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ブエノス小僧のイラストブログ

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ウェーク島戦記3・反撃

前回『ウエーク島戦記2・F4Fワイルドキャット』からの続き→



ウェーク島は日本海軍の96式中攻による三度の爆撃をうけた。

『敵戦闘機ハ1~2機程度残存ス。陸上防空砲火ハ熾烈ナルモ、ピーコック岬、ウィルクス砲台ハ概ネ破壊セリ』と、空襲を担当した第二十四戦隊からの報告だった。

日本側は効果充分と判断したのだろう。
離島への上陸作戦の例があまりなかったころだ。常識的な判断だったのかもしれない。
ただ「常識=正しい」とは限らない、何事も、


1941年12月10日夜、呂65号潜水艦に誘導された日本のウェーク島攻略部隊が姿を現した。

waketou34.jpg

<ウェーク島攻略部隊、>
指揮官:梶岡定道少将/第六水雷戦隊司令官

攻略部隊本隊:第六水雷戦隊(軽巡洋艦夕張、第29駆逐隊第1小隊〈追風、疾風〉、第30駆逐隊〈睦月、如月、弥生、望月〉)
攻略部隊援護隊:第十八戦隊(軽巡洋艦天龍、龍田)

設営隊:特設巡洋艦金剛丸(国際汽船、7,043トン)、基地設営班、特設監視艇3隻、漁船(守備隊用)5隻
付属隊:特設巡洋艦金龍丸(国際汽船、9,309トン)、高角砲隊

哨戒艇:第32号哨戒艇(旧樅型駆逐艦「葵」)、第33号哨戒艇(旧樅型駆逐艦「萩」)。
(注)哨戒艇という艦首になっているが、「萩」は大正10年(1920)4月竣工した駆逐艦。
海軍後進国にもっていけば、立派な駆逐艦だったろう。

海軍陸戦隊:舞鶴特陸一個中隊(350名)、第6根拠地隊一個中隊(310名)

第24航空戦隊(在ルオット島)が爆撃を担当

水上偵察機隊
潜水部隊:第27潜水隊(呂65、呂66、呂67)



攻略部隊の顔ぶれを見ると、ウェーク島攻略は難しいとは思っていなかったようだ。
参加した軽巡洋艦3隻や駆逐艦6隻は旧式艦、言わば2軍だ。
「この編成で十分だ」と思っていたのだろう。

夜陰に乗じて一気に上陸する作戦だった。
しかし、この日は波が高く、「金龍丸」と「金剛丸」では陸戦隊を乗せた大発(日本の舟艇、木製)をおろすのに手こずり、
大発の転覆や破壊が相次いだ。
(陸戦隊とは海軍所属の陸上戦闘部隊)

攻略部隊は上陸を一旦延期して、巡洋艦と駆逐艦は島に接近して艦砲射撃を行うことにした。


翌、12月11日、米側守備隊が日本軍攻略船団を発見する。
島の砲台には巡洋艦からアウトレンジ砲撃されることを警戒して、
接近してくる日本の駆逐艦や軽巡洋艦を、ぎりぎりまで射撃をしないよう厳命していた。

ウエーク島に設置されていた5インチ沿岸砲(12.7cm)は日本の駆逐艦の主砲と同程度だが、
軽巡洋艦の主砲(14cm)とでは射程、威力ともに沿岸砲は劣る。
沿岸砲の射程外から軽巡洋艦の砲撃をうけることになる(アウトレンジ砲撃)。


3時25分にまず軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)が、続いて3時43分に各駆逐艦が砲撃を開始した。
艦載の大型望遠鏡で観察しながらの砲撃だったのだろう。

4時0分、ウェーク島の砲台が近寄ってきた軽巡や駆逐艦に対して一斉に発砲。
『反撃がないのは、爆撃の効果」と思っていた攻略部隊を驚かせた。
「おいおい、敵の砲台は生きてるじゃねえか!」と、

日本の艦艇が近ずきすぎたこともあって、アメリカ側の砲撃は正確だった。
まずウェーク島のピーコック岬のA砲台が旗艦「夕張」を砲撃、舷側ぎりぎりの至近弾。
驚いた「夕張」は煙幕を張って南へ退避。

4時3分、ウィルクス島沖で砲撃を行っていた駆逐艦「疾風・はやて」が艦橋と艦腹に直撃弾を受ける。
なんと轟沈してしまう。
生存者はなかった。魚雷や爆雷などに誘爆したのではないだろうか?
アメリカ側の発砲開始から、わずか3分後だ。
米軍側はウィルクス島L砲台による戦果としている。

hayate112.jpg
<直撃弾をうける駆逐艦「疾風」>

日本側艦艇に「速ヤカニ避難セヨ」の命令が下されるが、すでに遅かった。
ビール島のB砲台は駆逐艦2隻(「弥生・やよい」と「追風・おいて」)と交戦、命中弾を与える。

付近には降ろした大発がひしめき合っていた。
各艦が密集し身動きが取り辛いところに砲台からの砲弾が次々と降り注いだのだ。
各艦は停止状態に近かったのではないだろうか?(ボクの想像)


