ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

宮本ムサくるし

少し前に、木村拓也主演のテレビドラマ「宮本武蔵」を少しだけ見た。
二日にわたっての前編、後編だった。

「なんで木村拓也なの?」と思ったが、案の定、キムタクは武蔵には見えなかった(ひとことで言えば)。
すぐにチャンネルを変えた。

『ワイヤーアクションなんかも加えて
キムタク主演で「宮本武蔵」を撮れば、そこそこの視聴率は稼げるにちがいない。
それなら、スポンサーも文句を言うまい。』と踏んだのではないか?

挑戦的な企画ではなかった。守りの企画。
キムタク人気ありきの企画だったと想像している(タレント人気ありきの企画はやたらある)。
安直な「宮本武蔵」だったとボクは思う。

「映画で大事なのはシナリオだ」と言ったのは巨匠、黒澤明だが、
今回のキムタク武蔵は「よくある宮本武蔵」であって、魅力的なシナリオとは感じられなかった。

ボクは時代劇が好きだ。
時代劇は制作費がかかると思う。だから、魅力的なものを撮ってほしい。


正直言ってボクはキムタクが好きではない。
いや、キムタクに限らず、女からキャーキャー言われるイケメンは好きではない。

福山雅治、向井理、エグザイルのタカヒロ、嵐のメンバー、などなど
オジサン(ボク)はそういうの好きではないのだ。
ファンの皆様、悪しからず。



ということで、今回は宮本武蔵。

宮本武蔵の信頼できる資料は少ない。
(いや、大名や公家でもない兵法者にしては、あるほうかな。当時の一般市民はほとんどないのだから)

武蔵のイメージは、吉川英治の小説「宮本武蔵」が作り上げたといわれる。
ほとんどは史実ではない。
武蔵自身が書いたといわれる「五輪の書」には経歴が書かれているが、
「巌流島」も「吉岡一門との決闘」も出てこない。


それでも、吉川英治の小説「宮本武蔵」はよく出来ているとボクは思う。

乱暴者(いかれた)の若者が長じるにしたがって「剣とはなにか?人に勝つとはなにか?生きるとはなにか?愛とはなにか?」と求道的、哲学的になっていく。

槍や鎖鎌の使い手などバラエティーのある強敵との対戦。

佐々木小次郎という武蔵とはちがう個性的なライバル(小次郎は武蔵より、かなりの年上で、巌流島当時、年齢的ハンディがあったという説をきいたことがある。「巌流島の決闘」があったとすればだが?))。

成長する武蔵とは逆に、軟弱なエゴイスト、幼馴染の「又八」(だれの心にもある弱さの代表だろう。武蔵の引き立て役)

「又八」の母で武蔵をつけ狙う「オババ」

武蔵を慕うがすれ違いに翻弄される「つう」(美女ということになっている)


良く出来ている。

名作マンガ「あしたのジョー」は小説「宮本武蔵」を下敷きにしたのかな?とボクは思ったことがある。

正直に言うと、ボクは吉川英治の「宮本武蔵」は読んでいない(説得力ないなあ)。
でも、吉川英治の小説を下敷きにした映画やテレビドラマを見たことはある。
大筋は同じようなものだろう。



musashi312.jpg
《13歳の武蔵という絵の模写》


武蔵13歳のとき、
有馬喜兵衛という兵法者が平福村にやってきた。
「望む者があれば誰でも立ち合う」という高札を、大きな銀杏の木の下に立てた。
掛け試合だったかもしれない。

この平福村は現兵庫県佐用郡佐用町の「平福」のことではないだろうか?
魅力的な昔の面影が今も残る因幡街道沿いの集落だ。

少年武蔵は体力もつき、自分の力を試してみたかった(よくある話だ)。
自信もあったのだろう。(ボクは17~18歳が体力の頂点だった。今思えば。)
高札を見た武蔵(このころは弁之助といった)はスグに「相手をする」と高札に書き入れた。


