ブエノス小僧のイラストブログ

興味があることを、ガサガサ、ゴソゴソ、画いたイラストといっしょに掲載します。

早鐘が突きならされた(信長夜話・その94)

前回の『信長夜話・その93』からの続き→

元亀元年(1570)九月十二日、『・・・公方様(足利義昭)と信長公は
野田・福島から十町(約1090m)北の海老江(現福島区)に移ってここを本陣とし、
諸勢に総攻撃を開始させた。

一方、敵方(三好方)にも根来衆・雑賀衆・湯川衆および紀伊国奥郡衆約二万が来援し、
遠里小野(現住吉区)・住吉・天王寺に陣を張って織田勢へ鉄砲三千挺を撃ちかけてきた。・・・

この火力戦に野田・福島の両城は次第に疲弊し、さまざまに交渉して和睦をはかってきた。
しかし信長公はこれを容れず、「程を知らぬ奴輩、攻め干すべし」といって殲滅を決意した。』

『信長公記』にはそう書かれている。



元亀元年(1570)九月十二日の夜、本願寺勢が織田方の楼の岸(ろうのきし)、川口の砦、に鉄砲を撃ちこんだ。
楼の岸(ろうのきし)、川口、は石山本願寺のスグそば。
本願寺法主、顕如(けんにょ)自ら鎧を着て出陣したという。

顕如は勇ましい人だったようだ。
「反信長」の姿勢を足元の大阪(石山)、そして各地の本願寺(一向宗)勢力にハッキリ示す効果を狙ったのだろう。


本願寺の参戦で戦況は大きく変化した。

『九月十二日夜半に寺内の早鐘つかせられ候へば、即ち人数集まりけり。信長方仰天なく候』(『細川両家記』)
本願寺勢は早鐘を合図に出撃したようだ。

これにより、押され気味だった三好勢の士気は上がり、翌13日早朝、織田軍がせき止めていた防堤を打ち破った。
『にわかに西風が吹いて西海より高塩水が噴き上がり、淀川逆に流れたり。
・・・信長方の陣屋とも、ことごとくつかり、難儀に及ぶよしに候』(『細川両家記』)

翌14日、海水がなかなか引かず、15日から17日までは鉄砲による攻撃が出来ず、大規模な戦闘はなかった。



実は九月六日には、本願寺法主(ほっす)顕如(けんにょ)は湖東(琵琶湖東岸)の犬上、神崎、蒲生、の本願寺門徒に宛て、
信長と敵対するよう檄文を送っていた。

以下
『信長上洛に就て、此の方迷惑せしめ候。
去々年以来、難題を懸け申し付けて、随分なる扱ひ、彼の方に応じ候と雖もその詮なく、
破却すべきの由、慥に告げ来り候。此の上は力及ばす。
然ればこの時開山の一流退転なきの様、各身命を顧みず、忠節を抽らるべきこと有り難く候。
併ら馳走頼み入り候。若し無沙汰の輩は、長く門徒たるべからず候なり。あなかしこ。

九月六日
顕如  門徒中へ』

信長は本願寺に制約を加えようとしたようだ。管理下に置きたかったのだろう。
文中、信長が「本願寺の破却」をせまったように書かれているが、他の史料には見当たらない。
顕如の作り話とみる説が有力。

参戦の正当性、本願寺勢の士気を高めるため、これぐらいの作り話は当たり前だろう。
(戦には、どちらにも正義が必要。)

信長が本願寺の地を欲しがっていた、という説もある。
ボクもそう思う。それぐらい魅力のある土地だった(本願寺の地は現在の大阪城)。

さらに、顕如は九月十日、信長と敵対している浅井氏・朝倉氏へ書状を送っている。
対信長連合を組むため(出陣の要請か)だろう。

本願寺の力をもってしても信長を退けるのは容易ではない。
「信長包囲網」をつくる必要を顕如は考えていた(ボクの想像)。

浅井氏・朝倉が出陣して京に迫れば、三好方+本願寺と対峙している状態では、信長も窮するだろう、と


遅くとも九月六日(檄文を送っていた)以前に、顕如は反信長を決めていたことになる。

その二日後、九月八日に信長は天王寺(野田、福島から南へ5km)から
天満森(てんまがもり)に陣を移している(天満森は川を挟んだ本願寺の対岸)。

やはり、信長は本願寺の敵対を想定していなかったのだ。
信長の情報機関の失態だったのではないだろうか?

sansen12.jpg
<イラストは出撃する「本願寺一揆勢」とした。
普通、「一揆」と言えば、「竹槍、むしろ旗」ということになっている。
映画やテレビが何度もそう画いてきたからだ。映像の力は大きい。

そんな一揆もあったのかもしれないが、「本願寺一揆勢」は違うだろう。
いや、戦国大名に敵対した「一揆」は違うだろう。

江戸時代の百姓一揆と戦国時代の一揆は別物だとボクは思う。
映画やテレビは「江戸時代型百姓一揆」ばかりだ。

もともと「一揆」とは「揆を一にする」、ひとつのの目的のために団結するという意味。

「本願寺一揆勢」の戦闘の中心をなしたのは、紀州の雑賀や根来などの傭兵たちだった(ボクの想像)。
雑賀衆の多くは一向宗(本願寺)門徒だ(根来衆は真言宗)。

各地の勢力からの依頼をうけて派兵されるのが傭兵。
当然、なんらかの報酬が支払われたのだろう。
派兵が決定した時点で報酬が支払われように思う。
(いや、決定した時点で半分、勝利した時点で半分かな?)

