴールデンウイークですね。
出かければ、渋滞また渋滞が待っているような気がする。

10日ほど前の土曜日、一般道で愛知県~木之本(滋賀県)~敦賀(福井県)へとクルマで行ってきた。
木之本から琵琶湖の北岸にかけて渋滞に巻き込まれた。
延々とクルマが連なっていた。

「この渋滞の先頭は動いているのだろうか?」
「日本国内のクルマの数が、また増えたのじゃないのか?」と思った。

ということで、ゴールデンウイークはおとなしくすることにした。



ところで、

戦国時代の美女と言えば、織田信長の妹(異説あり)の市(お市)だろう。
その次はというと、細川ガラシャではないだろうか。

細川ガラシャは細川忠興(ただおき)の室(妻)、玉子(たまこ、たまごではないよ)だ。
明智光秀の第三女(異説あり)。
天正六年(1578)八月、織田信長の口添えによって忠興(ただおき)と玉子は夫婦となった。
ともに16歳だった。

翌年、嫡男、与一郎忠隆(ただたか)を生んでいる。
順調な新婚生活だったようだ。
忠興は玉子を熱愛したといわれる。
玉子は容姿が美しいのみならず、教養、才能にもめぐまれていたという。

しかし、「本能寺の変」後、父、光秀が羽柴秀吉に敗れ、その秀吉が実験を握ると、
夫、忠興は玉子を丹後半島に軟禁する。
玉子の存在が細川家を微妙な立場にしたためだ(「本能寺の変」のとき玉子、20歳)。

思い悩んだ玉子は耶蘇教(キリスト教)に傾倒していく。
天正十五年、夫、忠興が九州遠征の留守中に京の南蛮寺を訪ね、信仰生活にはいる。
洗礼を受け「ガラシャ」と称した。

慶長五年(1600)、夫、忠興は徳川家康の会津征伐に参加して出陣。
家康の留守に反旗を翻した石田三成は、大阪に住む徳川方大名の妻子を人質として、大阪城に入ることを要求してきた。

その時、細川屋敷(大阪、玉造)にいたのは、ガラシャとその娘二人、嫡男忠隆の妻、
他は少数の侍女と老臣がいるのみだった。

ガラシャは二人の娘をオルガンチーノ神父へ預け、
嫁(忠隆の妻)は隣家の宇喜多屋敷(「関ヶ原の戦」の西軍主力、宇喜多秀家の屋敷)へ避難させる。

自分は留守家老、小笠原小斎に長刀(なぎなた)で胸(喉?)を突かせて亡くなった(ということになっている)。ガラシャ38歳だった。
老臣たちはガラシャの死を見届けたあと、屋敷に火をはなって切腹した。

これが、普通知られている細川ガラシャの人生のあらましだ。


「天性の国色(こくしょく)、容貌の美麗比倫なく、精神活発、穎敏(えいびん)、果決、心情高尚にして才知卓越せり。」と『日本西教史』はガラシャをベタ褒めだ。
「すごい美人、決断にとみ、気品があり、才知に恵まれている」ということだろう。

ボクは初めて、ガラシャの最後を知ったときは感動した。
だが、オジサンになったボクはへそ曲がりになった。

「ええ?そんな、なにもかも備わった人間がいるの?」
もし、いたとしても、ボクは好きになれそうもない(べつに好きになってくれなくても良いだろうが、)。

昔の清純派女優は「ウンコをしない、屁もしない。鼻くそをホジらない。いや、鼻くそそのものがが出ない。」
ということになっていた。

今となっては「そんなバカな!」ということなのだが、
かつては「ひょっとすると・・・?」と思われていたのだ、とくにファンには。
ガラシャを美化する風潮には似たものをボクは感じる。


ガラシャの死は、キリスト教布教活動の格好の材料だっただろう。
(ガラシャはキリスト教の有力なスポンサーだったと思われる。)
そのために美化された、とボクは想像している。

「小笠原小斎に長刀(なぎなた)で胸を突かせて亡くなった」という下りも、
キリスト教側が脚色したのではないのか?(キリシタンは自刃は許されていないから)
「霜女覚書」には死に方については書かれていないという。


