ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

衝突!(信長夜話・その70)

永禄12年(1569)10月3日
織田信長は伊勢、大河内城(おかわち)を開城させた。

2日後、伊勢神宮に参拝(あの信長が!)。
10月11日、千種越え(ちぐさごえ・現在の滋賀県永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にいたる山越え。)で上洛、
将軍、足利義昭に伊勢平定を報告した。

13日には参内して正親町天皇(おおぎまちてんのう)からじきじきに盃をいただいている。
だが、同月17日、信長は突然、岐阜に帰還している。
『多聞院日記』(学侶、多聞院英俊・たもんいんえいしゅん)によると義昭との意見の相違があったとある。
その衝突が南都(奈良)にまで伝わっていたことになる。

あからさまな衝突(喧嘩、言い争い)だったのだろう。
人ばらいもせず、やったのでは(ボクの想像)。
信長は単刀直入を好んだから、厳しい言葉だったかもしれない。

syoutotu112.jpg
《こんな風に言い争いをしたかどうかはわからない。想像で象徴的に画いた。
実際は、信長は平伏しながら謙譲語で辛辣な諫言をしたように思う。
はじめは、「なぜ、あのように怒っておるのか?・・・」と義昭は思ったかもしれない?》



信長が義昭を15代足利将軍に就けたころ、お互いの守備範囲や権限についての擦りあわせなどはなかったのだろうか?なかったのだろう。

信長は、将軍の権威と信長自信の力を使い分けて、ことを成していくつもりだったのだろう。
このころ、畿内から遠い地では、「織田信長という元気の良いヤツがいるらしい?」ぐらいの認識だったのではないだろうか?
それに比べれば「室町将軍」の名前と権威(衰えたが)は説明の必要はない。

足利義昭は流浪の末に、晴れて将軍に就いたのだから、将軍としての権限を行使するつもりだった。
もちろん、恩人である信長には幕府の最重要人物として遇していくつもりでいた。
実際、義昭は五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)の守護の補任権(ぶにんけん、官職に任命すること)をもつなど、大きな権限をもっていたのだ。


年が明けて元亀元年(1570)1月23日、信長は五ヶ条の条書を義昭に承認させる。
この文書は、信長の朱印状として朝山日乗と明智光秀とに宛てたもの。義昭の袖判(文書の右端に押す印、承認の意味がある)が捺されている。

その内容。

第一条、義昭が信長に無断で書状を送れないようにした。

第二条、義昭の従来の決定を破棄。

第三条、幕府の恩賞権への干渉を宣言。

第四条、天下を統治する権限は信長に委されたもので、将軍の意思に関わらず成敗を行なうとした(重要)。

第五条、皇室への財政援助を義務付けた(怠っていたということなのだろう?)。

この五ヶ条の条書により、信長は義昭の持っていた権限を握り「天下之儀」を掌中に収めることになったと考えられている。

義昭が御内書(将軍の手紙)を諸国に送っていたこと、恩賞や裁定(もめた時の)に依怙贔屓があることなどなどが、京にいる信長の配下や、信長寄りの公家や幕臣(明智光秀も幕臣)から報告が上がっていたのだろう(ボクの想像)。
将軍を諌めることができる人間は多くはない。

義昭からすれば、御内書の発給や恩賞を与えることは将軍として当たり前のことだと思っていた。
義昭の苦労時代に骨折ってくれた人(もしくは口利き)へ色をつけて恩賞を与えたり、揉め事の調停が持ち込まれれば、エコひいきしたのだろう。
骨折ってくれた人も初めから下心があったのかもしれない。

しかし、それでは示しがつかない。
「信賞必罰、公明正大でなくてはならない!」と信長は思っていた(当たり前だ)。
「一銭切り」なる重罪で望んだほどの信長なのだから・・・

信長は「オレが将軍に就けてやったのだから、何かやりたいことがあればオレを通せ!」と考えていたのだ(ボクの想像)。


新しい年号「元亀」年間は、それまで順調にみえるた信長にとって試練の時となる。
信長が前進すれば、敵対勢力も増えた。
そして、その中心にいたのが、この足利義昭だったのだ。

義昭はヤル気のない将軍ではない(歴代の室町将軍のなかにはヤル気のない将軍がいる)。
むしろ、ヤル気あふれる将軍だ。
この後、義昭は「室町将軍の権威」と「御内書」を駆使して信長に敵対するようになる。
(信長に敵対し続けた間が、足利義昭が輝いていたとも言える。)

テレビドラマでは、屈折したヒステリックな貴族趣味の将軍として描かれる義昭だが、
実は、ファイト溢れる、粘り強い(執念深い)、一筋縄ではいかない人物だったとボクは想像している。
すくなくとも、信長の生涯で手ごわい(軍事ということではなく)相手の一人だろう。

義昭の裏工作で窮地におちいったこともある信長だが、結局、信長は義昭を殺さなかった。
後に京を追放している。
義昭に対して信長は苛烈ではない。
(前将軍、14代足利義栄は三好三人衆と松永久秀に担がれた傀儡。将軍として一度も京の地を踏むことなく病死。 
13代義輝は暗殺されている。将軍の権威を利用しようとする勢力に翻弄されたということだろう。
この時代、有力者に都合の悪くなった将軍は殺されたのだ。)

義昭はこの後、裏で打倒信長に強い執念をみせる。
信長は義昭を廃することなく、表向きには平生を保つことになる。
今回のことは、二人の確執が最初に表面化した事件だった。

そんな義昭は信長にとって、やっかいな男だが、後の世で歴史味わう人たち(ボクも)には面白さを提供してくれた。



信長の野望(其の十二)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history052.htm
を参考にしました。







  1. 2013/11/12(火) 07:43:20|
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