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ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

ふたたび種子島(鉄砲)のこと(信長夜話・その84)

このカテゴリー「信長夜話」では、杉谷善住坊、種子島(鉄砲)と書いてきた。
今回、ふたたび「種子島(鉄砲)」のことを書きたい。


下のイラストでは陣笠や具足を付けていない。
「関ケ原の戦い」に関連して起きた上杉と伊達の戦いを画いた「長谷堂合戦図」には、鉢巻、筒袖、股引き、だけの鉄砲衆の姿がある。
イラストはそれを参考にした。

こうしてみると、百姓(農業従事者)か猟師にみえる。
それもそのはずで、当時の足軽や雑兵は百姓たちだった。

あるものは田畑を守るため、あるものは勝ったときの褒美や略奪目的で参加したという。
従軍中は食糧が支給されるのも大きかった。
すくなくとも一人分の食扶持は心配をしなくて良いのだから。

TVドラマなどでは、羊のようにおとなしい百姓しか描かれないが、実際には戦の経験者も多くいた(当然)。
自前の槍、刀をもって参加した百姓もいた。
百姓と武士の境は曖昧だった。

領主の戦以外にも、村同士の争い(戦)もあった。
百姓達からの訴えに応えて領主(大名や土豪)が動いた戦もあっただろう。
戦慣れした百姓もいたにちがいない。

病院で、経験の浅い医者よりベテランの看護婦(看護師というらしい、ややこしい)のほうが患者の病状を見抜いたり、処置方法も適切ということがあるという。
戦場(いくさば)で、指揮する経験の浅い武士の判断など、「ケッ、どこみてるんだ、まったく!あんなのに付き合っていたら命がいくつあっても足りねえぞ」と、せせら笑う足軽、雑兵もいたように思う。

いつか、戦国時代の百姓のことを書くつもりだ。



ということで、
火縄銃の装填から発砲の手順

teppousyuu313.jpg

(1)まず、銃尾(芝引き)を地につけて、銃口を上にむける。

(2)玉薬(たまぐすり・発射薬)を銃口から入れる。

(3)弾丸を銃口から入れる。
(注)早合(弾丸と発射薬を包んだもの、装填の手間が省ける)を使用する場合もある。

(4)カルカで銃身内をつく。→上のイラスト⑳
(注)突くのは1回。何度も突くと弾丸(鉛)が変形して初速変化を起こす可能性がある。
(注)カルカを使わないで、銃床を一度、地面に打ちつけると反動で発射薬が銃尾に下り、カルカを突いたのと同じ状態になるという。

(5)銃を水平にして、火蓋(イラストの⑲)を切る(開く)。

tepou22.jpg

(6)火皿(イラスト⑯)に口薬(こうやく、点火薬)を盛る。→上のイラスト㉑ 
鉄砲の火薬は口薬と玉薬(発射薬)が必要だった。
(注)銃を必要以上に動かすと、細かい口薬が道穴を伝って銃身内にこぼれて入ってしまう。
発砲となって再び火蓋を切ったときに、火皿に口薬がない、ということなる。
口薬は発砲直前に火皿に盛るのが良い。

(7)口薬がこぼれないように火蓋を閉じる。

(8)火鋏に火縄を挟む。(下のイラスト㉒)

teppousyuu413.jpg

(9)再び火蓋を切り(開き)、火皿を露出させる。

(10)狙いを定める。(イラスト㉓)

(11)引き金を引く。火縄が火皿に落ち、口薬に点火、銃身内に引火、弾丸が飛び出す。


という具合。すこし練習をすれば簡単だ、と思うかもしれないが、
いつも上手く発砲するには(注) で示したようなコツが必要だった。

さらに、戦場(いくさば)では、たえず前方の敵を注視していなくてはならない。
すなわち、手探りでこれら装填をしなくてはいけない。
イラストのような姿勢でしなければならない場合もあったろう(例えば遮蔽物の影などで)。
やはり慣れが必要だったのだ。

teppouasigaru12.jpg

切り合いになるときは、鉄砲を後ろ帯にさす。銃口を下にする(イラスト㉔)。
行動中は火縄の火が消えないようにクルクルと回した。鉄砲は左に担ぐ(イラスト㉕)。
鉄砲の右側に銃の機械部分が集中しているからだろう。


火縄銃の性能は?