曇りがちな小寒い日が続いていたが、その日は朝から穏やかに晴れた。
だからといって平福村が穏やかだったわけではない。

見物人が集まるなか、13歳の武蔵は現れた。

有馬喜兵衛は日焼けした顔をあげて武蔵を見とめると、ゆっくりと立ち上がった。
右手の木刀を二度、手になじませるように打ち下ろす。
ビュッビュッと木刀が風を切る。
それは武蔵への威圧のようにもみえた。


「どこからでもかかってき・・」と有馬が言い終わらないうちに、
武蔵は六尺ちょっとの木の棒を得物にして、有馬に打ちかかった。

武蔵の一撃目を有馬は上体を反らしてよけた。見切ったのだ。
有馬は木刀で、打ちかかってくる武蔵の棒を払い、よける。
勢いあまって前につんのめる武蔵を蹴飛ばす。砂を噛む武蔵!

「ころあいを見計らって、死なない程度にこのガキをしたたかに打ち据えてやればよかろう」と有馬は思っていた。


それは武蔵が何度目かに打ち掛かったときだ。突然、棒を捨て、有馬に飛びかかった!
棒ではこの男にかなわないと見たのか、組み打ちにおよんだのだ。

「このガキゃ、なにをさらすねん!」(関西の人かどうかはわからないが)

木刀で武蔵をあしらっていた有馬は、不意をつかれた!
組みついた武蔵は有馬に足払いをくらわせ、地面に叩きつける。
近くに落ちていた木刀を握ると、有馬の右耳のあたりを強く打った。

有馬はうめき声をあげる。
その一撃は有馬の頭蓋側面を砕いた。有馬は戦闘力を失った。
なおも、倒れた有馬をメッタ打ちにする。鈍い打撃音が何度もした。

有馬は痙攣し、表情はひきつり、見開いた眼はもう焦点があっていなかった。
勝負はついた。
武蔵は有馬を撲殺したのだ。

小刻みな震えが止まらない武蔵。それでも有馬への構えを崩さない。
倒れた有馬が、今にも起き上がってくるように感じるのだ。

しばらくして、武蔵はフッ・・・フッと息を吐いた。
絶命した有馬を見下す武蔵には「オレは勝った!」と確信した。
すこしだけ、濁った思いが浮かんだが、スグにかき消した。

大きな銀杏の木の下には、殺気が残った。

息を殺して見ていた見物人から「おおー!」と、感嘆とも恐れともとれる声が上がった。


武蔵が初めて倒したと言われている兵法者、有馬喜兵衛との立会いを想像と脚色して書いた。
このことが史実かどうかはわからないが、後の剣客、宮本武蔵を想起させる逸話だ。
きれいごとではない武蔵を感じさせる。

審判もいない、ルールもない試合は、こうなる可能性は高い。
道場での決まりごとなど通用しない。
後に、島原の乱の「原城攻囲戦」(天草四郎の原城だ)に参戦した武蔵が、そのしっぺ返しを食うことになる(これは史実)。



上のイラストは少年時代の武蔵。13歳と伝わっている絵を模写した。
木刀から血が滴っている(元絵にはない)。有馬喜兵衛を殺した直後とした。

恐ろしいガキだ。
世は戦国時代の終わりごろ、まだ荒っぽい時代だったが、13歳のガキが心得のある兵法者を叩き殺したというのは、
そうある話ではないだろう。

元絵を見ると、とても13歳の少年とは思えない。髪は逆立ち、眼光鋭く、髭が生えている。
胸毛のようなものもチラと見える。
オッサンか鬼のようだ。

黒い羽織を着て袴をはいている。この絵が本当だとすれば、以外に立派ないで立ちだ。
この絵は、ことを伝えきいた者が、絵師か絵心のある者に画かせたものではないだろうか?
ボクはそう想像している。




武蔵はティーンエイジャーのころに美作(異説あり)を出た(父親と対立したという説あり)。
それから兵法者として頭角を現すまで、どうやって食っていたのだろうか?