ガラシャ人気には、それなりのわけがあるように思う。

その1、織田の有力武将、明智光秀の娘、細川忠興(ただおき)の室(妻)、つまり、お姫様だ。

その2、そのお姫様が、追い詰められて死んだ。これが死なずに、ノウノウと生きていたならば、
これだけの人気にはならなかっただろう。
「高みにある人が奈落に落ちる。」、洋の東西を問わず人はそういうのが好きなのだ。

その3、美人だった(ということになっている)。悲劇と美人は相性が良い。
美人ゴルファーだとか、美人OL、美人弁護士、美人八百屋のおかみ(そんなのはないか?あったら良いなあ!)・・・、
見てみると「それほどでもない」と思うのだが、美人のほうが受けが良い。(関係なかったかな?)

その4、耶蘇教(キリスト教)の洗礼を受けた。熱心な信者だった。
日本人はキリスト教に弱い。キリスト教の信者は、映画やドラマでは、だいたい善玉で描かれる(蘭学者もそうだ)。
逆偏見だとボクは思う。
そんなにキリスト教信者を良く描くのなら、キリスト教に入信する人が増えそうなものだが・・・?
「キリスト教はなんとなくカッコいい」と思っているだけなのだろう。



itojyo23.jpg
《イラストは芥川の『糸女覚え書き』をイメージした。不美人には画けないので、情緒不安定系とした》

「ガラシャ美化」に釈然としないボクを満足させてくれる短編小説がある。

『秋林院様(しゅうりんいん、ガラシャのこと)のお果てなされ候(そうろう)次第のこと。』ではじまる
芥川龍之介が書いた「糸女覚え書き」だ(ボクは芥川の作品が好き)。
ガラシャに仕えた「霜」が書いたといわれる「霜女覚書」を下敷きにして書かれたといわれている。

石田三成からの人質要求事件を大筋に、
侍女として仕えていた糸(いと、架空の女)が見たガラシャというのが芥川の設定。


芥川の「糸女覚え書き」の一部を抜粋する。

『・・・唯朝より秀林院様(ガラシャのこと)の御機嫌、よろしからざるやうに見上候。
総じて御機嫌のよろしからざる時にはわたくしどもへはもとより、
与一郎様(忠興の子、忠隆ただたか)の奥様へもお小言やらお厭味やら仰せられ候間、
誰もみな滅多にお側へは近づかぬことと致し居り候。
けふも亦与一郎様の奥様へはお化粧のあまり濃すぎぬやう、「えそぽ物語」とやらの中の孔雀の話をお引き合ひに出され、長ながと御談義有之候よし、みなみなお気の毒に存じ上げ候・・・』

《朝から、秀林院様は御機嫌が悪いようだ。だいたい御機嫌が良くない時は、私たち(侍女)へはもとより、
与一郎様(忠興の子、忠隆)の奥様へもお小言やらお厭味やら言われる。
皆、滅多に秀林院様のお側へは近づかないようにしておりました。
今日も、与一郎様の奥様にお化粧が濃すぎぬよう、「えそぽ物語」(「イソップ物語」のこと)の中の孔雀の話をお引き合ひに出され、長ながと話された。
みなお気の毒にと思ったものです。》(ボクのつたない現代語訳)

また、
『霜は又右の次第を秀林院様へ申し上げ候ところ、秀林院様は御返事も遊ばされず、
唯お口のうちに「のす、のす」とのみお唱へなされ居り候へども、やうやくさりげなきおん気色に直られ、・・・
ことごとにわたくしどもをお叱りなされ、又お叱りなさるる度に「えそぽ物語」とやらをお読み聞かせ下され、
誰はこの蛙、彼はこの狼などと仰せられ候間、みなみな人質に参るよりも難渋なる思ひを致し候。
殊にわたくしは蝸牛(かたつむり)にも、鴉(からす)にも、豚にも、亀の子にも、棕梠(しゅろ)にも、犬にも、蝮(まむし)にも、野牛にも、病人にも似かよひ候よし、くやしきお小言を蒙り候こと、末代迄も忘れ難く候。』

