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ブエノス小僧のイラストブログ

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浄土真宗と一向宗は同じ?(信長夜話・その97)

ボクは無宗教と言っていい。
外国人から見れば「そんなヤツの言うことは信じることが出来ない」というヤカラだ。

随分と前だが、もし宗教を選べといわれたら、「仏教」だと思った。
理由があったわけではない。直観のようなものだ。
他の宗教には違和感があった(今もそうだ)。

実はボクの実家は「浄土真宗大谷派(東本願寺)」だ。
すでに両親は亡くなっている。
兄がその後を継いだ。

わけあって、禅宗から浄土真宗に宗旨替えをした。ボクも関わった。

ボクは年一回、お盆の先祖供養に行く、兄とボクの二人で、
正直に言えば、それもボクはすこし「めんどくさい」と思っているが、
兄一人では「張り合いがないのでは?」と思って出かけている(恩ぎせがましい)。

ボクは仏縁の薄い人だ。
それで良いとおもっている。ボクなりの考えがあるが、今回は触れない。

ブログのカテゴリー「信長夜話」を書くにあたって「浄土真宗、本願寺、一向宗」のことを調べた。
先入観と想像にまかせたことは書きたくないからだ。
くしくも、実家の宗派にすこしは近ずくことになった(これも仏縁?)。


「信長対本願寺」を書くには、「浄土真宗、一向宗」に触れないわけにはいかない。
しかし、簡単ではない。
時間の経過とともに、解釈が加えられ変化するから。なにごともそうだ。


ということで、ボクの初歩的疑問を調べてみた。

1、浄土真宗と本願寺と一向宗は同じ?
2、浄土真宗の教えってなに?
3、阿弥陀仏とは?
4、浄土真宗のはじまりとその後?



1、浄土真宗と本願寺と一向宗は同じ?

本を読むと、「一向宗」「浄土真宗」「本願寺」が、同じかのような印象をうける。

初め、一遍〔延応1年(1239)‐正応2年(1289)〕の教団である時宗を「一向宗」とよんでいた。
一遍が『一向専修(ひたすら修行、または念仏する)すれば阿弥陀樣が浄土へと救済してくれる』と説いたからだ。

時宗のことはややこしくなるので、省略。

時が過ぎ、親鸞を宗祖とする「浄土真宗」の本願寺教団を「一向宗」と呼んだ。
『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、
とくに阿弥陀仏の名を称えることと解釈された。

浄土宗は親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」と呼んだ。
(浄土宗とは親鸞の師匠、法然の宗派)

しかし、親鸞の浄土真宗教団はこの名を自称しなかった(ややこしい)。
教団外からの呼び名だったということになる。

平安末期、法然の教えは急速に広まったため、弾圧を受け三つに分裂。
そのひとつが親鸞の「浄土真宗」(親鸞死後からの宗派名)だ。
「浄土真宗」とは「浄土を顕かにする真実の教え」からきた。


「浄土真宗」の中興の祖といわれる本願寺八世、蓮如は
「われわれ浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない・・・違反者を破門する」とまで述べている。
しかしそれは、浄土真宗の門徒ですら「一向宗」を自称する者が多くいたからだろう。

《*蓮如「応永二十二年(1414)2月25日 - 明応八年(1499)3月25日」、信長の生まれる35年前に亡くなっている。》

なので、教団内では正式に「一向宗」は使われることはなかった。
「浄土真宗」または「真宗」と称した。
しかし、浄土真宗門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、
真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は続いた。

結論、一般的には「浄土真宗」を「一向宗」と呼んだのだ。


「本願寺」とは→
「浄土真宗」の一宗派、言ってみれば総本山。
実は本願寺以外にも「浄土真宗」にはいくつかの宗派がある。「真宗十派」ともいわれる。
以下、

真宗大谷派(おおたに)→東本願寺

浄土真宗本願寺派(ほんがんじ)→西本願寺

真宗高田派(たかだ)

真宗佛光寺派(ぶっこうじ)

真宗興正派(こうしょうじ)

真宗木辺派(きべ)

などなど

現在でも東と西の本願寺派が大勢力だ。

amida11.jpg


2、浄土真宗の教えってなに?

親鸞は、7000巻余りのお経の中で、お釈迦さまの本心が説かれているのは、
『大無量寿経』ただひとつであると言った。

『大無量寿経』には、阿弥陀仏の本願が説かれている。

「お釈迦さまは、私がこの世に生まれてきた目的は、阿弥陀仏の本願を説いて、人々を幸せに導くためなのだ。
阿弥陀仏の本願の説かれている『大無量寿経』は、未来永遠に残り、多くの人を幸せにするであろう…」と、

このようなことが書かれているお経は、他にはない、という。
「ただ阿弥陀如来の働きにまかせて、全ての人は往生することが出来る」と説いた。

浄土真宗は、多くの宗教儀式などにとらわれず、報恩謝徳の念仏と聞法を大事にする。
加持祈祷を行わない。作法や教えも簡潔であったから、庶民に広く受け入れられたのだ。
ということは、他の宗派は宗教儀式などにとらわれ、加持祈祷を行ない、
作法や教えがムズカシかったのだろう。

そのため、他の宗派からは「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと悪口も言われたらしい。
勢いを増していく浄土真宗への「やっかみ」もあったのだろう。
坊主は「物事にとらわれるな(執着するな)」と説くことが多いが、とらわれていたわけだ。


3、阿弥陀如来ってなに?