「巌流島の決闘」は慶長17年(1612年)、29才ということになっている(あったとして)。
本当だとすれば、テレビや映画の宮本武蔵は15~16年ほどの間の物語ということになる。
そのほとんどが20代の出来事だ。


故郷を出奔した少年武蔵は、興味のある(自信のある)剣術(人殺し)の道を目指した。
武者修行をしたということになっている。

時代劇では、武芸者が道場破りをして、袖の下(金子)を貰うところが描かれる。
武蔵がやったかどうかはわからないが、そんなものでは食ってはいけないだろう。

「武者修行」とは何なのだろう?時には真剣で切り結ぶ訓練であり、研究ということなのだろう。
いまひとつは、有名(強いかどうかは関係ない)な兵法者と立ち会って勝つこと。
そして、それを宣伝すること。自分の名前を売ることだった。

これは大事なことだ。
例えば、絵画は「良い絵」だから売れるのでない。画いた人が有名だから(話題の人だから)売れるのだと思う。
画力を磨いた画家の絵よりも、有名な歌手の絵のほうが売れるということはよくあることだ。

脱線した。話をもどす。

そのことを聞きつけた大名が、それなりの俸禄で自分を召抱えてくれることを望んだ。武蔵はそうだった。
簡単に言えば、剣術の研究と就職活動だったわけだ。

わかっている武蔵の経歴でも戦(いくさ)に参加している。
目立った手柄をたて、仕官を望んでいた。兵法研究に励むためにも経済的安定を求めたのだろう。


名が売れないころの武蔵は、農家の手伝いや村どうしの争い(よくあった。これも戦だった)の加勢、用心棒・・・。
農作物を盗んで空腹を満たすことはたびたび、ときには、強盗や追いはぎなどをやって食いつないだのではないだろうか?(武蔵が聞いたら怒るかな?)


musashi43.jpg
《名もない兵法者のころの武蔵》

イラストは有名な立ち姿の武蔵の絵を下敷きにして、ボクの想像を加えた。

若き武蔵はムサくるしかった(ムサシだけに)。
水で体をふく程度だっただろうから、臭い!
歯も磨いたり磨かなかったりだから口も臭い!
しかし、屁は臭くない。ウマイものを食っていなかったから。

無精ひげが生え、着物は擦り切れ、垢とホコリにまみれ、裸足にワラジをはいた。
屋根の下で寝ることが出来れば良いが、たびたびの野宿だっただろう。
ムシロを背中に背負っているのは、そのためだ。

有名な立ち姿の武蔵の絵(40~50代か?)を見ると頭がうすい。
ボクのイラストは20代前半の想定だが、頭はすでにうすくなってきている(やりすぎかな?)。
ドラマでは武蔵の髪型は総髪(月代ではない)で豊かな茶筅髷が定型になっているが、
おそらく、髷がゆえないくらいだったのではなかったか?(言い過ぎかな?)

₍13歳の絵」、「立ち姿の武蔵の絵」、ともに眼が鋭い。
お近づきになりたくない目つきだ。

いざとなると、気味の悪い狂気が感じられただろう。
役者、北野たけしが映画で人を殺すときに見せる、あの狂気だ。
キムタク武蔵には、それが感じられない。「きれいごとの武蔵」

武者修行(放浪)時代の武蔵はこんな感じだったのではないだろうか?


イラストの下敷きにした有名な立ち姿の武蔵の絵は、作者不詳。
白い着物に朱の羽織、左右に大小を携えて、相手に対しているように見える。
良い絵だ!

武蔵の顔が良い。眼が鋭く、不気味さ(狂気)が伝わる。

左足のかかとが、少し浮いているように見える。
達人は足裏がベッタリとくっついていてはいけない。
進退自在の姿勢でなくてはならない。柔らかく軽やかに、
そんなところを表しているように見える。


武蔵といえば二刀流だが、
体を鍛えていたとはいえ、真剣の大小の刀を意のままに振り回すことが出来たのだろうか?
(長刀は刀身だけで1kgあるそうだ)ボクはちょっと疑っている。

でも、良い絵だ!







  1. 2014/04/15(火) 07:18:24|
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