《霜が右の次第を秀林院様に申し上げたところ、秀林院様は御返事もなされず、「のす、のす」とだけ唱えられたが、
ようやくご機嫌が直り・・・
ことあるごとに、わたくしどもをお叱りなされ、又お叱りなさるる度に「えそぽ物語」(イソップ物語)とやらをお読み聞かせ、
あの人はカエル。あの男は狼などと仰せられた。皆、人質になるよりも嫌な感じがした。
とくに私(糸女)には、「蝸牛(かたつむり)、鴉(からす)、豚、亀の子、棕梠(しゅろ)、犬、蝮(まむし)、野牛、病人などと同じようだ」と言われた。
こんな悔しいことは死んでも、糸は忘れません。》(ボクのつたない現代語訳)

文中の「のす、のす」は聖書のラテン語だろうか?言葉尻が「ノス」で終わるのが多いのだと思う。
日本語の「・・・でした。」「・・・です。」など。


芥川の「糸女覚え書き」では、こんな具合にガラシャが「嫌な女」として描かれている。
けちょんけちょんだ。
こんなガラシャ像は他にはない。

「天下の美女、気品がそなわっていた」といわれるガラシャが、実は「嫌な女」だったという設定が、
ハッキリ言って気持ち良い(ボクは)。
ガラシャファンは読むに堪えない内容かもしれないが?

ちなみに、下敷きとした「霜女覚書」では「嫌な女」には書かれていない。


「糸女覚え書き」は「霜女覚書」と同じく候文で書かれているのも気にいった。
すこし読みにくいが、意味は解る。候文のため臨場感がある。
また、候文の言い回しの勉強にもなった。



ガラシャの肖像画は当時のものはないようだ。おそらく明治以降に想像して画かれた「いかにも」と言うか、
聖母マリア像を手本にして、着物を着せたような人間味のないのがある(ボクはそう思っている)

父と言われている明智光秀の有名な肖像画(本徳寺蔵)を見ると、涼しい目、顔は女性のようにも見える。

「明智光秀はイケメンだった。」という記事は見たことがないが、
肖像画の光秀はイケメンだとボクは思う。
明智光秀の肖像画(本徳寺蔵)からガラシャを想像すれば、カワイイ系の美人だったのかもしれない?









  1. 2014/04/29(火) 08:10:54|
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宮本ムサくるし

少し前に、木村拓也主演のテレビドラマ「宮本武蔵」を少しだけ見た。
二日にわたっての前編、後編だった。

「なんで木村拓也なの?」と思ったが、案の定、キムタクは武蔵には見えなかった(ひとことで言えば)。
すぐにチャンネルを変えた。

『ワイヤーアクションなんかも加えて
キムタク主演で「宮本武蔵」を撮れば、そこそこの視聴率は稼げるにちがいない。
それなら、スポンサーも文句を言うまい。』と踏んだのではないか?

挑戦的な企画ではなかった。守りの企画。
キムタク人気ありきの企画だったと想像している(タレント人気ありきの企画はやたらある)。
安直な「宮本武蔵」だったとボクは思う。

「映画で大事なのはシナリオだ」と言ったのは巨匠、黒澤明だが、
今回のキムタク武蔵は「よくある宮本武蔵」であって、魅力的なシナリオとは感じられなかった。

ボクは時代劇が好きだ。
時代劇は制作費がかかると思う。だから、魅力的なものを撮ってほしい。


正直言ってボクはキムタクが好きではない。
いや、キムタクに限らず、女からキャーキャー言われるイケメンは好きではない。

福山雅治、向井理、エグザイルのタカヒロ、嵐のメンバー、などなど
オジサン(ボク)はそういうの好きではないのだ。
ファンの皆様、悪しからず。



ということで、今回は宮本武蔵。

宮本武蔵の信頼できる資料は少ない。
(いや、大名や公家でもない兵法者にしては、あるほうかな。当時の一般市民はほとんどないのだから)

武蔵のイメージは、吉川英治の小説「宮本武蔵」が作り上げたといわれる。
ほとんどは史実ではない。
武蔵自身が書いたといわれる「五輪の書」には経歴が書かれているが、
「巌流島」も「吉岡一門との決闘」も出てこない。