波に翻弄されながら大発に乗っていた兵は生きた心地がしなかっただろう。
ウエーク島の砲台からはドンドン撃ってくる。砲弾が空気を切り裂く音がして、轟音をあげて着弾、大きな水柱があがり、乗っている大発は大きく煽られる。

大発の舷側から首を伸ばしてのぞいて見たら、味方の駆逐艦(疾風)が大爆発して沈んでいく。
そのうちに上空からF4Fから機銃掃射をうける、のだから。


ウエーク島を離陸したF4F 戦闘機4機は、上空に日本戦闘機がいないのを確認すると攻撃を開始した。
キニー大尉のおかげで爆撃投下装置を改装したF4Fは爆装可能になっていた。
そのうちの1機は司令のパットナム少佐だ。

軽巡「天龍」に爆弾が命中、水雷砲台を破壊。軽巡「龍田」にも命中弾をあたえ無電室に損害を与えた。
4機は弾薬と燃料の補給を繰返しながら9回も出撃。日本艦隊を執拗に攻撃した。


さらに5時42分、すでに退避中で島から数十キロ離れていた駆逐艦「如月・きさらぎ」がピーコック岬沖でF4F 戦闘機に補足された。
100ポンド(約45キロ)爆弾1発が艦中央に命中、同艦は爆沈した。

waketou21.jpg

100ポンド爆弾(約45キロ)は小型爆弾だ。(日本海軍の99式艦上爆撃機の対艦用爆弾は通常、250kg)
普通、100ポンド爆弾で撃沈されることはないが、
その1発で駆逐艦が轟沈してしまった。これまた魚雷や爆雷の誘爆だろう。
生存者はなかった。


< 駆逐艦「如月・きさらぎ」(1935年頃の諸元)

大正14年(1925)12月21日竣工

常備排水量:1,445t
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×4基
燃料搭載量:重油 422t
全長:97.54m
全幅:9.16m
主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:2.96m
出力:38,500hp
最大速力:37.25kt(約、時速74km。快速艦だ)
武装:
45口径12cm単装砲4基、7.7mm単装機銃2基、
61cm魚雷3連装発射管2基6門、1号機雷16個

航続距離:14ktで4000浬
乗員定数:154名

他の駆逐艦5隻も同程度。>



F4F 戦闘機はなおも追い討ちをかけ、「金剛丸」を機銃掃射して搭載していたガソリンを炎上させる。
各艦(弥生、睦月、望月、追風、哨戒艇32号、哨戒艇33号)も襲撃され、各艦とも死傷者が続出。縦横無尽。
海上の状況も依然として悪く、改めての奇襲上陸は中止に追い込まれた。
攻略部隊各艦はクェゼリン環礁に退却することとなった。

一連の戦闘で米側の損害は戦死者1名、負傷者4名、F4F 戦闘機2機が被弾により使用不能。
12月20日時点で、飛行可能なF4F は2機に減少した。


日本海軍は列強海軍のなかでは航空に熱心だった(日本海軍のなかでは少数派だが)。
山本五十六連合艦隊長官も航空重視派のひとり。
そんな日本海軍でも飛行機の威力を理解していたのは少なかったのだろう。

いや、攻める側での航空重視であって、攻められる側の航空重視ではなかったのだろう。


また、日本側の駆逐艦や軽巡洋艦の対空火器は貧弱だった。
駆逐艦「如月」の対空火器は7.7mm機銃×2のみ(他の駆逐艦も同じ)。
旗艦の軽巡「夕張」は8cm(80mm)単装高角砲×1のみ。
軽巡「天竜」は第一煙突両舷の13mm単装機銃×2のみ

ミッドウェー海戦で奮戦した空母「飛龍」(常備排水量17,300t)の対空火器は、
40口径12.7cm連装高角砲:6基12門
九六式25mm高角機銃:3連装7基、連装5基 計31挺、である。

対空火器は攻撃してくる敵機にたいして、むやみに射撃するのではなかった。
「飛龍」の場合、距離が遠いときは12.7c高角砲で、さらに近づいたときには25mm高角機銃、という二段構えだった。
この装備をもってしても撃墜するのは非常にむずかしかったのだ。

昭和18年以降、強化された米艦隊は三種類の火器、三段構えになっていた。
戦争が進むにつれ日米海軍艦艇の対空火器は増強されるが、質の差が広がっていく。

それに比べれば今回の攻略部隊各艦の対空火器など無いに等しい。
だから、F4F 戦闘機に慣れていない(ましてや爆撃未経験の)米パイロットでも接近して爆弾を命中させることが出来たのだろう。





12月13日、日本軍攻略部隊はクェゼリン環礁に帰投した。惨敗だった。
数日後、態勢をたてなおした日本の攻略部隊は再びウエーク島をめざすことになる。

『ウエーク島戦記4・二航戦』に続く




柳田邦男著『零戦燃ゆ・1』文春文庫¥500(税込み)を参考にしました。




  1. 2018/10/23(火) 06:49:44|
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