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つ、梵名はアミターバ。
あるいはアミターユス といい、それを阿弥陀と漢訳した。

梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意。

無限の寿命、限りない光(智慧)、を持って人々を救い続ける、西方極楽浄土の教主(東方は薬師如来)。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導く、という。
また、他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味。

お釈迦さまが、「私の尊い先生を紹介しましょう」と、教えてくだされたのが、阿弥陀仏(弥陀)、だという。


4、浄土真宗のはじまりとその後?(親鸞~蓮如~顕如)

平安末期、親鸞は法然(浄土宗)に師事した。

「浄土真宗」は鎌倉時代中期、親鸞によって始められた。
(親鸞自身は独立の意思はなく、終生、法然の弟子だと思っていた)

室町時代中期、中興の祖「八世・蓮如」が現れて、「浄土真宗」は著しく興隆することとなる。
しかし、蓮如の活動が、比叡山の勢力圏である近江の村々に広く及んだため、
叡山の反目をかう。寛正六年(1465)本願寺は襲撃をうけて破壊された。

蓮如は、近畿を転々とした。
やがて越前(福井県)の吉崎を拠点として北陸を布教。
蓮如は民衆にわかりやすく浄土真宗の教えを説いた。
その教えは各層(武士にも)各地にひろがった。

ともすれば、ムズカシイ言葉で語りたがる教えを、わかりやすい言葉と内容で布教した。
これが蓮如のスゴさのひとつだろう。

「なぜ、物書きはムズカシイ言葉を使いたがるのだろう?
それは、自分を知的に見せたいためだ。こんな言葉も知っているのだ、・・・」と、
ある作家の本に書いてあった。ボクは納得した。

カタカナ語を使いたがる手合いも同じだろう(ボクはカタカナ語が嫌い)。
得意げにカタカナ語を使う人をボクは軽く軽蔑している。

脱線した。

教えを説く立場の蓮如が、わかりやく説いた(書いた)。
当時でも平易に説く僧は少数派だったのだろう。
だから後々まで「蓮如は平易に浄土真宗の教えを説いた。」と言われるのだ。

次の実如・証如・顕如の時代は、戦国の争乱期にあたる。
天文元年(1532)山科本願寺は日蓮宗徒や細川氏らの攻撃をうけて炎上(信長が生まれる3年前)。
そこで、大坂の石山(大阪本願寺、現大阪城の地)に移り、ここを本寺とする。

このころ本願寺は加賀(現、石川県)を支配下に置き(門徒衆の国)、
全国にわたって門徒を擁していたので、その社会的地位は大いに向上した。
そして宮廷や公家にも接近した。

永禄十一年(1568)織田信長が足利義昭を奉じて上洛。
元亀元年(1570)、本願寺(顕如)と信長は衝突する。
約10年間にわたる石山合戦だ。
(「信長対本願寺」については、この『信長夜話』で書くので経過は省略)



浄土真宗は、「南無阿弥陀仏」と唱える。「ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ・・・」と。
「南無阿弥陀仏」の「南無」とは「お任せします」ということだ、ときいたことがある。
(南無八幡大菩薩、南無妙法蓮華の南無も同じ)

そうか!「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏にお任せする」ということなんだ。
「人間の知恵など、たかが知れている。人はいつもアレコレ悩む。
そういうことは阿弥陀様にまかせて、本当に大事なことに力(頭)を使いなさい。
たとえ苦難があったとしても、阿弥陀様がお前を導いてやるよ・・・」ということなんだ、とボクは解釈した。

たった六文字で、これだけのことを想起させるのだから、大したものだとボクは思った。

日本人は「神に甘える」ことが下手だと言われる。
なにもかも自分で解決しようとする(出来るかどうかは別)。

キリスト教徒の「主の思し召しのままに・・・」「主の御心のままに・・・」などは、
迷ったり、困難に遭遇したときの「神への甘え」だろう(意地悪く見れば)。
「ベストを尽くしますから、あとはお願いします」と、

イスラムなら、「インシャアッラー」
アラビア語で「もしアッラー(唯一神)が望むなら」という意味。
「人としてできることはするけど、うまくいくかどうかは神のみぞ知る」というような解釈だ。


ボクは深遠な仏教の教えは知らないが、
「仏教の教えは人生の参考書になる」と思ったことがある。

仏教は「物事にこだわるな、執着するな」と説く。
それが悩み、苦しみの元だから。
「愛するな」ともとれる。愛=執着だから。

人生は四苦八苦と説く。
それを、すこしでも軽くするのが「こだわるな、執着するな」だと、解釈している。
理解できる。でも簡単ではないだろう。
そう説く坊主にも、こだわりや執着があるように、ボクにはみえる。

仏教の教えには参考になることが多い。長所だ。
しかし熱心な信者のなかには「正しいことを貫くのは、良いことだ」と思い込み、
他人を苦しめたりする。原理主義者なりやすい(どんなことでも)。

何事も良いことばかりではない。

信長と対峙した本願寺教団にも、原理主義的傾向がなかったとは言えないだろう。







  1. 2018/05/08(火) 07:31:19|
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