それでも、吉川英治の小説「宮本武蔵」はよく出来ているとボクは思う。

乱暴者(いかれた)の若者が長じるにしたがって「剣とはなにか?人に勝つとはなにか?生きるとはなにか?愛とはなにか?」と求道的、哲学的になっていく。

槍や鎖鎌の使い手などバラエティーのある強敵との対戦。

佐々木小次郎という武蔵とはちがう個性的なライバル(小次郎は武蔵より、かなりの年上で、巌流島当時、年齢的ハンディがあったという説をきいたことがある。「巌流島の決闘」があったとすればだが?))。

成長する武蔵とは逆に、軟弱なエゴイスト、幼馴染の「又八」(だれの心にもある弱さの代表だろう。武蔵の引き立て役)

「又八」の母で武蔵をつけ狙う「オババ」

武蔵を慕うがすれ違いに翻弄される「つう」(美女ということになっている)


良く出来ている。

名作マンガ「あしたのジョー」は小説「宮本武蔵」を下敷きにしたのかな?とボクは思ったことがある。

正直に言うと、ボクは吉川英治の「宮本武蔵」は読んでいない(説得力ないなあ)。
でも、吉川英治の小説を下敷きにした映画やテレビドラマを見たことはある。
大筋は同じようなものだろう。



musashi312.jpg
《13歳の武蔵という絵の模写》


武蔵13歳のとき、
有馬喜兵衛という兵法者が平福村にやってきた。
「望む者があれば誰でも立ち合う」という高札を、大きな銀杏の木の下に立てた。
掛け試合だったかもしれない。

この平福村は現兵庫県佐用郡佐用町の「平福」のことではないだろうか?
魅力的な昔の面影が今も残る因幡街道沿いの集落だ。

少年武蔵は体力もつき、自分の力を試してみたかった(よくある話だ)。
自信もあったのだろう。(ボクは17~18歳が体力の頂点だった。今思えば。)
高札を見た武蔵(このころは弁之助といった)はスグに「相手をする」と高札に書き入れた。


曇りがちな小寒い日が続いていたが、その日は朝から穏やかに晴れた。
だからといって平福村が穏やかだったわけではない。

見物人が集まるなか、13歳の武蔵は現れた。

有馬喜兵衛は日焼けした顔をあげて武蔵を見とめると、ゆっくりと立ち上がった。
右手の木刀を二度、手になじませるように打ち下ろす。
ビュッビュッと木刀が風を切る。
それは武蔵への威圧のようにもみえた。


「どこからでもかかってき・・」と有馬が言い終わらないうちに、
武蔵は六尺ちょっとの木の棒を得物にして、有馬に打ちかかった。

武蔵の一撃目を有馬は上体を反らしてよけた。見切ったのだ。
有馬は木刀で、打ちかかってくる武蔵の棒を払い、よける。
勢いあまって前につんのめる武蔵を蹴飛ばす。砂を噛む武蔵!

「ころあいを見計らって、死なない程度にこのガキをしたたかに打ち据えてやればよかろう」と有馬は思っていた。


それは武蔵が何度目かに打ち掛かったときだ。突然、棒を捨て、有馬に飛びかかった!
棒ではこの男にかなわないと見たのか、組み打ちにおよんだのだ。

「このガキゃ、なにをさらすねん!」(関西の人かどうかはわからないが)

木刀で武蔵をあしらっていた有馬は、不意をつかれた!
組みついた武蔵は有馬に足払いをくらわせ、地面に叩きつける。
近くに落ちていた木刀を握ると、有馬の右耳のあたりを強く打った。

有馬はうめき声をあげる。
その一撃は有馬の頭蓋側面を砕いた。有馬は戦闘力を失った。
なおも、倒れた有馬をメッタ打ちにする。鈍い打撃音が何度もした。

有馬は痙攣し、表情はひきつり、見開いた眼はもう焦点があっていなかった。
勝負はついた。
武蔵は有馬を撲殺したのだ。

小刻みな震えが止まらない武蔵。それでも有馬への構えを崩さない。
倒れた有馬が、今にも起き上がってくるように感じるのだ。

しばらくして、武蔵はフッ・・・フッと息を吐いた。
絶命した有馬を見下す武蔵には「オレは勝った!」と確信した。
すこしだけ、濁った思いが浮かんだが、スグにかき消した。