(12)大きさ、重さは?→全長130cm、銃身長100cm強、口径は二匁から二匁半くらいの銃が一般的。
重量は口径により異なるが4kgから5kgくらいある。

(13)装填から発射までの時間は?→普通1分ほどかかった。熟練者になると20秒前後にすることが出来たという。

(14)射程は?→最大射程500m、有効射程200mぐらいか?(鉄砲の種類や条件によって異なる)

(15)威力は?→現代の小銃と比べると、弾丸の鉛部分を硬い金属で覆っていない鉛玉なので威力は大きい。
現代の小銃と比べると口径が大きく、弾丸が重い。さらに、弾丸の初速は拳銃よりはるかに速い。
なので、火縄銃は現代の小銃に比べれば弾丸の直進安定性こそ劣るが、近距離での破壊力は現代の散弾銃より強力なものだったという。

正規の薬量・弾頭重量の火縄銃で戦国時代の足軽向けの具足を射撃した結果がある。
厚い鋼板を用いた胴体正面部分であっても直撃を受ければいとも簡単に撃ち抜かれた。

また、硬い鋼板に当たることで分裂した鉛弾が胴体内に飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。


<歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験>

口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmの檜の合板に約36mm食い込み背面に亀裂が生じた。
また厚さ1mmの鉄板を貫通した。
鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものでは貫通はしなかったが、内部に鉄板がめくれ返っており、足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている。距離30mではいずれの標的も貫通している。

火縄銃に対する盾としてよく用いられた青竹による竹束について。
直径4cm・長さ1m程度の竹を31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対しての射撃実験。
距離28.8mで6匁玉(直径15.5mm)の場合、青竹4本の貫通で収まり竹束全体は貫通しなかったが、当たり所が悪ければ全て貫通する場合もあるという。

なお、同書では火縄銃の有効射程は200m程度としている。

命中精度: ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾。
50mでも5発中4発が着弾するという好成績。


鉄砲足軽の戦法は?

火縄銃は、戦国時代中期から、主要武器の一つとしてその比重を増した。

戦国時代から江戸時代においては備ひとつに対し、鉄砲組(20 - 50名)を1、2組配しているのが基本。
戦闘開始の時や、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し、一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせるときなどに使用されたという。

鉄砲足軽同士が密集したか否かについては議論がある。
火の粉が飛び散る中、暴発の危険があるからだ。
おのおのが安全な距離を取ったという見方がある。

二段撃ち: 2列横隊に並び、前列が片膝をつき、後列が立って射撃する。
佐々成政(織田信長の馬回り・鉄砲隊を指揮した)が考案したという記録が残っている。
これも暴発の危険があるので、実際に行われたのかどうかは疑問視されている。

三段撃ち: 普通、「長篠の戦いで」織田軍が採用したといわれている有名な配置。
雑賀衆がすでに実戦で用いていたという説もある。
しかし、この三段撃ちについても疑問が多く指摘されている。

繰り出し:: 三段撃ちの要領で、さらに銃列を前進させる戦術。関ヶ原で薩摩の島津氏が用いて中央突破に成功しているという。

1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法。
連射が可能。これは鉄砲傭兵集団としてその名をとどろかした雑賀衆、根来衆が得意とした。
石山合戦で、織田勢を大いに苦しめた。

ボクは「鉄砲衆が密集しての射撃はなかった。」と思っている。






東郷隆著『戦国武士の合戦心得』講談社文庫¥495(税別)および
Wikipediaの記事を参考にしました。






  1. 2015/12/08(火) 08:11:15|
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