もし、依頼者(クライアント)が負けて、滅びてしまうようなことがあったら、
「ただ働き」になってしまうから。
「先銭」の契約だったのではないだろうか?(ボクの想像)

派遣する戦闘部隊は、言わば商品。実績と内容を備えてなくてはならない。
最新の装備を整えていただろう。
「織田勢」と比べても劣らない、いや、それ以上の装備だったのかもしれない(ボクの想像)

イラストの一揆勢は装備が一律ではなく簡易装備とした。
織田勢とイラスト上、区別させるためにそうした。
実際は完全装備だったかもしれない。


戦国大名の兵の多くは農民だ。織田勢とて例外ではない。
「農民=弱い」は間違い。実戦経験のある農民は多くいただろう。

すこし豊かな農民は自前で槍、刀を用意していたのではないだろうか。
「お貸し刀や槍」(大名が用意した装備)より、自前の槍、刀のほうが使い勝手が良い。
「命のやりとり」をする戦場では、その差は重要だろう。

当時、農村間のいざこざ(これも戦)が頻発したという。水問題、境界線問題などなど。
青壮年の男が動員された。戦国時代は武士だけが戦ったのではない。

そのたびに、土地の領主や権力者の裁定を仰いだという。
納得のいく裁定をするのが権力者の存在理由のひとつだった。
(ヤクザの世界でも組と組との抗争を、仲裁することができれば、一目おかれる存在になる)>


脱線した。

本願寺が楼の岸などを攻撃した九月十二日時点では、信長は将軍義昭とともに海老江にいた。
海老江は天満森よりは距離がある(本願寺から)。それでも本願寺に近い。背後は川(水辺?)だ。


三好方の野田・福島を攻めるための織田勢の布陣は、石山本願寺を囲んでいるようにも見える。
本願寺側から見れば脅威を感じたのかもしれない。

現在でも自国の近くで軍事演習をすれば、強い脅威だ。
ましてや、実戦部隊が実戦をしているのだから。

戦争は「恐れと疑心」が引き金を引く。「やられる前にやる」。喧嘩と同じ。


いや、実は三好方と本願寺の顕如との間には、すでに話がついていたのでは?(ボクの想像)。
今回の本願寺の参戦は、その好機をとらえてのことだったのだ。

三好方が当時の信長と対峙するには力不足だ。
それでも三好方が野田、福島に進出した裏には本願寺との密約があったのでは?
そして、本願寺からの浅井、朝倉、

さらに本願寺からの、甲斐の武田、安芸の毛利、という連想が三好方にはあったのではないだろうか?(ボクの想像)
顕如の妻、如春尼の姉は武田信玄の正室、三条の方。顕如と信玄は親戚である。


十四日、本願寺一揆勢は、信長の馬廻りたち(親衛隊)が守る天満森を攻撃した。
それに馬廻りたちが受けてたち、淀川の春日井堤まで反撃、
激しい戦闘の末、一揆勢を追い払った。

『信長公記』には次のように書かれている
『・・・翌14日になって戦線が動いた。
この日一揆勢は大坂を出て、天満の森まで進んできたのである。
織田勢もこれに応じて川を越え、両軍は淀川堤で衝突した。

織田勢の一番手は佐々成政であったが、乱戦の中で手傷を負って退いた。
二番手には前田利家が堤通りの中筋を進み、その右手からは弓衆の中野又兵衛が、
左手からは野村越中・湯浅甚助・毛利河内守秀頼・兼松又四郎らが先を争って敵勢へ殺到した。

このとき、毛利秀頼と兼松又四郎の二人は協力して下間丹後配下の長末新七郎と戦い、これを突き伏せた。
毛利は兼松に向かい、「首を取り候え」と功を譲ろうとしたが、
兼松は「それがしはただの手伝いにござる。お手前こそ取り候え」といって受けなかった。

二人はしばらく言い合ったが結局双方とも譲らず、せっかくの大将首を置き捨てにして退いてしまった。
戦は乱戦となり、野村越中(将軍義昭の直臣)が討死した。』


今まで優勢だった織田勢が押されがちになった。
三好方の野田、福島の砦を包囲していた織田勢に、新たに強力な敵(本願寺)が現れたのだ。
こんな戦闘が「竹槍、むしろ旗」に出来るはずがない(ボクの想像)。

十六日、信長は本願寺との和睦に動く。
しかし、何度も交渉するが、物別れに終わった。

二十日、本願寺一揆勢は榎並(えなみ、本願寺の北5kmほど、現城東区)の織田方を襲った。
さらに本願寺の圧力が加われば、信長本隊すら危ない(ボクの想像)。

二十二日、信長は将軍義昭とともに、海老江の陣を引き払い、天満森に戻った。
天満森には信長の馬廻り(親衛隊)が守っていた。

そこへ琵琶湖西岸、「宇佐山」を守っていた「森可成(よしなり)討死」の報せが入ってきた。

続きはまたいつか・・・


次回、「信長夜話」は織田信長と約十年にわたる戦を続けた顕如光佐(けんにょこうさ)と本願寺について書きたい。





谷口克広著「信長合戦全録」中公新書¥840+税 、を参考にしました。





  1. 2018/03/06(火) 07:35:44|
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