大きな銀杏の木の下には、殺気が残った。

息を殺して見ていた見物人から「おおー!」と、感嘆とも恐れともとれる声が上がった。


武蔵が初めて倒したと言われている兵法者、有馬喜兵衛との立会いを想像と脚色して書いた。
このことが史実かどうかはわからないが、後の剣客、宮本武蔵を想起させる逸話だ。
きれいごとではない武蔵を感じさせる。

審判もいない、ルールもない試合は、こうなる可能性は高い。
道場での決まりごとなど通用しない。
後に、島原の乱の「原城攻囲戦」(天草四郎の原城だ)に参戦した武蔵が、そのしっぺ返しを食うことになる(これは史実)。



上のイラストは少年時代の武蔵。13歳と伝わっている絵を模写した。
木刀から血が滴っている(元絵にはない)。有馬喜兵衛を殺した直後とした。

恐ろしいガキだ。
世は戦国時代の終わりごろ、まだ荒っぽい時代だったが、13歳のガキが心得のある兵法者を叩き殺したというのは、
そうある話ではないだろう。

元絵を見ると、とても13歳の少年とは思えない。髪は逆立ち、眼光鋭く、髭が生えている。
胸毛のようなものもチラと見える。
オッサンか鬼のようだ。

黒い羽織を着て袴をはいている。この絵が本当だとすれば、以外に立派ないで立ちだ。
この絵は、ことを伝えきいた者が、絵師か絵心のある者に画かせたものではないだろうか?
ボクはそう想像している。




武蔵はティーンエイジャーのころに美作(異説あり)を出た(父親と対立したという説あり)。
それから兵法者として頭角を現すまで、どうやって食っていたのだろうか?

「巌流島の決闘」は慶長17年(1612年)、29才ということになっている(あったとして)。
本当だとすれば、テレビや映画の宮本武蔵は15~16年ほどの間の物語ということになる。
そのほとんどが20代の出来事だ。


故郷を出奔した少年武蔵は、興味のある(自信のある)剣術(人殺し)の道を目指した。
武者修行をしたということになっている。

時代劇では、武芸者が道場破りをして、袖の下(金子)を貰うところが描かれる。
武蔵がやったかどうかはわからないが、そんなものでは食ってはいけないだろう。

「武者修行」とは何なのだろう?時には真剣で切り結ぶ訓練であり、研究ということなのだろう。
いまひとつは、有名(強いかどうかは関係ない)な兵法者と立ち会って勝つこと。
そして、それを宣伝すること。自分の名前を売ることだった。

これは大事なことだ。
例えば、絵画は「良い絵」だから売れるのでない。画いた人が有名だから(話題の人だから)売れるのだと思う。
画力を磨いた画家の絵よりも、有名な歌手の絵のほうが売れるということはよくあることだ。

脱線した。話をもどす。

そのことを聞きつけた大名が、それなりの俸禄で自分を召抱えてくれることを望んだ。武蔵はそうだった。
簡単に言えば、剣術の研究と就職活動だったわけだ。

わかっている武蔵の経歴でも戦(いくさ)に参加している。
目立った手柄をたて、仕官を望んでいた。兵法研究に励むためにも経済的安定を求めたのだろう。


名が売れないころの武蔵は、農家の手伝いや村どうしの争い(よくあった。これも戦だった)の加勢、用心棒・・・。
農作物を盗んで空腹を満たすことはたびたび、ときには、強盗や追いはぎなどをやって食いつないだのではないだろうか?(武蔵が聞いたら怒るかな?)


musashi43.jpg
《名もない兵法者のころの武蔵》

イラストは有名な立ち姿の武蔵の絵を下敷きにして、ボクの想像を加えた。

若き武蔵はムサくるしかった(ムサシだけに)。
水で体をふく程度だっただろうから、臭い!
歯も磨いたり磨かなかったりだから口も臭い!
しかし、屁は臭くない。ウマイものを食っていなかったから。

無精ひげが生え、着物は擦り切れ、垢とホコリにまみれ、裸足にワラジをはいた。
屋根の下で寝ることが出来れば良いが、たびたびの野宿だっただろう。
ムシロを背中に背負っているのは、そのためだ。

有名な立ち姿の武蔵の絵(40~50代か?)を見ると頭がうすい。
ボクのイラストは20代前半の想定だが、頭はすでにうすくなってきている(やりすぎかな?)。
ドラマでは武蔵の髪型は総髪(月代ではない)で豊かな茶筅髷が定型になっているが、
おそらく、髷がゆえないくらいだったのではなかったか?(言い過ぎかな?)

₍13歳の絵」、「立ち姿の武蔵の絵」、ともに眼が鋭い。
お近づきになりたくない目つきだ。

いざとなると、気味の悪い狂気が感じられただろう。
役者、北野たけしが映画で人を殺すときに見せる、あの狂気だ。
キムタク武蔵には、それが感じられない。「きれいごとの武蔵」

武者修行(放浪)時代の武蔵はこんな感じだったのではないだろうか?


イラストの下敷きにした有名な立ち姿の武蔵の絵は、作者不詳。
白い着物に朱の羽織、左右に大小を携えて、相手に対しているように見える。
良い絵だ!

武蔵の顔が良い。眼が鋭く、不気味さ(狂気)が伝わる。

左足のかかとが、少し浮いているように見える。
達人は足裏がベッタリとくっついていてはいけない。
進退自在の姿勢でなくてはならない。柔らかく軽やかに、
そんなところを表しているように見える。


武蔵といえば二刀流だが、
体を鍛えていたとはいえ、真剣の大小の刀を意のままに振り回すことが出来たのだろうか?
(長刀は刀身だけで1kgあるそうだ)ボクはちょっと疑っている。

でも、良い絵だ!







  1. 2014/04/15(火) 07:18:24|
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サービス(ジョーク)

ある国で飢饉が発生した。

情報をつかんだジャーナリストの西岡は、その国になんとか入ることが出来た。
もちろん取材のためだ。

西岡は現地のみすぼらしい食堂に入る。
「スープしか出せるものはない」という。
しばらくして出てきたスープは水っぽいものだった。

見るとハエが3匹、浮いているではないか!!!

si-23.jpg


西岡はオズオズと
「あのー、スープにハエが浮いているんだが・・・」

すると、顔色の悪いウエイターが
「シーッ!」あたりを見回して、声を殺して言った。

「他の客にきずかれてはマズイんだ。あんたが外国人だからサービスしたんだ。みんなは1匹なんだよ!・・・」

「・・・」


『ポケット・ジョーク』植松黎 編訳(角川文庫)¥350 を参考にしました。









話は変わる。(ここからはジョークではない)

今日から、消費税が8%になる。

「消費税が上がる前に○△を買っておいたほうが良い、もしくは、悪い」
とテレビから流れている。
メディアに煽られて、「私も買っておかなきゃ!」と駆け込み消費が膨らんでいるそうだ。

「ガソリンスタンドも駆け込み給油をするクルマでイッパイ!」とテレビ、
「なるほど」とボクも思ったが、
ボクのクルマには、今、満タンにしても20リッターぐらいしか入らない(タンクに残りがあるから)。
リッター¥160として計算すると、160×0.03×20=¥96のお得となった。

「¥96のお得」では気休め程度だ。
あほらしくなって給油はやめた。


セールのとき、3%程度の値引きでは、ふつう買わない。
3%は駆け込み消費をしなければいけない「お得感」とは思えない(とくに安いものは)。
テレビ報道に煽られて、駆け込んでいるようにボクには見える。

おそらく、これから消費税増税後の落ち込みをカバーするため、値引きキャンペーンが多くなるだろう。
その時は混むこともない。



ボクが興味があるのは、景気への影響だ。
「消費はいったん落ちるが、年後半には消費がもちなおしてくる。もしくは年後半から上昇に転じる。」
というのがプロたちの多数意見だ。

そうだろうか?プロの言うことは当らないことが多いんだな!これが・・・
(予想と結果の追跡調査をしてほしい。プロなんだから)




  1. 2014/04/01(火) 08:08:57|
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